050.それはあたかも
「え~っと、パンに砂糖に、後は…………」
病院での騒動を終え、2~3日ほど過ぎた暑い夏の真っ昼間。
俺はいつかJK2人組とやってきた街のスーパーへ、一人買い出しにやってきていた。
ちょっと前の、お風呂場で悩みに悩み抜いた件は大いに気になるし、未だに思い出すと顔が赤くなってしまうが、それでも明日は誰しも平等にやって来る。
俺はとりあえずあの日の事は棚に上げ、更に奥のほうへとギュッと押し込んでから、翌日という日を迎えていた。
それもそうだろう。灯は直接言ってこない上に態度もいつもどおりだし、そもそも奈々未ちゃんに至っては倒れた日以降顔を出してこない。
お互い連絡先を知らないことから話を進むなんてことも一切なく、いつもどおりの日常を送るしかない。
小さく独り言を呟きながら手にしていたスマホに目をやると、映し出されているのは事前に用意したメモの羅列。
そこには今日買うべき必要な物が箇条書きで記されている。
本来なら定期的に業者の人がやってきてコーヒー豆や食材などの補充をしてくれるが、今日ばかりは自ら調達だ。
それもこれも、全部奈々未ちゃんらのおかげだ。ありがたい。
彼女らが来た時に注文してくれた量はもちろん、それを皮切りにシンジョの3人……特に遥が色々とデザート以外にも手を出してきて、用意していた在庫は補充前にあっという間にカラになってしまった。
きっと夏休みでお昼を頻繁に食べに来るのも大きいだろう。俺としては嬉しいが、ストックが無くなるのはいただけない。これからも夏休みは続くのだし、注文する量も増やさなければなるまい。
そんなこんなで気分転換も兼ねてやってきた一人での街。
カゴの中の商品とスマホのメモを見比べながら数えていくと、過不足無く揃っていることが確認できた。
よし、さっさと買って店まで配達してもらおう。お米とかあって重いし。
俺は迅速にレジにて会計を済まし、そのまま店まで送ってもらう手配をする。
その後適当にプラプラと散策しようと店から出ると、一気に身体全体へ夏特有の熱波が襲いかかる。
暑くて熱い、ギラギラと照らす太陽の日差しと、それによって温められたムワッとする強烈な湿気。
まさしく背後は天国、目の前には地獄といった状況だ。
こんな中人々は働き、そして通勤や通学に勤しむというのか。確かに夏休みというものはあって然るべきだろう。こんな中登校したくない。
意気揚々と出たはいいものの、早速喰らった夏の洗礼に早くもギブアップしたい気持ちを抑えながら一歩外に出る。
「あっ……………。マスター……?」
「うん?」
ふと聞き馴染みにある声に、最近よく聞くようになった呼び名。
その呼びかけに殆ど反射で振り返ると、後ろには前髪をまっすぐ切りそろえて黒い髪をポニーテールにした少女、灯が立っていた。
その目は本当に俺で合っているのか不安げな瞳。しかしひとたび俺だと認識すると、すぐに安心したような表情になって目の前へと歩いてくる。
「灯か。こんなとこで会うとは奇遇だな」
「それは私のセリフですよ。珍しくお店を閉めたと思ったらこんなところで……」
そういえば彼女らには休業の連絡しか入れてなかったな。
どれだけ買い出しにかかるかわからなかったから、ひとまず丸一日って言ったんだっけ。
「そりゃあ、今朝伝えた通り買い出しに――――」
「……はっ!まさか夜のいかがわしいお店で働いてもらう女の子の物色ですか!?いやらしいっ!!」
「――――まてまてまて! どうしてそうなる!? 普通に食材の買い物だっての!!」
街中でなんてことを言うんだこの子は!
周りの通行人に誤解されるじゃないか!ちゃんと買い出しって言ったのに!!
「……本当ですか? 確かにスーパーから出てきたようですが……何も持っていませんね。やはり――――」
「単に買ったもの送ってもらっただけだから。 重いし」
そりゃ数十キロもあるお米を持って街中の散策なんてできっこない。
近場のスーパーで買えばいい話だけど、あの日ここに来てから品揃えが良いことを知っちゃったのよね。だから他のもののついでに買った感じに。
「送ってもらうなんて、随分とブルジョワなんですね」
「時間の有効活用だ。それとも灯、お米持って街ブラブラできるか?」
「たしかに……。 ま、最初から疑っていないんですけど」
「うっわ……」
あっけらかんと、疑いなんて何もなかったかのように肩をすくめる灯に怪訝な目を向ける。
それなら最初から言ってくれれば良かったのに。
「それでマスター、ただ買い物するのに街中まで出てきたんですか?」
「ここは品揃えもいいし、後は気分転換プラプラしようと思ってな。 灯は?」
「私は読書感想文用の本を買ってきたんです。 ……ほらこれ。知ってます?」
そう言ってバッグから出してきたのは小さな文庫本。タイトルは……『あなたと私の100日間』か。帯のあおり的に恋愛小説みたいだ。
少なくとも俺は見たこと無いもの。黙って首を横に振ると、「ですよね」と軽い調子で戻していった。
「読書感想文に恋愛小説を選ぶのか」
「まぁ、読書感想文なんて適当な一文をピックアップして自分語りをすればいいだけですから。私が遥先輩に向ける愛情を書いていけば一瞬ですよ!」
あぁ、灯はぶれないなぁ…………。でもちょっとその感想文は読んでみたいかも。
でもこれで確信した。あの日俺が考えていたことは完全に勘違い、自意識過剰なのだろう。遥が好きで俺も好きは流石に無いだろうし。
「あなたはこれからどうするんです?散策と言っても街中ですから色々とありますが……」
「そこなんだよなぁ……。どうしよ……」
彼女の問いかけに俺は腕を組んで頭を悩ませる。
正直、買い物するだけ決めてその後のことは何も考えてなかった。行ってる最中にどこか思いつくだろうとか、いい場所見かけるだろうとかそんな行きあたりばったり感。
だから店を出て適当に見て回るのは考えていてもその後のことはさっぱりだった。改めて聞かれると返答に困る。
「じゃ…………じゃあ、私と一緒に適当にぶらつきません?」
「えっ?」
「ほ、ほら! 私も本買って目的は達成しましたし!?マスターも買い物終わったようですし!?それに私にはいやらしい店にしないことを見張る使命がありますからっ!!」
なんて使命だ。
そんな誤解から始まった事実無根の使命なんてかなぐり捨ててしまえばいいのに。
彼女は胸の前で腕を組んで軽くそっぽを向くものだから、その意地っ張りな提案が遊びたいのと遊びたくない気持ちが同時に出ているように見えて、つい笑みをこぼしてしまう。
「……何笑ってるんですかぁ」
「ゴメンゴメン。ぶらつくんだよね?なら遥たちも呼ぼうか」
「なっ……! 待ってください!」
きっと俺たちが遊ぶのならば彼女らにも聞いたほうが良いだろう。
それに灯も大好きと公言している遥が来たほうがよっぽど嬉しいはず。そう思ってスマホを取り出そうとすると、灯はそれより早く俺の手を止めさせる。
「? どうした?」
「…………いえ、その…………なんというか」
何事かとスマホの手を止めて問いかけるも、彼女の答えは要領を得ない。
何か止める理由……止める理由…………そうか。
「もしかして、遥たち忙しい感じ?」
「そっ……そうですっ! 遥先輩から連絡きてたんです! お母さんに勉強見てもらうから忙しいって!!」
「あぁ…………」
確かにそんな中連絡してしまえば思いを馳せ、集中を乱してしまうだろう。
さすが灯。一瞬でそこまで想像がつくか。
「じゃあ、伶実ちゃんは?」
「伶実先輩は……そう! お家のお手伝いって言ってました。だから今日は私達2人だけ…………ですね?」
「……灯がいいなら俺も付き合うけど、どうする?」
2人とも用事があるのか。
でも、灯は俺に色々と疑いを持っているんだ。俺と2人は気まずいかもしれない。
しかし彼女はそんなこと気にしないかのように、ニッコリと笑みを浮かべる。
「まぁ……仕方ないですねぇ。せっかくの休日が一人ぼっちで寂しいあなたの為に、私が一肌脱いであげるとしますか」
「提案したの灯なんだけど……」
俺の言葉など聞こえないかのように笑顔で前に経つ灯。
「さ、早く行きますよ! さっさとしないと日が暮れちゃいますっ!!」
「お、おうっ!」
俺は楽しそうに駆け出す彼女の後を急いで追う。
それはあたかも初めてのデートのようだった。
 




