027.婚約者
――――今日何度目かのチャイムが聞こえる。
それは午後2つ目……6時間目の授業を終える、時報の音。
パンフレットを見た限り、この学校で予定されている本日のカリキュラムは6時間で終わりのようだ。
この後に予定されているのは放課。俺の記憶を参照するとホームルームで先生の話をいくらか聞いて終了といったところだろう。
当時の俺ならば、ようやく拘束され続けた授業から開放される時間。
そんな輝かしい時間に、俺はまだ屋上に続く扉の前でボーッと時間が過ぎるのを待っていた。
チラリと右下に視線を移すと、授業開始からジッと階段に座っている高芝が。
彼女は授業が終わるまでの1時間弱、膝を抱えながらその場から動かなかった。
堂々と授業をサボるのはどうかとも思って聞いてみるも、「行かない」の一点張り。さすがに彼女に連れられたとはいえ、こうなった原因は俺にあるのだからどうにも彼女を置いて去るなんてことは出来ない1時間だった。
「チャイム、鳴ったぞ」
「……はい」
「今日の授業終わりだが、教室、戻らなくていいのか?」
「…………うん」
膝を抱えた彼女から返ってくるのは簡潔な返事。
その『うん』はどっちの意味だろうか。
「戻らなきゃ……いけません、ね」
「……なんというか、突然来たせいで悪かった」
「いえ、あなたは悪くありません。 むしろ今まで友達付き合いを疎かにしていた私のせいですから……」
それはもう……結果論だ。
人付き合いが上手く行かないなんて結局運だと思う。
すれ違い、タイミング、機会損失など様々な要因があるだろう。
確かに自らの責任が無いとは言わないが、それでも何かきっかけがあればまた上手くいくはずだ。だってまだ入学したばかり、チャンスはまだ転がっている。
彼女はようやく移動する気になったようで、「よし!」と小さく呟いてから腰掛けていた階段から立ち上がる。
「あの……都合のいい話ですが……。もし私があなたを頼って……助けて欲しいって言ったら……助けてくれますか?」
「そりゃもちろん助けるが……俺のこと疑ってるんじゃないのか?」
一瞬降りるかと思われたが、足を動かすことなく下を向いて聞いてくる言葉に思わず問い返してしまう。
これまでの事を考えるに、高芝は俺のことをよく思っていなかったはずだ。それなのに頼ってくるなんて……。
「それは…………」
彼女は少しだけ俺の方へ顔を向けてからキュッと口元を噤ませる
表情までは見えないものの、ほんの少し紅く見えていることから、恥ずかしがっているような感覚。
「それは……その……わたしだって、これまで喫茶店に通って少しは信頼してるんですよ……少しは…………。だから、頼ってもいいですか?」
「……高芝がクラスに溶け込めるなら何だってするさ」
…………そっか。
恥ずかしそうに口を尖らせる彼女に何も指摘することなく、当たり前のことを口にする。
正直、信頼してくれてるって言ってもらえて嬉しかった。特別何かした覚えはないが、これまで遥に勉強を教えていく上で会話を重ねたおかげだろうか。
もちろん、助けるのは当然だ。クラスに溶け込めない辛さは、俺も分かっているつもりである。
俺にはイジメなどの記憶は無かったが、うまく溶け込むことができず教室では一人ぼっち……。
嫌な記憶だ。それを解消できるなら、俺ができることなら何だってしよう。
「……ありがとうございます。あともう一つ…………さっき『秋日和』が話しているのを聞いたんですよね? 何を言ってましたか?」
「秋日和?」
「あぁ、すみません。あの3人の通称です。秋穂に日向に乃和……合わせて秋日和です」
「……なるほど」
ポケットから取り出してスマホに打ち込まれた文字を見てすぐに理解ができた。
3人の名前を一つづつ取って『秋日和』か。なかなか上手いことを考える。
あの3人が言ってたことか……。たしか…………
「なんで朝から居るのとか、本ばっかり読んで何考えてるかわからないとか」
「そうですか…………」
どこまでの悪意が込められているかはわからないが、内容的にはそんな感じだった。
俺の言葉に一瞬だけ顔を伏せたものの、彼女はしっかりと前を向いて俺を正面に据える。
そしてそのまま小さく「すみません」と呟いて、またも俺の手首を掴んで階段へと足を向けた。
「教室、行くのか?」
「……はい」
「俺もセットで……?」
「…………はい。 ですが、すみません。ちょっとお騒がせするかもしれません」
お騒がせ?何のことだ?
そう疑問に思ったのもつかの間。彼女は力強い言葉にギュッと握っていた手を更に強く握りしめ、強い足取りで階段を踏みしめる。
何階か降りてから曲がって廊下を突き進み、渡り廊下も通って自らの教室へ。途中何人もの生徒や親とすれ違ったが、彼女は意にも介さない。
そして目的の教室に着いたのだろう。たどり着いたのは1-1のプレートの真下。
彼女は教室の前で2、3度深呼吸し、小さく自らを鼓舞してその扉を開けた。
ザワッ――――
と、友達同士で様々な会話をしていた人々が、扉が開かれると同時にこちらを向く。
それは科学室で一斉に向けられた目と同じ…………好奇の目だった。
何が面白いのかはわからない。けれど名も知らぬ少女たちは面白いものを見る目でこちらを見つめている。
「高芝……これって……」
「静かに」
高芝はそこまで奇異な目で見られる存在なのか――。
そう問いかけようとしたが、ピシャリと嗜まれて何も言えなくなってしまう。
好奇、驚き、不思議――。様々な感情が込められた目を一身に受けている彼女は、何を言うわけでもなく窓際の一番後ろ……きっと彼女の席だろう。そこへと、俺の腕を掴んだまま足を動かした。
「高芝さん」
「…………何でしょう、秋穂さん」
俺たちが席へたどり着いたと同時に話しかけるのは、さっき見た顔。
階段で話していた3人娘の一人だ。彼女は俺と高芝を交互に見て怪訝な顔を浮かべる。
「先程急いで出て行かれて授業に戻られませんでしたけど、お父様…………には見えませんね。 この方は?」
「この人ですか…………」
随分と綺麗な物言いをする。表向きはこういう話し方なのだろうか。
秋穂と呼ばれる人物が視線を移すと、つられるように高芝が俺を見上げてきて、つい目が合ってしまった。
パッツンとした黒い前髪と、整った可愛らしい顔つき。しかし今日はその表情になにか含みを持たせるように、目が合った瞬間ほんの少しだけ申し訳無さそうな顔を浮かべた気がした。
「この人はですね――――」
「やっほー! あかニャンっ!ホームルーム終わったぁ!? ってマスターも居るぅ!」
「遥さん! 見たらすぐ分かるじゃないですか!まだ終わってませんよっ!! マスター!こんなとこに――――」
高芝の言葉を遮るかのように突然教室に現れたのはいつも見た顔、遥と伶実ちゃんだった。
おそらく高芝を迎えに来たのだろう。
しかし2人が現れても高芝は気づいていないのか、見向きすらせずに口を動かす。その結果、遥を抑えるように現れた伶実ちゃんの言葉は、高芝の言葉によって最後まで言うことは叶わなかった。
「…………な…………なんて…………」
目の前に立つ秋穂なる人物は、まるで信じられないものを見たかのように目を丸くし、再度高芝に言葉を投げかける。
問われた高芝は、今度こそ誰にも分かるように口をフッと持ち上げ、同じく驚きに満ち溢れている俺の腕を取った。
「聞こえなかったですか? この人は私のフィアンセです。 私、彼と婚約してますので」
そう自信たっぷりに告げる言葉に、俺も、少女も、遥も、伶実ちゃんも。
教室に居る全員が驚きに満ち溢れ、その場から動くことも、言葉を発することもできなくなってしまった――――




