045.コーヒー仲間
「あんまり無茶……しないで欲しい……。びっくり、するから……」
「ゴメンゴメン。 でもありがとね。手当してもらって」
そこは俺と奈々未ちゃん。2人しかいない静かな店内。
俺は店先に迷い込んだ犬と相対した際に怪我をした手のひらを、彼女に差し出していた。
あの時連れて行った柴犬…………なかなかに可愛かった。
利口に俺の側を着いてきてくれるし、あれ以来撫でても噛まれることも無くなった。
大通りに出る直前に出会った、心配そうな顔をする女の子たち……姉妹だろうか。
まだ小学生くらいの2人の元にちゃんと送り届ける事ができたし、この怪我は名誉の負傷ということにしておこう。
「はい……できた」
「おぉ……。ありがと」
なんとなく俺も犬でも飼いたい気分になりながらボーッとしていると、正面から小さな声がかかった。
促されて怪我した手を見ると、しっかりと包帯が巻かれていた。キツすぎることも、ゆるくもない。更に形も整った綺麗な巻き方だ。
「手当上手だね。それに救急セット持ってるだなんて…………」
彼女の手際、それ以上に驚いたのはその荷物だった。
俺が怪我をしていると見るやどこからともなく取り出していくのは消毒液や絆創膏、包帯などの救急セット。
一応2階に上がれば俺も持っているのだが、有無を言わさず彼女は俺を正面に座らせてその手を取って手当してくれたのだ。
「おじいちゃんたちの怪我も怖いし…………。なにより私、血が止まりにくいから……感染症もかかりやすいし……」
「……………そっか」
ここに奈々未ちゃんが来て、そして調べる中で見つけた事を思い出す。
出血傾向や免疫不全…………どちらもアルビノの症状だ。
アイドルとしての彼女の情報としてはそんなの噂ですら無かったことだが、きっと裏では様々な苦労や辛さがあったのだろう。
「なんにせよありがとう。 お礼にコーヒーもう一杯奢るよ」
「えっ……いや……。こんなの大したことじゃ……」
「それともさっき帰ろうとしてたし…………もしかして、仕事が近かった?」
「ううん、今日はオフで……。いただきます……。ふふっ」
なんだかんだ、彼女は本当にコーヒーが大好きなのだろう。
そう嬉しそうに頬が緩む顔を見ると、作っている俺も嬉しくなる。
「――――今日オフなら、もう少しここにいれば? あの3人もそろそろ来るかもよ?」
「……いつもこの時間に?」
「まぁお昼食べたり食べなかったりマチマチだけど……早ければ。アレなら連絡すればすぐ来ると思うし」
いつもどおりの慣れた手順をもう一回、彼女に提供するために手を動かす。
今日は夏休み。明日も明後日も夏休み。休日の流れを沿うなら、きっとこの時間に来るだろう。夏休み羨ましい。
「そこまですることじゃ……。でも、今日も来るんだ……待とうかな……」
「みんなも喜ぶよ。 特に遥が」
なんだかんだ一番喜んでるのは遥だろう。
なにせファンだ。プライベートでも仲良くなれて嬉しくないわけない。
その分灯のふくれっ面が若干増えたけど。あと伶実ちゃんが俺の横に立つ回数が増えた気がする。
「遥……。うん、私も嬉しい」
「それに驚いてたよ。コーヒー飲めることに」
「そうなの?」
「もちろん。 遥はいつも無糖でチャレンジして失敗してるから」
別に飲めなくていいのに、それでも頑張るところがなかなか可愛い。
今度砂糖じゃなくって練乳でも入れようかな。彼女でもゴクゴク飲めそうだ。
「そうなの……。伶実と灯は?」
「2人も無理かなぁ……遥ほどじゃないけど」
2人もチャレンジしたけど、無理だった。
でも泣きながらってことはない。ちょっと飲んで、苦い顔して、諦める。それだけだ。
「そっか……。マスターさんは、どうなの?」
「俺? そりゃ飲めるよ。喫茶店経営してるくらいだしね」
むしろ一番こだわっているのがコーヒーなのだから、飲めないわけがない。
でも酸味が強いのは勘弁ね。
「ううん。マスターさんは、あの3人のことが好きなの?」
「…………うん?」
何やら思いもよらぬ響きに、ついお湯を落とすペースが崩れてしまう。
俺が……あの3人のことを?」
「それってライクで?」
「ラブで」
「ラブは……無いでしょ。向こうは花の高校生だし、俺は隠居まがいのマスターだし」
この年頃の女の子は、自分を楽しませてくれるかが大事だと聞く。
少なくとも半分隠居のような生活をしている俺にそんなものは無いだろう。俺が好きでも、彼女らがまず無いはずだ。良くて気のいい兄貴分的なものだろう。
「……そう。 ならマスターさんは、私のコーヒー仲間?」
「なにそれ? コーヒー仲間?」
「こうやってコーヒーを囲んで、雑談する仲間。 私もおじいちゃんとおばあちゃんを見て憧れてたの」
なるほど。それがコーヒー仲間か。
それはいいかもしれない。俺もコーヒーの感想とか言い合いたかったし。
「そうだね。 なら俺と奈々未ちゃんはコーヒー仲間だ」
「……うん。 よろしくね?マスターさん」
ふわりと。
出来上がったコーヒーを差し出すと彼女がこちらに向かって笑いかけた。
それはいつもの微笑ではなく、ニッコリとした笑み。
いつも儚げな雰囲気を醸し出す彼女のいつもと違う笑みに、思わずドキリとしてしまう。
「おっ………おう………」
「えぇ――――。 あっ、電話…………」
「あ、別に店内でいいよ。誰も居ないし」
そんな笑顔に戸惑っているとヴー、ヴー、と彼女のポケットから規則正しいスマホの振動音が。
どうやら電話のようだが、他に客の居ない店内では出てもらっても構わない。他に客が来なければ――――
「やっほー! マスターただいまっ!お昼ちょうだい~!」
彼女が電話に出た瞬間、勢いよく扉が開いて顔を出すのは遥、その人だった。更に後ろからは伶実ちゃんと灯も。
「遥、すまん。 静かに」
「え? …………あっ、ゴメン!」
けれどすぐに気づいたのだろう。
店の脇に逃げた奈々未ちゃんに視線を向けると何事か理解したようだ。小声で謝ってくる。
「ナミルンも来てたんだね……ってコーヒー! アタシ苦手なんだよなぁ……」
「じゃあ飲まなければいいのに……」
何故毎回毎回飲んで返り討ちにあうんだか。
カウンターに近づく3人と一旦外に出ようとする奈々未ちゃん。しかし、彼女が扉のドアに手を掛けた瞬間、俺達は同時にそちらへ視線を向けることとなる。
「えぇ!?」
彼女らしからぬ、驚愕の声。
思わず俺たちも様子を伺うと、彼女は店を出ることも忘れ、そのまま数度返事をしてスマホを耳から話した。
「奈々未さん…………どうしましたか?」
「その…………おじいちゃんが……おじいちゃんが…………」
「おじいさん?」
おじいちゃんと言うと、あの人か。
優しい、保護者代わりの男性。彼がどうかしたのだろうか。
そして彼女の次の言葉に俺達は全員、驚愕へと変貌する――――
「おじいちゃんが…………病院に運ばれたって――――」




