054.ライバル宣言
「――――久しぶりじゃない、総。 元気だった?」
「なんでこんなところに…………優佳」
慌てて先に向かっていたマスターの後を追っていくと、女性は笑顔で彼に話しかけていました。
掃除も終わったと思った時現れたのは、スラッとしたモデル体型の女性でした。
膝丈ほどのスカートから伸びる脚は細く長く、シンプルなポロシャツは腰に添えた手も相まってウエストも細く、けれど出るところはしっかり出ています。
身長は私より……いいえ、私達全員と比べても高い、165はあるでしょう。しかし胸は少なくとも遥さんより小さい……私と同じくらいでしょうか。
そんな女性が羨む女性を体現したような彼女は、マスターの顔見知りのようです。
フランクに下の名前で呼び合い、笑顔を向けています。
……きっと恋人と言っていたのは私の聞き間違いでしょう。
そうですね…………そう!濃い陽とかそんな感じで言ってたのです!外は太陽が眩しいですしねっ!
「なんでってちゃんとメッセージとしても送ったじゃない。近いうちに行くって」
「俺、そんなの見てないんだが。新着にも無いし」
「そりゃあそうでしょう。スタンプ爆撃の時にコッソリ送ったんだし」
「…………うっわ、ホントだ。詐欺すぎない!?」
たどり着いたときにはマスターはスマホを操作して何やら驚いています。
……何を話していたのでしょう。気になります。
「だって直接言ったら絶対拒否られるしぃ。なら言ったもん勝ち的な?」
「だからといってこんな巧妙な……。まぁ、優佳らしいか」
はぁ……、とため息をつきつつもその顔は穏やかなままでした。
本当に……本当に恋人なんでしょうか。
なら私のしていることって…………。
すぐ近くで2人が会話をしているのに、すごく遠くで話しているよう。まさに話に入る隙がなくって、少し疎外感。
「それで、この子は何よ? アンタったら、あたしという美人がいるのにこんな可愛いことイチャイチャしてたの!?」
「どこから突っ込んだらいいかわからないが、何をバカな事を……。 伶実ちゃんはアルバイトだ。俺よりすごく仕事のできる……。ね、伶実ちゃん?」
「――――えっ? あ、はいっ!こんにちは。深浦 伶実です!」
ふと彼に会話を振られて流されるまま挨拶をします。
よく話を聞いてませんでした。すごく嬉しいことを言われたような気もしましたが、今は素直に受け取ることができません。すみません。
「ふぅん……。よろしくね?伶実ちゃん」
「あ、はい……」
優佳さんもにこやかに挨拶をしてくれますが、今の私には返す余裕ががありませんでした。
控えめに返事をすると、その視線が私から彼に移ります。
「んで、優佳は冷やかしに来たのか?」
「そんなわけないじゃない。バイト先の仕事よ。 ほら、コーヒー豆。おばあちゃんが免許返納であたしにお鉢が回って来たのよ」
「えっ……今のバイト先ってあそこ!? いつから!?」
「この春からよ!これからは定期的に運んでやるから覚悟しなさい!!」
2人がにぎやかな会話を繰り広げるほどに、私はどんどんと肩身が狭くなっていきます。
少し……気分悪いって言って裏に回っていいでしょうか……。
「うわぁ……。って、そうだ。伶実ちゃん」
「…………はい?」
二人の横で顔を伏せていると、彼の顔が突然私の方に向いてくれました。
その表情はいつもの優しげの表情に、少し嬉しそうな感情も含まれて。
「ごめん。優佳に紹介したけど伶実ちゃんには言ってなかったね。 この人は大牧 優佳。なんていうか……俺の姉だよ」
「お……おねぇ……さん…………?」
ふと、その言葉で曇っていた私の心に強風が拭いたかのように晴れて行きます。
お姉さん……大牧…………。たしかに同じ名字です。
「あー! ネタバラシしちゃったぁ。せっかく彼女って言ってたのに~!」
「はいはい。恋人カッコ笑いのお姉さまも冗談は程々にな」
「ひどーいっ!私のこと好きだって言ってくれたのにぃ!好き合ってるなら恋人同士なのにぃ!」
「それ小学校の頃の話だろっ!!」
――――突然、胸の内でささくれ立っていた痛みがスッと抜けた感覚に襲われました。
あぁ、お姉さんって事を知ればこの距離感も納得です。
なんでしょう。さっきまではそのやり取りも苦痛でしかありませんでしたが、今では微笑ましく思えます。
2人の会話を見ながら私も笑いを浮かべるようになってくると、ふと優佳さんが怒ったように私を見てきます。
「聞いてよ伶実ちゃんっ! こいつったらあたしも同じ大学行かせておいて突然中退したのよ!」
「えっ!? そうなんですか!?」
「俺、同じ大学に行くよう頼んでないんだけど」
「えぇ!そうよ! おかげであたしは一人寂しく大学生活!コイツはいつの間にか店まで構えちゃってあたしに会うどころか報告すらしてこないのよ!!酷いと思わない!?」
マスターって、大学中退してたんですね。
でも……そうですね。中退していないと辻褄が合いませんものね。
彼の淡白な言葉なんて聞こえないように優佳さんは盛り上がっていきます。
私も苦笑いを浮かべながら相槌を打っていくと、どんどんとボルテージが……。
「でも優佳、よく進級できたな。受験じゃギリギリだったのに」
「そりゃあ必死で勉強したもの! ……懐かしいわねぇ。2人で一緒に受験して、一緒に入学して……」
「えっ、一緒に……ですか?」
ふと。殆ど無意識の形で気になったことが口に出て割り込んでしまいました。
一緒に受験、一緒に入学……。そして姉ということは……。
「あ、すみません。余計なこと聞きました」
「いや、そりゃ伶実ちゃんも気になるよね。 別に優佳は留年したわけじゃなくて俺と同じ学年なだけだよ」
「そして誕生日が私のほうが早いから姉ってことねっ!!」
なるほど、それなら納得です。
同学年の姉弟も理論上は可能ですものね。
…………あれ、なんとなく違和感があるような?きっと気のせいでしょう。
「ってほらっ! 雑談よりまず仕事!! 総!早く豆を運んで頂戴っ!!」
「誰が雑談に持っていったと!? ……はぁ、了解。豆は表だよな?」
もはや抵抗するのは無駄だと感じたのでしょう。彼は素直に受け止めてコーヒー豆があるであろう表に向かっていきます。
チリンチリンと鈴の音が鳴って訪れる静寂の空間。取り残された私と優佳さん。……何を話しましょう?
「…………ねぇ」
「は、はい……」
何か場をつなげようと話題を探していると、優佳さんの方から話しかけてくれました。
彼女は今まで座っていた椅子を降りて私の目の前に立ちふさがります。
「伶実ちゃんは総のことが好きなの? 恋愛って意味で」
「えっ!? そっ……それは…………」
まっすぐ。
彼女はまっすぐ目を見て問いかけてきました。
その突然の言葉に言い淀み、視線を泳がす私をしばらく見ていると、返事をするより早く肩をポンポンと叩かれます。
「初々しいなぁ~。あたしもこういう時があったのかなぁ……」
「あ、あの……?」
「あぁ、ゴメンゴメン。 その反応で十分わかったよ。ごめんね突然」
肩に当てていた手が頭部に移動し、優しく頭を撫でられます。
優しい――――けれど決して純粋な優しさだけじゃない。他に何か感情が込められていることを、その手のひらから感じ取れます。
「――――でも、伶実ちゃんだけじゃないんだ。 あたしも総のことは恋愛的に好きだから、ライバルだね」
「っ――――!!」
思いもよらぬ言葉にバッと下げていた頭を上げると、彼女は手を引っ込めて不敵な笑みを私に見せつけます。
「だから……これからよろしくね?」
それだけを言い残して、背中越しに手を振る彼女は扉の方へ。
店を出る瞬間、コーヒー豆を持ってきた彼とすれ違いながら軽く挨拶をし、帰ってしまう後姿を私はずっと見つめていました――――。




