020.誤解の加速
ここは喫茶店の2階、俺が寝起きする居住スペース。
その内の一角、洗面所にて俺は今日初めて会う女子高生と対峙する。
バックグラウンドには洗濯機が奏でる無機質な駆動音。俺は背中に一筋の冷たい物を感じつつ、平静を装って相対した。
彼女が、ここ暫く俺を怖が…………ゴホン、警戒させていた犯人か。
何故あんなことをしていたのか不明だが、まさかこんな早くに姿を現すとは。
俺は自らの身長の肩ほどまでしかない彼女を視界に収める。
綺麗な艶のある黒い髪と茶色の瞳。少し恐れを感じさせるような笑みを浮かべる表情。そして――――
「そっ…………それで、なんで毎日俺の店を嗅ぎ回ってたの?」
「そんなの、いついかがわしい店として尻尾を出すか見張ってたに決まってたじゃないですか」
腕組みをして堂々と応える様は、先程のオドオドとしていた様子とは180度変わっていた。
もしかして、こっちが素なのか……?俺は彼女から目を逸らし、適当な壁に視線を移しつつ返答する。
「別にウチは純粋な喫茶店なんだけど……」
「そんなのウソです! だってこんな人目につかないところに店を構えて……夜な夜なイヤラシイことしていたんでしょっ!! あのお二人を解放してあげてくださいっ!!」
「さっきも言ったでしょ? 喫茶店は道楽的な部分があるって」
さっき一瞬信じてくれたように思えたけど、信じてなかったのか……。
俺にはそういう店を作るどころか、行く勇気すらないんだから。行く勇気をください。
てか、夜な夜なってまさか…………
「もしかして……夜も嗅ぎ回ってたの!?」
「いえ、 夜は門限があるので見てません。お昼のあの時間だけです」
「えぇぇぇ…………」
見てないのかいっ!
それで決めつけるとはなかなか……。
「とにかくっ! あのお二人を…………遥先輩を解放してくださいっ!どうせ何か弱みでも握って脅してるんでしょう!?」
「むしろ俺が遥に振り回されてるんだけど!? ……って、遥だけ?」
「私にとって遥先輩が全てですから」
わぁ!いい先輩後輩関係だなぁ……!
って一瞬思ったが、何やら不穏な言葉が。
……全て?どゆこと?
「――――私は先月まで、クラスで浮いてました。学校にもあまり行かず、クラスでも一人ぼっち……。そんな時、遥先輩が手を差し伸べてくれたのですっ!!私を誘って学校行事を一緒にこなして……。それ以来私の全ては遥先輩に捧げてるのです!貴方みたいなどこの馬の骨かも知らない人に渡しませんっ!!」
…………………。
あーー、ね。なるほど。だいたい理解した。
遥のあの性格だ。物怖じせずに初対面でもあの調子で別け隔てないから、何らかのタイミングで彼女を誘ったのだろう。
そして学校で孤立していた時に誘われたものだからクリティカルヒット。以来心酔してると。…………心酔程度で済むといいなぁ。
「その……じゃあキミは遥のことどう思ってるの?」
「そんなの、私の身も心も全て捧げるに決まっていますっ! 私は遥先輩のことが大好きです!愛していますっ!!」
先月って言ってたし、まだ……会って一ヶ月だよね?
遥……この子に何したの?
「なのでその遥先輩がこんないかがわしい店で働くなんて看過できませんっ!ホントは証拠を集めて警察に突き出したかったのですが…………この際仕方ありません。遥先輩を解放してください!!」
「いやね、だから――――」
「それに! もし先輩が居なくなることで問題が生じるなら……………そのっ……!私が……私が代わりに…………」
…………えっ?
目の端で捉えてるだけでよく見えないが、突然語気を弱めた彼女はしきりに手をこすり合わせつつ視線を泳がせ、目を真っ赤にしている。
えっと?つまりそれってどういう?
「だ……だからっ! 私が代わりに働きますので遥先輩だけは見逃してあげてください!!」
「いやっ! まってまって! 話を聞いてっ!」
「確かに遥先輩のスタイルは良いですが…………私はちんちくりんで……それに経験も無いのですが…………それでも頑張りますのでどうか――――って、さっきからなんで私の目を見ないんですか!?」
何やら一人で盛り上がってる彼女は、ずっと俺が視線を合わせないことに気づいてからは一歩ズイッとこちらに近づいて見上げてくる。
その距離およそ20センチ。目と鼻の先に立つ少女をなお逸らしていると、彼女は不満を示すようにつま先立ちになってさらに近づいてきた。
「そんなに……それほどまで私は見る価値が無いって言うんですか!? 遥先輩じゃないとダメなんですか!?」
「……その……この角度だと……隙間が…………」
「なんです? 隙間?」
「胸元の隙間が…………」
俺は極力視線を逸らしつつ、指先だけで今まで気にしていた部分を指差す。
彼女の今の姿はワイシャツ一枚。それも俺のだからダボダボかつ、第二ボタンまで外した際どい格好だ。
その上、下着まで洗ったというのだから、その下に何も付けていないことは言うまでもない。俺は控えめな彼女のそれが隙間から見えそうになっていることをそれとなく指で伝える。
「隙間…………きゃ…………キャァァァァ! 変態!先輩だけじゃなく私まで毒牙にかけようとするんですね!!」
「理不尽!?」
さっきまで体育座りしながらずっと気にしてたじゃん!それが勝手に盛り上がって隠すことも忘れて、こればっかりは俺に非はない!
「そうやって遥先輩を脅して手篭めにしたんですね! 私はそうはいきませんよ!身体は奪われても心だけは絶対に貴方のものにはなりません!!」
「手篭め!?遥を!?」
「だってそうでしょう! 学校でも話すことといえばこの店のことばっかり!熱くて苦いものを飲まされ泣かせたり、そうかと思えば甘いもので釣ったり……。ズル……最低です!」
「誤解っ!!」
誤解を招く表現すぎる!!
苦いものってただのコーヒーだから!甘いものもパフェとかそういうのだし!
「散々言ってるけど、俺は――――」
「たっだいま~! マスター!あかニャン!仲良くしてた~!」
「――――あっ…………」
最悪のタイミングで、二人が帰って来てしまった。
今の状況といえば一人盛り上がった彼女が胸元を指摘され、逃れるように床に倒れ込んで座っている状況。
そして俺といえば開かれた扉に背を向けている形で、まさしく襲いかかろうとしている図に見えなくもない。
ついでに鳴るのは洗濯機からの軽快なリズム。同時に洗濯も終わったようだ。
「ちゃんとクリーニング出してきたよ~! それに下着とオマケにデザート…………も…………?」
「遥さん、そんなところで何してるんですか? 私が入れないんですけど」
今の状況を目の当たりにして固まってしまう遥。同時に横から覗き込んでくる伶実ちゃんとも目が合ってしまった。
やばい…………誤解された…………この状況、どう考えてもこの子が被害者で俺加害者だ。
「………………。ふぅ、丁度洗濯も終わったみたいですね。 ほらほら、そんなとこに座り込んでないで立ち上がってください」
「え……あ、はい。 すみません……」
叫びだすか、もしくは勘違いした彼女に叩かれることも覚悟したが、この状態を見ても至って冷静を保っている伶実ちゃんは、俺達の間を通り抜けて洗濯機へ。
同時に倒れ込んでいた少女を起こし、俺へと視線を向ける。
「マスター。 すみませんが下着とかも入ってるので、部屋の外に行ってもらって構いませんか?」
「あ、うん…………」
その理にかなっている指示に、今まで呆けていた俺も踵を返して洗面所を出ていこうとする。
「すみません。 …………あ、もう一つだけ、マスター」
「?」
去り際に、背後から声をかけてくる伶実ちゃん。
振り返って見た彼女は、いつもどおりの可愛い声で、そして可愛らしい笑顔で――――
「ちゃんとさっきの光景…………私達が出ていっている間、何をしていたのか……キチンと聞かせてもらいますからね?」
「…………はい」
冷静で、笑顔でも、その内には何か湧き上がるものがあったようで。ついついその笑顔の裏に隠れている冷たい何かに自らの背筋が凍るような感覚に襲われる。
俺はその場を彼女たちに任せ、一人トボトボと階下の店へと歩いていった。