051.だから私は
「ほらマスター! あっちの店気になります! 早くいきましょっ!!」
彼女――――高芝 灯とどこかに出かけるというのは、これが初めてのことだった。
その長い黒髪をポニーテールに纏め上げ、後ろからは健康的で真っ白なうなじを晒している、少女。
俺の知る人懐っこい子犬のような少女とは違うベクトルで、少し気の強いところを持ちながらも、可愛らしい容姿と人懐っこさを隠しているのに隠しきれていない雰囲気から、憎めない彼女。
高1でありながらその頭脳は進学校でもトップクラス。全国模試でもトップに位置する、まさに天才少女だ。
そんな灯が今、楽しそうな笑顔を浮かべて店から店へ、まさしくはしごするようにショッピングモール内を駆け回っている。
俺もそんな彼女に着いていこうと、あっち行っては彼女に意見を求められ、こっち行っては意見を求められをずっと繰り返していた。
まさしく、絵に書いたような女の子のショッピング。
女の子ってすごい。買い物に対するエネルギーが無尽蔵だし、その顔がいつもより輝いて見える。
俺は灯の小さな背中を追おうと、少し顔に疲労の色を滲ませながら足を動かす。
元気いっぱいな彼女にたいして、一方俺は体力不足。まさしく出不精の体現。
店を開いて以降、一切建物から出ずにダラダラを過ごしてきたツケが今まさに来ているようだ。
まだ手ぶらなのが救いだ。彼女も紙袋一つ二つ分くらい買ってはいるが俺が持つことは遠慮された。
これでさっきスーパーで買った物を持っていたらどうなっていただろう。米とか…………無理だな。2つ目の店でダウンだ。
「すまん待たせたっ! 次はどこだって?」
「…………」
疲労感で足元がふらついていたからか、自らの靴紐が解けていることに、紐を踏んでつまづきかけるまで気づかなかった。
慌てて結んでから待ってくれている灯の元に向かうと、彼女はただ黙って店の奥を見つめながら俺に背を向けている。
「……やっぱりやめました」
「へ?」
「こっちですっ!」
彼女は何を思ったのか、さっきまで見ていた視線を振り払うように踵を返して俺と一瞬だけ向き合うと、そのまま手を取って引き返すように足を進めていく。
近くにあった出入り口から外に出て、うだるような暑さを気にすること無く信号を渡った先のとある店へ。
ここは――――
「気が変わりました。少しここでゆっくりしていきましょう」
そこは、いつか伶実ちゃんと遥の2人で散策したときにも来た喫茶店だった。
もうあの日も遠い昔のようだ。まだ3ヶ月前後しか経ってないのに。
「もしかして、気を遣ってくれたのか?」
「気を遣うというか…………。マスター、疲れたのなら言ってくださいよ。私だけ楽しんでマスターが大変なのはつまらないじゃないですか」
「灯…………」
「ほっ……! ほら!席取っておいてください」
照れ隠しのように鼻を鳴らして先々と並んでいく姿は、まさしく俺に気を遣ってくれたものだった。
俺は簡単なセットメニューを伝えてから2階に上がると、隅のちょうどいい場所にポッカリと席が空いているのを見つけ、腰を下ろす。
「ふぅ…………」
…………それにしても、彼女と2人きりになったのは例の件でお礼を言われた時以来か。
正直最後の頬へのキスでもしかしたら気があるかも……なんて思ったりもしたが、今日の様子を見るに勘違いだったようだ。
デートというより、普通に遊びという感じ。彼女の好きな店をはしごして、良いものを見つけたら買っていく。それだけだった。
多少俺に意見を求められたりもしたが、それは2択を決めるとかそんな大したこと無いもの。
俺を気遣ってくれたことには驚いたが、それは接しやすい兄貴分とか男友達とか、そんな感じだろう。
なんだか下手に気にして構えてたけど、肩透かしを喰らった気分だ。
いや、ホントに好きならそれはそれで大変なんだけどね。嬉しいけど。
「こんなとこにいたんですね。 隅の方で探しちゃいましたよ」
今日のことを思い返しながらボーッと彼女の到着を待っていると、正面に影に見上げればトレイを持った灯の姿が。
そのまま俺のものと自らのものを振り分けつつ向かい側に座ってくる。
「ありがと。いくらだった?」
「別にいいですよ。ランチ料金で安かったですし」
「でもなぁ……」
「気にするなら、今度お店でコーヒーでも奢ってください。 なのでほら、食べましょ?」
「あ、あぁ……」
それを出されちゃ何も言えなくなってしまうじゃないか。
この話は終わりだと言うようにソーセージパンを食べる彼女に続いて、俺も手元にあるハムをトーストで挟んだシンプルなサンドを口に運ぶ。……うまい。
モグモグ……モグモグ……と。
何の声も発しない食事がひたすらに続く。
なんというか……気まずい。
いつも灯とどんな話してたっけ?なんだかあの頬へのキスを意識してるからか、良い話題が思いつかない。
……そうか、遥がいないのか。普段なら彼女が自然に会話を回してくれるからなぁ……。
「あー……最近の学校はどうだ?楽しいか?」
「えぇ、はい。楽しいですよ。 …………なんだか、お父さんみたいな聞き方しますね?」
「ぐっ……!」
それは……確かにそうだが、話す内容が見つからないんだ。
思いもよらぬ一言に予想外のダメージを負ってしまう。なんだかそう言われると、俺も年をとったなぁって…………。
彼女はクスリと笑いつつも、飲み物をほんの少しだけ飲んで俺の目を見る。
「――――私、少し前まで休み時間はずっと一人で本ばかり読んでたんです」
「……あぁ」
「でも、今では秋日和の3人が話しかけて来てくれて本を読む暇が無い程なんですよ。知ってますよね?」
「そうだな」
それは以前聞いたとおりだ。
一緒に昼食を食べたり、化学の実験をしたり。もともと気にかけていた様子だったし、実際に話してみると馬があったのだろう。
「秋穂さんは裏表が激しい人で、日向さんは調整役、乃和さんは……頭の中がピンク色の困った子です」
少し、彼女の額に冷や汗が流れるのが見える。
そういえば……ずっとそういう話題をする子が一人居たな。あれってデフォだったんだ……。
「それでも、いい人たちです。私のことを心配してくれますし、励ましてくれますし…………。その、これでもマスターには感謝してるんです……よ?」
「俺に?」
それは……泥を被ったことだろうか。
彼女はその心を見透かしたのか、少しだけ微笑みながら首を横に振る。
「たぶん、冷静になった今だからこその予想ですが、マスターの提案がなくても、私がフィアンセのままでも、結果は変わらなかったと思います」
「えっ……? つまり、俺の提案は無駄だったってこと?」
確かに後日、それを考えなかったといえば嘘になる。
もっといい方法が、遥にも迷惑を掛けずに済んだ方法がまた別に合ったのではないかと――――
「秋日和は説明すれば信じたでしょうし、クラスメイトもたぶん分かってくれると思います。 でも、それでも……私は私の問題なのにどうにかしようと、泥を被ってくれようとしてくれたマスターの言葉が、行動が嬉しかったんです」
「……………」
「だから改めて……ありがとうございました。総さん」
それは、初めて彼女が俺の名を呼んだ瞬間だった。
少し暗めの店内ながらも頬を紅く染め、ほんの少し上目使いになりながらもしっかりとこちらを見上げて伝えてくる精一杯の言葉。
しばらくあっけにとられていると、彼女は段々と恥ずかしくなってきたのかどんどん頬の高潮が増していく。
「だから私はそうさ――――」
「それなら俺も嬉し――――」
「………………」
――――しまった。被った!!
まさかお互いに被ると思わず、迎えてしまう微妙な空気。
ずっと灯は無言で見つめていたし、これは俺の言葉を待っているのかと思いきや続きがあるとは……。
「す、すまん。 どうぞ」
「……いえ、私のはあれで全部です。 その……ありがとうございました」
ペコリと小さく頭を下げて再び食事に戻っていく灯。
そうさ……さっきの言葉を習うなら総さん。俺の名だよな?何を言おうとしたんだろう?
結局その後の言葉は有耶無耶になってしまったものの、これをきっかけにようやくいつもの空気を取り戻すことに成功した俺達は、夕焼けになるまで軽いショッピングを楽しむのであった――――。




