018.お化けのお客?
シトシトと雨粒が軒先を叩き、静かな空間にほんの少しの音を加える。
小刻みに、しかしリズミカルに聞こえる雨音は、静寂ともいえるこの店に一種の彩りを加えていた。
耳に届くのは時計の音に水を沸かす音、そして雨音だけだ。
今日も今日とて客の居ない喫茶店。俺はそんな静かな空間を一人で十二分に楽しんでいた。
あれから、中間テストやお酒入りチョコレートでドタバタした日から、およそ一ヶ月の時が経った。
世間は梅雨。コンビニやスーパーがこぞって傘を置き始め、虫やら湿気やらの解決道具のコーナーをここぞとばかりに賑わせてくる季節だ。
一方我が店は相変わらず客の居ない寂しい喫茶店。しかしそれも俺の望んだことで、一人カウンターで来るわけの無い客を待ちながら大きな欠伸をする。
1ヶ月経てども状況というのは殆ど変わらない。
あいも変わらず伶実ちゃんはアルバイトをしに来るし、遥は遥で今度は「期末テストが~」とか言って伶実ちゃんと同じ頻度でここへやって来る。どうやら学校でも仲良しになったらしい。
一応、この一ヶ月客は皆無だったわけではない。
フラッと立ち寄った客を何組か応対したりして、きちんと仕事はしている。
しかし、それでも立地が立地だからかリピートということにはならず、常連と言えるのは現時点で遥だけ。
―――――あぁ、常連は遥だけと言ったが、少しそうとも言えない事情があったか。
時刻は……12時。そろそろか…………。
「…………今日も来たのか」
ふと目の端に捉えるナニカに視線を向ければ、店の曇りガラスをサッと横切る謎の影。
それはここ2週間ほど、平日のこの時間に限定して何故か現れる影だった。
平日限定で毎日現れ、そして目の端に影を捉えるだけで何者かも全くわからない謎のもの。
その正体は2週間近く経った今でもわからず、ただ影と気配を感じるだけで何もしてこない存在。
これだけ聞くと幽霊そのものだが、あいにく俺に霊感というものは欠片も備わっちゃいない。
最初のうちこそ怖かったものの毎日だと意外と慣れる。何もしてこないし、ものの10分ほどで気配は消えるし。
だからこの存在はあの2人には言っていない。
あの2人が知ればこの店を敬遠してしまうかもしれないから。なんだかんだ言って遥の払いっぷりとあの美味しそうに食べる姿は失いたくない。
あと、これはあくまでついでだけど、、俺が幽霊だなんて信じたくない。
本当についでだ。主目的なんかでは決して無い。
だから今日も気づかないフリして沸いたお湯をコーヒーサーバーに落とそうとした、その時だった。
――――ガタンッ!!
「うおぉっ!?!?」
突然。
店の扉から発せられる今まで無かった衝撃音。
それは何かが倒れたような、そんな音だった。破裂音…………?いや、何か倒れた……………?
「な……なに…………?」
もはやコーヒーを淹れるどころじゃなくなった俺は扉の向こうを凝視する。
しかし、さっきの音以降なんの音沙汰がない。
…………え、なに?さっきの?
ここってそういう物件だったの?でも最近まで何も無かったし、何も聞いてなかった。
でも謎の影に謎の気配、そしてあの音はもしかして…………ポルターガイスト?
――――いやいやいやいや。 ないないない。
だってここらにお墓なんてないし病院跡地だとかそういうことでもない。
そもそも今は12時だ。昼真っ盛り。太陽がてっぺんに登ってくる時間帯だ。今雨だけど。
「だれ…………ですか…………?」
恐る恐る呼びかけるも返事は一切ない。
もしかして本当に…………そういう存在なのだろうか。
あまりにも客が来なさすぎて哀れに思った霊が客として来たとかそんな感じ?
そんなのお引取り願いたいんだけど。たとえ来てくれても俺霊感無いから応対できないんだけど。
必死に冗談を思い浮かべて気を保ちながらゆっくり、ゆっくりと扉へ近づいてく。手には箒を握りながら。
一歩。また一歩と近づいていくも向こうからの応答はない。
「この……向こうか……」
脳内で鳴り響く警鐘を片隅に引っ込めた俺はなんとか扉の目の前までたどり着く。
今まで我慢してたけど、もう我慢出来ない。いい加減何者かくらいは確かめないと気がすまない。あとあの二人が怖がるかもしれないんだ。いつ二人が来る夕方にまで手が及ぶかもわからないんだ。
そう理由をつけ、自らを鼓舞した俺は扉のドアノブを固く握り、ゆっくり開け放つ。
その向こうに居るのは一体誰なのか――――
「っ…………! あれ…………?」
そぉっと開けて見た外は、誰も居なかった。
ただいつもどおりの道。そして天から降り注ぐ雨。足元を見ても小さな子が居るということもない。
しかし変わっていることといえば、立て看板が倒れていることだろう。
俺がポルターガイストかと思ったそれは、この看板が倒れていることだった。
ひとまず音の正体が判明したことにため息をついて元の位置に戻す。
「風? 俺の勘違い…………? それとも――――」
本当に幽霊?
誰も居なかったことに肩透かしを食らいながらも、恐怖心を抱きながら扉を閉めようとしたところで、開いた扉の死角側からパシャリと水の跳ねる音が聞こえた。
「誰!?」
今度は叫ぶように覗き込むも、やはり誰も居なかった。
しかし耳に届くのは遠ざかるように小さくなる水の跳ねる音。それはまさしく駆けていくような。
誰か…………居た。
それも幽霊ではなく、人間の。
そう確信を得るに十分すぎる物を目撃してしまった。
俺が慌てて覗き込んだ先。
そこには街角へ消えていくスカート――――春からよく見るようになったシンジョの制服が、フワリと舞ったからだった。
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―――――――――――
―――――――
「――――ってことがあったんだよ~」
「へぇ…………誰なんでしょうね…………」
その日の夕方。俺は昼にあったことをバイトに来た伶実ちゃんに話していた。
今まで黙っていたが人間だと分かった以上怖がることはない。問題は誰なのかということだ。
「心当たり、無いんだ」
「12時……ですよね? 私達はお昼休みで来れないことはないですが、私も遥さんも一緒に教室でご飯食べてましたので……」
あぁ、二人が違うならもうお手上げだ。
それ以外にここと接点ある子なんて知らない。これまで来た数少ない客の中でもあの学校の生徒は来なかった。
「そっかぁ……ホントに幽霊なのかなぁ……」
「やっ……やめてくださいっ! そ、そんなの……居るわけないじゃないですか!」
実際に人を見た俺にはもう幽霊と言っても冗談で片付けられる。
しかし彼女は違うようだ。隣でアイスコーヒーを手にしているも、その手は震え氷とコップが幾度もぶつかってカチャカチャと音を鳴らしている。
「もしかしたら伶実ちゃんの後ろのその影が…………」
「っ――――! もうっ!怒りますよっ!!」
「ごめんごめん! 冗談だって!!」
少しからかいすぎたのか立ち上がって抗議する彼女に俺は慌てて謝罪する。
もうずっとこうして無駄話をしてきて、このくらいの冗談なら軽く言えるようになった。あとそうやって、からかった時に膨らます頬が可愛い。
「もうっ! マスターが取り憑かれても知りませんからねっ!」
「ごめんって。 ――――お、いらっしゃいま…………ってなんだ、遥か」
そっぽを向く彼女に謝っていると、突然鳴るのは扉の鈴。
誰か客が来たかと思えばいつもの遥だった。
「やっほーマスター! ちょっと悪いんだけど洗濯機と乾燥機ってここある~!?借りてい!?」
「洗濯と乾燥……? 二階のウチのでいいなら構わないが……。 どうした?雨で濡れたか?」
確かに外は雨が降っている。しかしここから見た感じそこまで濡れているようにも見えない。尻もちでもついて後ろ側がびしょ濡れにでもなったか?
「ありがとマスター! アタシじゃなくってね……ほら、良いって!」
「いいですよぉ……我慢しますから……」
「よくないって!もう透けてるんだから電車乗れないでしょ!! ほら、入る入る!」
「キャッ!!」
そうやって引っ張られるように引き込まれるは、顔の知らぬ少女だった。
黒色の髪を持ち、前髪を揃えてカットした、後ろ髪がポニーテールにしている少女。
整った容姿といつかの伶実ちゃんを彷彿とさせるオドオドさ、そしてその小さな体躯と敬語から、彼女らより年下だと推測された。
「その…………洗濯機…………貸してもらえませんか……………?」
「もちろんいいけ…………っ――――!!」
目の前にやってきた少女を不思議に思いながら覗き込むと、俺は思わず息を呑む。
そう言って前かがみになりながら身をかがめ、涙目になりつつ見上げてくる少女の纏った体操服は、濡れたせいか水色の下着が透けてしまっていた――――。