025.きちゃった
「やっばい…………どしよ…………」
誰も居ない廊下にて1人、俺は誰にも聞こえない呟きを零す。
その声は誰の耳に届くことも無く空気中に溶け、ポケットに突っ込んだ紙をガサゴソを開いていく。
「おっかしいなぁ……ココらへんだと思ったんだけど…………」
開いたパンフレットの目的部分――――校舎地図を眺めながら辺りを見渡す。
……やはり誰も居ない。せめて生徒でも、1人でも見かければ声をかけようとも思ったが、ここまで人っ子一人見当たらないとなればもはや諦めるしかない。
――――迷子だ。
シンジョに入って1時間とちょっと。俺は早々に、ここかどこかもわからない迷子になってしまった。
その経緯も単純明快。
あれから2-2の教室にて伶実ちゃんと遥の授業を見学した俺は、休み時間に突入したタイミングでトイレに行きたくなり、トイレ探しの旅にでかけた。
地図を頼りに探し当てたところまではよかった。そこから何を血迷ったのか、そのまま戻ればよかったもののほんの少しの好奇心が胸をくすぐり、心のままにフラフラと辺りを散策したお陰でここがどこかもわからなくなったのだ。
原因は分かっている。あの好奇心だ。
おそらく数年越しの憧れがようやく叶ったから、俺もテンションが上がっていたのだろう。
でも、だからといって迷子になるとは思ってなかった。こんな状況を遥……は、ともかく。伶実ちゃんに知られたら年上としての威厳が無くなってしまう。
早く、迷子のお知らせで校内放送される前にここかどこか把握しないと。そんなものはないことくらい知ってる。言ってみただけ。
「でもなぁ……すごい学校だなぁ……」
とりあえずパニックになっても仕方ない。どうにかなるだろうとパンフレットを仕舞って窓に近づいた俺は外の様子を眺める。
ただっ広い土地に大きな校舎が3つ。そのどれにも生徒の営みがあるのだろう。校舎の周りにもプールや体育館、挙句の果てには噴水まで見える。これが私立の力だというのか。
校舎や主要施設の外れ、遠くに見える体育館くらいの建物はきっと寮だろう。聞いたことがある。高校以上の生徒を受け入れてると。
……でも、ここまでいたれりつくせりだと、小学からなど長年女子校育ちの場合、男子への耐性とかそういうの社会に出てから大丈夫なんだろうか。今度遥あたりにでも聞いてみよ。
「――――――――」
「……?」
ボーッと漏れる冷房のお陰で快適な空間から外の湿気の強そうな空間を眺めていると、ふと聞こえてくるのは何者かの声。
これは……女子の声?複数……もしかして、だれか近くに居るのだろうか。
「な――――が、い――――ね」
「ん…………?」
階段のほうだろうか。一歩一歩踏み出すたびに徐々にではあるが声が大きくなる。
その声は、たどり着いた階段の上から聞こえてきた。あそこは…………Rの文字が見えるから屋上へ続く道?
「なんであの子が授業参観に限って朝から居るのよ……」
「ねー。 いつもお昼に来るんだから今日もって思ってたんだけどぉ」
「勉強できるからってそれを見せつけに来たんじゃない? ほら、何考えてるかわからないとこあるから、あの子」
…………なるほど。
何を話しているかと思えばあまり人に聞かせられないような会話だったか。
――――いわゆる陰口。いわゆるそしり。
思わず耳に入ったのは驚きだが、別に不思議にも思わない。
何人か集まって合わない人のことを話すのは俺の学生時代にもあったし、女子は男子のそれとは比べ物にならないくらい陰湿ともアイツが言っていた。
声的に3人ってとこだろうか。
こういう時どうすればいいのかもちゃんと理解している。そっと立ち去ればいいのだ。
幸いにも彼女たちは屋上付近に居るみたいだし、俺はそのまま気づかなかったフリをして階段を下に――――
「ホントホント。勉強できるのはわかったから飛び級でもなんでもすればいいのに……えっと、名前なんて言ったっけ?」
「何だっけ……えっと…………そうそう、高芝さんじゃなかった?高芝 灯」
「――――!?」
数歩下ったところでその名前を耳にし、思わず声の方向へ振り返ってしまう。
高芝 灯。
最近ウチによく来るようになった少女だ。
遥のことを心酔していて、勉強もできて、俺のことを嫌っているあの子。
「あぁ!そうそう! 高芝さん……全国トップには驚いたけどずっと本ばっかり読んで何考えてるんでしょうねぇ……午前中も授業サボって何してるんだか」
「もしかしたら、勉強できないあたしたちのこと見下してるんじゃない? ほら、高校授業なんて午後受けるだけで十分だって行動で示してるのよ」
「ありえる! 表向きすました顔してるけど身体は正直~!ってやつだよね!?」
「乃和……全然意味違うし……。 アンタはホントに勉強したほうがいいんじゃない?」
アハハハ!と三人の笑う声が聞こえてくる。
高芝…………クラスメイトとうまくやれてないんだな。
別に最近知り合っただけで俺とはなんともないんだけど、知り合いがああ言われるのを聞いたとなっちゃ黙ってはいられない。
ちょっとドン引きされるかもだけど、一言くらいは言わないと気がすまな――――
「――――あっ!やば! そろそろチャイムじゃん!早く戻るよ!!」
「えっ!?ウソ!? やばっ!!」
「――――!?」
踵を返して下りかけていた階段を上がろうとした途端、そんな声とバタバタと上から音が聞こえてくる。
ヤバい!こっち降りてくる!!
「ほらっ!2人とも急いで!置いてっちゃうよ!」
「今行く~!」
「まってぇ! アタシ2人と違ってスパッツ履いてないんだからさ~!」
今上がってきた的な雰囲気を出していると、その横をすれ違うように駆け下りていく少女が3人。
……あの三人か。覚えたぞ。
それぞれの顔を記憶にとどめながら彼女たちの行き先を目で追っていくと、階段を下りた道を右へ。そこに高芝もいるかも知れない。
「………………ここか」
後をついていくと、案外早くたどり着くことが出来た。
どうやら彼女たちの向かった先は科学室のようだ。曲がった先が行き止まりで助かった。
チラリと閉められた扉から中を覗くと、テーブルを囲むように座る生徒たちと、その後方に保護者と思しき大人たちもいる。これなら入れそうだ。
「さてと、目当ての人物はっと…………」
こういう時に恐る恐る入ったら逆に怪しまれるのは必然。あえて堂々と入った俺は目当ての人物が居るかどうかを探してみる。
…………お、あの3人見っけ。でも今回は目的と違うんだよな。本命は――――いた。
幸いにも、彼女は扉からまっすぐいった最奥におとなしく座っていた。
他の生徒たちは同じテーブルの友人たちと楽しく談笑している中、一人だけポツンと離れるようにして本を開いている小柄の女の子。
俺はそんな彼女に近づいて頭の上から声をかける。
「よっ。高芝」
「…………へっ?」
その声に読んでいた本から顔を上げて見上げた表情は、ポカンとしたもの。
まだ現状を理解していないのだろう。俺は片手を上げてなんともないように挨拶をする。
「きちゃった」
「なっ…………! なななな…………!?」
茶目っ気たっぷり。
軽い気持ちで笑顔を見せたつもりだが、ようやく事態を理解した彼女はそのまん丸な目を大きく見開いて更に大きく、そして驚きに満ちた顔を見せてくれる。
……と、そこまでは俺も予想の範疇だった。
ここからは俺の予想していなかったこと。
彼女が驚くと同時に、そのテーブルに座る他の生徒が伝播するように続々と視線が俺へと向けられてくる。
……ん?なんでみんなこっち見てくるの?
「あれ? 俺何か不味った?」
「…………っ! ちょっと、来てください」
「え? あっ!ちょっと!!」
いずれその視線が科学室の端まで伝わり、部屋全体が静寂に包まれたところで目の前の高芝が突然立ち上がる。
そしてそのまま、俺の言葉が聞こえてないかのように手首をギュッと握りしめ、科学室を連れ出されるのであった――――




