019.三日月型の笑み
洗濯機特有の、ゴウンゴウンという音が鳴り響く。
その機械の中に入って洗浄されていくものは、俺の服など一切なくまた別の人の物。
雨に濡れたらしい制服と、同時に着用していた下着。更にはその下着を付けていたせいで巻き添えになってしまった体操服と。つまりは彼女の身のものほぼ全てだった。
唯一洗濯していないのはスカートくらいだろうか。しかしそれこそ最も汚れが酷く、何故か泥だらけになってしまっていた。さすがにスカートは洗濯できないということで伶実ちゃんと遥がクリーニングに行ってもらっている。ついでに洗濯した下着も求めて。
俺は何故か今日初めて会った女の子と、自宅で二人きりになってしまっていた。
喫茶店の上に構えた、小さな部屋。
俺一人で居を構えるだけだったからそこまで大きくなく、2DKといったところ。寝室と物置と、あと料理する場に洗面所と簡単な部屋だ。
そんな俺しか来ないはずの城に、名も知らぬ女の子が上がってきているのだ。
初めて俺の部屋に上がってくる少女。それは小さく可愛らしい美少女だった。
パッツンにした前髪と上下左右に揺れるポニーテール。おとなしそうな見た目を裏切ること無く控えめな言動と、小さな体躯。
まさしく小動物のような女の子だった。
けれど、決して犯罪を犯したわけでもいかがわしいお店から遣わされた子でもない。ただ助けを求めてやってきて、それに応えただけなのだ。
どうやら彼女はこの雨の中傘も差さずに登校してきたようで、身にまとっていた制服はびしょ濡れになり、オマケに滑って転けたせいでスカートは泥だらけになってしまったらしい。
更に寝坊して昼に登校してきたから制服を乾かす間もなく放課後になってしまったと。体操服を着ても下着が濡れていたから結局透けてしまったのが先程見た状態らしい。
それを重く見た先輩、遥が「その状態で電車に乗ったら間違いなく痴漢される」と、無理矢理俺の店に連れてきた…………というのが事の真相だ。
そして当の不幸な後輩ちゃんは、身の物全てを洗濯してしまったことから動くこともできず、俺のシャツを貸りて洗面所に籠もってしまった。
さっき通りがかった時ちらりと見えたけど、ずっと体育座りで回る洗濯機を眺めてたな…………。
「あー……ちょっといい?」
「…………はい」
俺は空いた隙間から覗かないようにしつつ、洗面所へ続く扉を軽くノックする。
問いかけて暫く待つと向こうから聞こえてくる静かな声。
「温かいココア入れたけど、飲む?」
「…………はい。 ありがとうございます」
いくら夏近いとはいえ雨に濡れて何もしていないのは身体に毒だ。冷房の効いた部屋だとなおのことだろう。
お風呂はさすがに入らないって言うし、せめて温かい飲み物で温まってもらわないと風邪を引く。
ブカブカなシャツから見えそうになる隙間を片手で必死に抑えつつカップを受け取った彼女は、ココアに目を落としつつ口をつけようとはしない。
その震える肩は寒さからか怖さからか……。
「その……何も変なのは入れてないよ? もう5分位すればあの2人も帰ってくるだろうし」
「ぁ……。 す、すみません……。 いただきます」
訝しんでいることを咎められたと思ったのか、彼女は謝りつつそっとカップを口につける。
最初は本当にほんの少しだけ口につけるといった感じだったが、好みの味だったのかパチクリと目を見開いてそのままクイッとカップを大きく傾ける。
良かった。ココアで正解だったようだ。
コクコクと、小動物のようにココアを飲むのを目に捉えつつ、俺はあまり視界に収めないようにしながら洗面所の扉へ背を預けた。
「遥が迷惑かけたね。どうせ変に気を回して無理矢理連れてきたんでしょ」
さっき遥に引っ張られてきたことを考えるに、きっと彼女が妙案か何か思いついたようにここへ連れてきたのだろう。
そうでなければ女の子を一人、男の部屋に置いていかない。 いや、信頼してくれることは嬉しいけどさ……。
「いえっ……! はい……。お店まで閉めてしまって、すみません」
「いいのいいの。どうせあの二人以外誰も来ないんだし」
ホントに。店を閉めたところで営業には何も問題はないのだ。
利益的には赤だけど問題ない。
(誰も来ないことは…………知ってます)
「えっ?何か言った?」
「い、いえっ! なんでも……ないです……」
なにか小声で言ったような気がしたが、どうも違ったようだ。
俺が視線を移したことによって彼女が慌てたように身体を縮こませるのを見て、しまったともとに戻す。
「時間は……用事とか大丈夫そう?」
「はぃ……。 バイトも部活も、やってませんので」
「そっか…………」
「はい…………」
………………気まずい!!
なんで遥に続いて伶実ちゃんも行っちゃったの!?
そもそも初対面で話が盛り上がるわけ無いじゃん!!視線向けたら怯えられるし、だからといってあんな虚ろな目をして体育座りする子を放っておけないし……今日ほど遥の明るさを求めたことはない。
「その…………マスター……さん」
「……うん?」
なんとなく居心地の悪い静寂を耐えていると、ふと呟くように俺を呼ぶ声が。
今度はそちらを見ないように声がけで応える。
「どうして先輩方は……ここに来るんですか?」
「先輩方って遥と伶実ちゃんのこと?」
「はい……」
どうして…………そうだな…………
「伶実ちゃんはバイトとしてウチで働いてるけど、遥は……なんだろ……テスト勉強?」
遥が来る理由について考えたが、それしか思いつかなかった。
最初はそう言ってたけど、ここのところ勉強してる姿見たことないのよね。テスト大丈夫か?
「アルバイト…………もしかして、いかがわしいお店ですか?」
「!?!?!?!? な……突然なにを!? 至って健全なお店だよ!?」
ポツリと呟いた彼女の言葉が耳に入り、思わず俺は壁に張り付くように驚いてしまう。
いかがわしいって……そんなことするわけない!むしろただでさえ事案云々が怖いのに、そんな自ら死地にいくようなことしてたまるか!
「でも、お店にはお昼もお客さんが居ませんし、喫茶店の皮を被ったいかがわしいお店なんじゃ……」
「客がいないのは俺の道楽的な運営だから! むしろいかがわしい店にする暇があれば俺も初めて捨ててるからっ!!」
そう。そんな店にするくらいだったら俺はとうに童貞じゃなくなっている!!
あの二人にそんな世の中の暗い部分を見せるくらいだったら店畳むわ!!
「そう……ですか…………。よかったです……」
「もしかして今まで怯えてたのって、そういう可能性があったからってこと?」
「……はい」
何故そこまで怯えてるかと思ったら、そういう理由だったのか。
でも、昼に客が居ない、ね…………。
「ねぇ、俺からも一つ聞きたいんだけどさ」
「はい…………?」
「なんでウチの昼に客が来ないって分かるのかな? それにスカートの汚れ。今日って確か昼に登校してきたんだよね?どこで汚したの?」
「………………」
そう、最初に来た時からもしかしたらという気はしていた。
あまりにも来るタイミングができすぎている。そして昼に鳴ったあの音と濡れ具合。もはやできすぎて気づいてくださいと言っているようなものだった。
「…………ふぅ。 やっぱり、気づいちゃいますよね」
体育座りになっていた彼女は立ち上がって俺と向かい合う。
下げていた視線を上げて向かい合う彼女の表情は――――笑顔。
まさしく先程の問いかけが真実をだと告げているかのように、目の前の彼女はニヤリと三日月型に口を歪ませた笑顔をこちらに向けていた。