022.死地への誘い?
「遥先輩、そこのnotですが、置く場所が間違ってます」
「えっ? ここじゃだめなの?」
「ここに置くとですね――――」
少し離れた位置にある女子校、心月女子高等学校……通称シンジョの制服に身を包んだ少女たちはそれぞれ手元に視線を下ろしながら手を動かしている。
もはやここしばらく、何度も見てきた、見慣れた光景。
一人の少女がアルバイトから始まって、テスト勉強にともう一人の少女を連れてきてからは加速した勉強している光景だ。
基本はそれぞれ黙々と勉強し、場合によってはつきっきりで教えることもある、至って真面目な空間。
しかし今日はそんな普段の光景とは少し勝手が違う。俺がカウンターでお湯を沸かしながらあたりを見渡すと、普段と違う新たな人影がそこにはあった。
「――――ってことで、ここはto不定詞を否定してるんですよ。場所によって意味が変わるので間違えやすいです」
「ふむふむ……なるほどぉ……」
熱心な様子で遥に英語を教えているのは、彼女の後輩である高芝 灯ちゃん。
平均より小さな体躯に長い黒髪、そして真面目な雰囲気を纏った可愛らしい少女だ。
しかしその実態は天才少女。なんでも1年から3年までをひっくるめた全国模試でトップの学力だとか。そして遥に助けてもらったからか心酔……いや、愛しているほどらしい。
まさしくそれを体現するかのように、隣り合う2人の距離はゼロ距離というほど近かった。遥はその気持ちに気づいているのか、はたまた既に聞いているのかはわからないが、俺からは問いかけることができていない。
でも、今は嫌がってる様子もないし俺が気を回すこともないだろう。…………高芝の顔が少し緩んでいることを除けば。
「灯さん、週末の授業参観、どなたか来られるのです?」
「ふぇ? あっ、はい。その日はどちらも忙しいみたいで……。私の親は来れないみたいなんですよ~」
ふと思い出したように問いかける伶実ちゃんに対して、彼女はなんてこと無く答える。
あの2人も、あの雨の日は初対面のようだったが今では普通に話せるようになっていた。
へぇ……週末参観日なんだ。なら伶実ちゃんのバイトも考えなきゃな。
「そうですか……私もなんですよ」
「あっ! アタシは来てくれるみたい!ママがだけどね…………」
伶実ちゃんも親は難しそうで、遥は母親が来ると。
…………あの人が来るのか。遥にとってプレッシャーにならなければいいが。
「それは……私もご挨拶しなきゃいけませんね」
「うんうんっ! ママもレミミンに会いたがってたよ~!」
「えっ!? 伶実先輩って遥先輩のお母様とお会いしてたんですか!?私もお会いしたいです!」
「いいよ~!週末ねっ!」
いつしか全員動かしていた手を止め、雑談モードへ。
開始してから……2時間か。以前も遥は2時間で中断してたし、ここが集中力の限界なのだろう。
俺はここらが見計らっていたタイミングだと感じ取って準備していた物を手に彼女らのテーブルに近づいていく。
「みんな、アイスティーだけど飲むか?もちろん奢りだ」
「いいの!? 甘いの!?」
「もちろん」
「わーいっ!」
両手を上げて喜びを表現する遥。
遥はもちろん、伶実ちゃんもあまりストレートのように甘みの少ないのは好みじゃない。あとはこの子の好みがどうなっているかだが。
「はい、伶実ちゃん」
「ありがとうございます」
「高芝は……甘いヤツだけど良かった?」
「はい……。あ、ありがとうございます……」
少し戸惑いながらもコップを受け取った彼女も、一口つければ顔をほころばせる。
よかった。彼女も例にもれず甘いものが好きなようだ。
「ねぇねぇ! マスターは当時どうだったの!?」
「当時って?」
「授業参観!あったでしょ? お父さんお母さん来てくれた?」
あぁ……どうだったかな…………。
「中学のうちは来てくれたと思うけど……たぶん高校になったら来なかったと思う。普段から仕事で忙しい人だし」
「そっかぁ……やっぱりそういう人たち多いんだねぇ……」
こればっかりは仕方ない。
でも、今考えたら親は気を遣ってくれてたのかなとさえ思う。来てたら恥ずかしくて集中できないし。
「伶実先輩、遥先輩のお母様ってどんな方です?」
「えっと……真面目な方……でしょうか。あの時は状況が状況だったので少し怒ってる様子でしたが、娘思いの良い方でしたよ?」
圧がある人ではいたよね、うん。
でもいい人だ。耳打ちしてまで冗談まで言う人だし。
「そうなんですねぇ。 伶実先輩のご両親はどんな方です?」
「私ですか? 普通の親ですよ。特に言うべきこともない普通の――――」
「――――そうだっ!!」
伶実ちゃんと高芝の会話をカウンターに寄りかかりながら聞いていると、ふと何かを思いついたように遥が大声をだしてその場から立ち上がる。
その突然の行動に伶実ちゃんの言葉は途切れ、2人して彼女の様子を見上げる。
「ど……どうしたんですか遥さん、いきなり……」
「ごめんごめん。 ねぇねぇマスター!マスターもウチに遊びに来ない!?」
「…………? どゆこと?」
彼女が何か思いついたように視線を向けるのは俺の方向。
遊びに来る?どこに何をしにだ?
「ほら、今週末参観日だからさ。 その時にマスターもアタシたちの様子を見てみない?って提案なんだけど……どうかな!?」
「は…………。い、いやいやいやいや。無理でしょ。色々と。問題ありまくりでしょそれ」
何を言うかと思えば参観日の誘い。
いや、さすがに無理がある。そういうのってちゃんとした父兄じゃないとダメとかそんなんじゃなかった?
「でもでも! レミミンにあかニャンが寂しいよっ!2人の為にもっ! ねっ!」
「ねっ! って言われてもねぇ……」
戸惑いながら二人の様子を伺うも、いまだ驚いた表情のままだ。
これは俺に加勢して遥の思いつきを止めることはできそうにない。
「どうせ警戒されるのは入口だけだし、入った後は問題ないって! 入るときもママと一緒に入れば問題ないしさ!」
「えぇぇぇ…………」
なんとも驚きの提案に俺も言葉を失ってしまう。
普通の共学ならまだしも、女子校だよ?俺が行って事案になんない?
「ねっ!面白そうだよね! レミミン!あかニャン!」
「いえっ……いくら遥先輩の頼みといえども私はその…………」
「そう……ですね。 私は賛成します」
「伶実先輩!?」
伶実ちゃんっ!?
高芝は拒否しようとしたものの、伶実ちゃんはまさかの賛成。
いやなんで!?俺を死地に誘いたいと!?
「私は親にこういう行事で来てもらった記憶はありませんが、マスターだったら問題も起こさないと信じてますから」
「…………マジ?」
「まじです!」
マジかぁ…………。
驚きが一周回って若干冷静になってきた俺は、最後の一人となってしまった高芝を見る。
彼女は手と腕を必死に動かして拒否の意思を示していた。
しかしその手をまさかの動体視力で止めた遥は、自らの掌で彼女の手を包み込んでその瞳を見つめる。
「あかニャン…………ダメ?」
「ぅっ……! それは……」
「おねがぁい…………」
「………………はい」
けれどやはり、高芝は遥に弱かったようだ。
手を握られ、至近距離で見つめられればさすがの彼女でも陥落。
愛の力とでも言い換えようか。
「やったぁ!あかニャン大好き! それじゃ、マスター!当日はよろしくね!」
ギュッと高芝を抱きしめながら俺へとウインクする遥。
そんな彼女の笑顔を、俺は苦笑いで受け止めるしかできなかった。




