047.大きな木の下で
「――――やっと見つけた」
そこは広い広い病院の敷地にある、中庭の影。
暑い日差しが降り注ぐピクニックにも丁度いい芝生の上とは違い、暗くジメジメした大きな木の下。
まさしく穴場と言っていい場所だろう。夏は涼しいが冬はきっと寒い、そんな光の届きにくい空間。
そんな空間にポツンと1基だけ置かれたベンチに一人、真っ白で艶やかな髪を垂らす女の子がこちらに背を向けて座っていた。
「…………マスター……さん」
「2人とも心配してたよ。 突然出ていくなんて」
口や外観からはなんともないように装っているものの、その実かなり疲れ切ってコッソリ肩で息している。
詳しくない建物で逃げ出した少女を探せ。それはなかなか苦労した。
最初は食堂や受付付近にいるかとおもったが、まさか中庭まで飛び出してきているとは。
窓から一瞬だけその白い髪がなびいているのが見えなければ、決してここにたどり着くことはできなかっただろう。
「私……私ね……」
「いや、いい。何も言わなくて。 ……隣いいか?」
まだ頭の中はグチャグチャなのだろう。
俺は彼女と一人分のスペースを空けながら隣に座ると、その不安そうな顔がよく見えた。
怒られ慣れていなかったのか、それとも思っていた反応と違ったのか……出ていった理由まではわからずとも、それを無理に引き出すのは俺の役目では無いと思えた。
「いい……天気だな」
「…………」
ベンチに腰掛けながら見上げると、大きな大きな木が目に入る。
病院の隅に植えられた、他より一際大きな木。そこは蒸し暑い今日の気温でも、なんとなく涼しさと心地よさを提供してくれているようだった。
「おじいさん、病気とかじゃなくてよかったな」
「…………うん」
本当に、何もなくてよかった。
彼女が出ていってから軽く2人と話したが、どちらも自身のことより彼女を一心に心配していた。
みんながみんなを思っているのだろう。羨ましい家族だ。
「あの3人にも連絡しなきゃな。心配ないって――――」
「マスターさん」
極力さっき怒られた件に触れないよう言葉を選んで話していると、スマホを取り出したところで彼女から声がかかる。
チラリと隣に目を向けても、彼女は正面の木の方を向いていてその表情は伺いしれない。
「そのっ、ごめんなさい。 急に出ていって……心配かけて……」
「別にそんなの。 むしろ奈々未ちゃんこそおじいさんに怒鳴られたのに」
「おじいちゃん……。おじいちゃんのあんな怒り方、初めてだった……それで……」
あの場に居られなくなったのだろう。
俺も驚いた。幸い看護師が駆け込んでくるということは無かったが、それでもあの怒りよう……
「おじいちゃんにも怒られて……私、アイドル続けなきゃだめかな……?」
こちらに身体を捻って見えた表情は――――不安だった。
今にも泣きそうな、辛そうな表情。
それはまるですがるように、まるですべての選択権を与えるように問いかけているようだった。
彼女もまだまだ中3、俺から見ても子供だ。
そんな子がアイドルとしてのプレッシャーと、今日の一件のことを一身に受けて限界に達したのだろう。
ここで俺が道を示すのは簡単だ。しかし家族でもない上にただここに居合わせただけ。俺は口を出したい気持ちを抑えて見えない空を仰ぐ。
「『――――たかだか私たちの心配というだけで、大好きなアイドルを辞めることは絶対に許さん』」
「…………えっ?」
「さっき出ていってから、おじいさんが言ってたこと。 おじいさんは自分を理由にしてほしくなかったみたい」
そう。
あの時俺が追いかけていく直前教えてもらったこと。
彼が怒ったのはアイドルを辞めるという一点ではなく、自らを心配するだけで好きなアイドルを辞められることが納得できなかったのだ。
それはまさしく親心。愛する心。
傍から聞いたが故にわかったが、互いが互いを思うあまり怒ってしまったすれ違いのようだった。
「でもおじいちゃん……私のサポートばかりで自分がやりたいことを我慢してるし、今日みたいに倒れちゃったら……」
「ぎっくり腰以外は大事なさそうだし、それにおじいさんが言ってたの?我慢してるって」
「いや……」
「ちゃんと聞いてみなきゃ。おじいさんは嫌々サポートしてるのか」
俺の予想じゃ、彼の意思については全く問題ないだろう。
やりたいことを我慢どころかむしろ…………。
「マスターさんは、どう思う? アイドルを続けるか、辞めるか……」
「……そうだな――――」
まさか再度聞かれるとは思わなかったから、急いで頭を回転させる。
俺は……俺はな……
「奈々未ちゃんがアイドルを嫌になったのなら、今すぐに辞めるべきだとおもう。 でも……もしまだ好きなら、あの綺麗な歌声を聞かせてほしい」
「………………」
少し恥ずかしくなりつつも、視線を逸らしながら本心を告げた。
まだ彼女のことを知ってから数日しか経っていない。なのにどの口が言うのかとも自ら思ったが、ここは俺の本心を口にすべきだとも思った。
目を逸らしているせいで彼女の反応までは伺いしれないが、俺の言葉を受け、下げ気味だった視線を正面に向き直ったようだ。
静寂が、俺たち以外誰も居ない中庭を静かに彩る。
サァァ……と風が俺たちの耳をくすぐり、耳をすますと病院から様々な音が、そしてそこらから虫の音が聞こえてくる。
俺の言葉を最後に、彼女は何も言わなくなってしまった。
目を閉じ、まっすぐ顔を定め、何かを考えているように思える。
俺も同じく視線を正面に捉えて心地の良い風を感じていると、ふと口の開く音が聞こえた。
「よしっ……」
小さく呟き、ほんの少しの静けさのあと、彼女が動き出した。
思い立ったように立ち上がり、その身に風を受け入れるように手を大きく広げる。
見る人が見れば、きっと風に乗って空を飛んでいるように幻視する人がいるかも知れない。それほどまでに一挙手一投足が絵になる彼女。
奈々未ちゃんはもう一度「よしっ!」と小さく自分を鼓舞しながら回転するように俺の方へと身体を向けた。
「マスターさん……私、決めたよ」
「もう、いいの?」
「うん。 あんまりここに居てもおじいちゃんを心配させるだろうし、早く戻らなきゃ」
「…………そっか」
しっかりとした口調で告げる彼女の目には迷いがない。
本当にどうするか決めたようだ。
「マスターさんも、いこっ」
「……おう」
俺はそっと差し出された彼女の手を握って立ち上がる。
真っ白で細い、柔らかな手。正面と向き合った彼女は、なんだかいつもと違う、俺の何かを受け入れてくれたような、自然な笑顔を向けてくれた。
「ねぇ、マスターさん」
「ん?」
「マスターさんは……本当に私の歌声、好きだと思ってくれてるの?」
「あぁ、もちろん。 ライブ、すっごく良かったよ。すごく綺麗で……美しかった」
「そっか……うん、そっか。 …………じゃあ、話変わるけど……次の音楽の話なんだけどね、愛に時間って……関係あると思う?」
「えっ……?音楽の話? いや、まぁ…………関係ないんじゃないかな?一目惚れとかもよく聞く話だし」
「そう……だよね。 うん、ありがとね」
道中、彼女の握る手が、ほんの少し強くなったように感じた――――。




