042.働き口
「ますたぁ~! 聞いて!聞いてよ~!!」
「…………どうした? いきなり?」
この店に【ナナ】こと黒松 奈々未さんが二度目の来訪をしてからおよそ30分。
少女の食事も終わり、それと同時に遥の人懐っこさが働いて、無事3人での歓談から4人になることができたとある夏の日。
俺はカウンターで下げられた食器を洗っていると唐突にカウンターへやって来るのはいつもの遥。
その切羽詰まった様子に少し慌てかけたが、奥に見える灯が苦笑いをしていることから、そんな深刻なものではないだろう。俺は手を動かしつつ口だけで問いかける。
「あれ?伶実ちゃんは?」
「レミミンは着替えに行ったよ! バイトの時間だよね?」
「あぁ、確かに……」
そっか、もうそんな時間か。
やっぱりみんなが集まると時が経つのがホント早い。
「それよりっ!さっきのだよ!! マスターにも関係するダイジなことなの!」
「俺にもねぇ……何の話だ?」
「ナミルンがねぇ……ここで働きたいって~!」
「………………はっ?」
時の速さにシミジミとしていると、まさかの言葉が彼女の口から飛び出して、思わず洗っていたコップを落としかける。
すんでのところでキャッチできたおかげで割れることはなかったが、正面の遥と目を合わせると、チラチラと俺と少女を交互に見比べていた。
「ここで働きたいって…………どういう?」
「アタシたちでこの店のこと伝えてたらナミルンがそう言っちゃって……。ねぇナミルン!こっちこっち!!」
その声に呼ばれた少女は、灯と会話しているのを中断してこちらに歩いてきてくれる。
唐突にここで働きたいってどういうことだ……?彼女はその前に自らの仕事があるだろうに。
「遥……さん。できたらなぁってくらいだ……ですから……大事にしなくても……」
「でもでも! そう思ってるんでしょ!?だったら早いうちに言っとかなきゃっ!」
少し興奮している遥に困ったように笑っている少女。
とりあえず――――なんて言ってたっけ?
「えっと……働きたいって聞いたけど……?」
「は……はい。ダメ……ですか?」
「だめというか……」
やっぱり聞き間違いじゃなかったか。
だめというか、そもそも働き口を探すまでもなく、彼女はアイドルとして成功している。
実の入り的にも、ここと比べ物にならないくらいの額を貰っているだろう。きっとここの1年分を向こうの10日で稼ぐとか、そんなレベルで。
「ナナ…………黒瀬さんには芸能活動があるから、別にこっちで働く必要なんてないと思うんだけど、アッチをやめたいとか?」
「みんなと同じく奈々未でいい……ですよ?」
「あぁ、ありがと。奈々未ちゃん」
なんだかこの頃、女の子を下の名前で呼ぶことに抵抗が無くなってきてる自分がいる。
伶実ちゃんを呼ぶ時なんか、かなり緊張してたんだけどなぁ……。
遥は別として。遥はその性格からか呼ぶことに抵抗ないんだよね。
「アイドルを辞める…………そうかも、しれません」
「ナミルン!?」
思わぬ衝撃発言に遥が驚き、伝播するようにテーブル席に居る灯も目を丸くする。
アイドルを辞めたいか……高給のぶん、嫌なところも多いのかもしれない。
「なんで辞めるのナミルン!? もしかして誰かに虐められてるとか!?」
「いえっ……。職場はみんな優しい……です。みんなよくしてくれますし、嫌なことなんて何も……」
「じゃあ! じゃあ辞める必要ないじゃんっ! それとも、みんなの前で歌うのが疲れちゃった……?」
遥はテストが終わって真っ先にライブを見ようとするほどアイドルとしての彼女が好きなのだろう。
しかしそんな問いかけにも奈々未ちゃんはゆっくりと首を横に振り、そうではないと告げてくる。
「そうじゃ……ないんです。 歌うのも好きですし、撮影も楽しいです。 でも、おじいちゃんとおばあちゃんが…………」
「おじいちゃんとおばあちゃん?前に来てくれた?」
遥の言う通り、前回来てくれたあの老夫婦のことだろう。本人もそう呼んでいたし、間違いないはず。
人当たりの良さそうな、いつも微笑んでいる夫婦。まさに理想の夫婦という形だ。
たしか事務所の社長さんだっけな。奈々未ちゃんしかいない事務所の。
「はい……。そろそろ2人もいい年……ですから……。ゆっくり……していてほしいんです」
「…………あぁね」
もっともな言葉に俺も納得の声を上げる。
あくまで見た目だが、70は越えているだろう夫婦。歩きなどに支障はなさそうだったが、やはり行動に移すには少しラグがあった。
親として見てるらしいし、体調の心配をしても何ら不思議ではない。
「でもでも!それなら社長?を別の人に頼めば……!」
「私がダメ……なんです。 2人がいないと……ちゃんと話せませんし…………」
たしかに。
あの時夫婦相手に話していた様子と、今の様子を比べたら雲泥の差だ。
夫婦相手だと明るい声で言葉に詰まることもないが、今は逆。声量も小さくて話し方だけ切り取ればアイドルなんて思いもしないほど。
「話せないので……接客……は……わかりません。でも、お料理は……得意ですので。家では私が作って……ます」
なるほど料理。
家で作ってるなら、きっとここでの調理も問題なくこなせるだろう。
接客は伶実ちゃん、そして調理は奈々未ちゃんか。
伶実ちゃんも容姿もよく人当たりもいい。そしてアイドルである奈々未ちゃんが手づから作った料理が食べられるとなれば、お客さんはこんな辺境でも殺到するだろう。
さすがにそんな、2人を使って宣伝するような真似はしないが。
まだまだ学生だしアルバイト。この子達を利用するなんてしたくない。
「マスター……なんだかアタシもナミルンの味方したくなってきちゃった……。ダメかな……?」
「そうはいってもなぁ……」
彼女がここで働くということは、それすなわちアイドルを辞めるということ。
保護者である老夫婦を楽させ、あの2人じゃないと活動ができないと言うなら、もうアイドルは続けられないだろう。
つまりアイドルの進退を俺に委ねられたようなものだ。 …………重たい!!
「そ……そうだ! ここ以外のバイトとかは?そもそもバイトをしないって選択肢も……!」
「それは……。 ここは付け回されることもなく落ち着く……ますし、何より唯一の……お友達がいますので…………」
「ナミルン…………!」
唯一…………。
その言葉だけで苦労していることが感じられた。
学校にも行っていないみたいだし、仕事も忙しく、友達を作るのは難しいのだろう。
「それに……ほんのちょっとでもおじいちゃんとおばあちゃんを、楽させてあげたい、ので……。心配、かけたくないので」
や、優しい……!
アイドルとしての蓄えもあるはずなのに、まだ働こうというのか。
彼女は本当にあの2人のことが大好きなのだろう。
このバイトも、随分悩んでいたのかもしれない。
もしかしたら、そんな時ここを見つけてチャンスと思ったのかも。
「ますたぁ…………」
「う~ん……」
いつか妹になった参観日のように、潤んだ瞳でこちらを見上げてくる遥。
俺だって彼女の意思を尊重したい。
しかしそれと同時に、荷が重い。
そう簡単に辞められるものなのか、俺の一存で決めていいのか、まずあの夫婦に話をつけるとか、色々とある。
……そうだ。まず夫婦と話をつけてもらうところから初めてもらわないと――――
「どうしたんです? みんな深刻そうな顔をして」
「レミミンっ!」
頭を悩ませ、ひとしきり悩ませた結果とりあえずの結論が出たところで、店の奥からやって来るのはここの制服に身を包んだ伶実ちゃん。
彼女は事態を把握していないようで不思議そうな顔を浮かべる。
「聞いて!聞いてよっ!! ナミルンがここでアルバイトとして働くかもしれないのっ!」
「アルバイト……ですか?」
「うん!!」
もはや決まったかのように告げてくる遥。
気が早いぞー。まだ何も決まってないからね。
「それは……難しいと思いますよ?」
「なんで!?」
衝撃の事実を聞いたにも関わらず伶実ちゃんは怪訝そうな顔を解くことはない。
それどころか、詳しい話を聞くまでもなく伏せる彼女の目。
難しい……?
なんだ?何の問題が……?
「だって奈々未さん、中学生ですよね? アルバイトをするにしては年齢が…………」
「「「あっ…………」」」
至って冷静な、当たり前の事実を耳にして、俺たち一同小さく声を発す。
そうか……奈々未ちゃんってアイドルとして働いてるけど中3なんだ。
まさか。まさか基本的すぎることを、揃いも揃って忘れてた俺達であった―――――




