036.白色
「遥先輩っ! お疲れさまでしたっ!!」
勢いよく店内に入ってきた遥。そんな彼女のもとに、まさに光速といっていい速さで灯が駆け寄っていく。
「おっ、あかニャンも来てたんだね! おっつかれ~!どうだった?テストは」
「はいっ!問題ありませんでした! その様子だと遥先輩も…………」
彼女のその問いかけに遥は「ふっふーん!」と鼻を鳴らす。
そのままいつものテーブルにてバッグを漁った後、数枚の紙を灯に手渡した。
「えっと、43、72、55、64、60…………すごいっ!大躍進じゃないですか!!」
「でしょでしょ~! アタシだってやればできるんだからっ!!」
そのまま鼻が高くなるといわんばかりに腰に手を当て背中を反る遥。
俺も驚いた。その点数は赤点どころか平均に届くレベルだろう。もはや目標完全達成、母親にも殴り込みではなく大手を振って会いに行けるほどだ。
「もしかしたらこのまま成績伸びていってあかニャンを追い抜くかもね~?」
「はいっ! 遥先輩だったら絶対できますよっ!!」
ちょっとそれは……難しいんじゃないかなぁ?
おそらく灯は伶実ちゃんよりも頭良さそうだし、まだ乗り越えるべき壁は多い。
そいや、伶実ちゃんは?遥一人で来たけど来てないの?
「――――あんまり天狗になっちゃいけませんよ、遥さん。 勝って兜のなんとやらです」
俺が3人目の姿を探していると、ようやく追いついたのか茶髪の少女が店にゆっくりと入ってくる。
その肩は軽く走ったのか少しだけ上下させながら。遥……どれだけ全力で走ってきたの……?
「ごめんごめんレミミン。つい嬉しくなっちゃって」
「今度こそ目標達成ですものね。 ……マスター、ただいま戻りました」
「おかえり。 遥は問題なかったみたいだね。 伶実ちゃんは…………その顔だと、大丈夫そうだね」
カウンターを挟んで俺の前にやってきた彼女も笑顔。この様子だとみんなテスト結果は上々ということだろう。
少なくとも退学どころか補修もなさそうだ。みんな夏休みを無事迎えられそうで一安心だな。
「――――じゃっ!ようやく山場は越えたんだし……。マスター!ちょっと音出していい!?音楽聴きたいの!!」
「音楽? まぁ、他に人が来ない限りはいくらでも流していいが……珍しいな」
遥が意気揚々と席に座り、バッグから取り出したのはタブレット。
なんだ?これまで遥がこうやって音楽聴くことは無かったはずだが……しかもいつものスマホでなくタブレットだなんて珍しい。他の2人も不思議な顔をしている。
「遥さん、どうしたんですか? 音楽?」
「うんっ! レミミンは知ってる? 【ナナ】って人。最近出てきたアイドルなんだけどさ、その人のライブが月曜から配信してたんだよっ!!もう待ちきれなくってこのためにテスト頑張ってたところもあるくらいだよ~!」
なんだって? なな?アイドル?
とりあえず、彼女が今夢中になってる人か。それが2日前から配信されてて今まで我慢していたと……。そりゃ真っ先に見たくもなるか。気持ちはわからないでもない。
「ナナ…………あぁ、そういえば聞いたことあります。 すごく白い方ですよね?」
「そうそう! すっごく可愛くてさ~!もう歌もいいのっ! レミミンも一緒に聴こっ!あかニャンもっ!!」
「はいっ!」
遥は2人にも見せるためにタブレットをテーブルに立て、椅子も準備する。
伶実ちゃんも知ってるのか。灯も口こそ出さないものの心なしか興奮しているように見える。
「マスターも見る!? ちょっと狭くなっちゃうけど……アタシを膝の上に乗せてくれるなら見せてあげても……い~よ?」
「……い、いや、俺はいいや。 そのアイドル知らないし」
そんな魅力的な誘いは勘弁してくれませんかね?
俺だってできるものならしたい。でも彼女の柔肌に触れた途端お縄まっしぐらだ。隣にひっついている灯だってあからさまに警戒してるし。
「え~!? マスター、ナナを知らないの~!?」
「おっ……おう…………。そんな有名なのか?」
「有名もなにも! テレビはもちろんネットじゃ毎日見るほどだよ~!!」
そう言われてもなぁ……。
ウチにテレビは無いし、ネットだって広大だ。女子高生のアンテナにこんな隠居のような喫茶店マスターが追えるわけもないだろう。
「……まぁ、俺はお茶請けでも用意してるから好きに見てな」
「わ~いっ! ありがと~! アタシオレンジジュース!」
「はいはい」
彼女たちの注文を聞き、それぞれのジュースとお茶請けを用意する。お茶請けは……まぁ、簡単にクッキーとかでいいか。
そうこうしていると、ふと彼女たちの方からリズムに乗ったサウンドが聞こえてくる。再生させたのか。
タブレットから聞こえてくる音はライブのスタートにはアクセルに欠ける、しっとりとしたバラードだった。
しかし、それでも聞こえてくるのは力強い歌声と心地よい音楽。それぞれが融合してシナジーを生むように、音楽やアイドルに疎い俺でも良いと思える曲。
「……なかなか良い曲だな。 はい、用意出来だぞ」
「ありがと。 ね、良いでしょこれ」
ジュースやお菓子をテーブルに置きつつチラリと見た画面には、真っ白な人物が映っていた。
服も白く、髪も白い……瞳は蒼色だろうか。
容姿は完全に日本人離れしている。顔も整っていて、アイドルの中でも間違いなくトップクラスの位置に属するであろう人物がタブレットの中で歌っていた。
「マスターも見る気になった? 今ならアタシの下でいいよ?」
「……いや、3人で楽しんで。俺は――――ストップ。始まったとこで悪いがお客さんだ」
少し流されそうになってしまったが、すんでのところでやんわりと断ることが出来た。
さてこれから店の掃除でもしよう……そう踵を返したところで、テスト終わりでようやく始まったと思われた宴は、早くも中断された。
チリンチリンと、いつもの音とともに現れた人物は2人のお客さん。
一人は男性、一人は女性。その年は少なくとも70は越えてるだろう。夫婦……だろうか。
「すみません。お邪魔してよろしいですか?」
「いらっしゃいませ。 お好きな席にどうぞ」
滅多に客は来ないからどこでも空いてる。
……しかし、その人物はニコニコとするのみで入り口から動こうとしなかった。何事かと様子を伺うと、視線はずっと俺ではなく固まっている彼女たちの方へ。
どうした?何かまずいことでも…………って、音楽鳴りっぱなしじゃん!
「遥、悪いけど音楽ストップ。迷惑になるから」
「えっ……あっ! ごめん!!」
どこかボーッとしていたのか、窓から外を見ていた彼女は二度目の呼びかけでようやく気がついたようで慌てたようにタブレットを操作して停止させる。
しかし、それでもお客さんは動こうとしない。違ったのか……?
「あの……お客様?」
今度こそ案内しようと近づいていくも、老夫婦は微笑みを崩さぬままタブレットを手にしている遥へと話しかける。
「流してくれていても構いませんよ。…………【ナナ】の曲ですよね?」
「―――! は、はい!知ってるんですか!?」
「もちろん。 いい曲ですよね」
「はいっ! マスター!やっぱりナナは有名なんだよっ!!」
まじか…………
ドヤァ……といい笑顔を見せる彼女に俺は天を仰ぐ。
流す許可を貰ったのも驚きだが、そこまで世の中に浸透していて俺が取り残されているとは。
何か、俗世に触れることしないとなぁ……。
「ところで……マスターさん、ですか?」
「え? は、はい」
「もうひとり……構いませんか?3人になるのですが……」
「? それはもちろん構いませんけど……」
なんだ?改まって。
別に団体じゃないなら1人でも2人でもそう変わりはしない。
俺の言葉にゆっくりと頷いたおじいさんは、外へと手招きして3人目の人物を招き入れる。
って、これは…………。
「い……いらっしゃいませ……」
――――その人物は、真っ黒だった。
真っ黒の帽子に真っ黒のコート、そして黒のサングラス。上から下まで真っ黒だ。
外は灼熱地獄なのに暑くないのだろうか。
……はっ!もしかして強盗とかそういう事をするために!?
何者かもわからぬ人物に最悪の状況を思い浮かべ慌てて身構えかけたものの、俺の行動よりも早くおじいさんの口が飛ぶ。
「これっ! 店の中なんだから脱ぎなさいっ!」
「ごっ……ゴメンおじいちゃんっ!!」
おじいさんに叱られて返ってくるその声は、少女のものだった。
声色は慌てていても、透き通るような、聴くものすべてを癒やすような声。
まさしく生まれ持った才能、まさしく一瞬で分かる天才。こんな人物が歌を歌えば人類を魅了することなど容易いだろう。
「すみません、こんな怪しい格好で。ちゃんとした子なんですが外ではこうでもないと……」
「いえ、お気になさらず…………って、あなたは…………」
俺は帽子にコートを脱いだ彼女の姿を見て目を丸くする。
黒を脱ぎ捨てた彼女は、真っ白だった。
真っ白の服に真っ白の髪。そして吸い込まれるほど綺麗な蒼色の瞳を持った少女――――まさしくさっきタブレットで見た【ナナ】が、そこに立っているのであった。
 




