016.ワザとの一粒
ポチャリと。
シンクに溜まった水たまりに、蛇口から漏れ出た水が落ちて跳ねる音がする。
室内に響くは時計から聞こえる時を刻む音。ただそれだけがこの空間を支配していた。
部屋の隅にはスゥスゥと胸を上下させながら規則正しく寝息を立てている少女、伶実ちゃん。
あれから彼女は電池が切れたように俺の腕の中で意識を失い、ソファーに眠らせた。
そして彼女が眠る直前、慌てたように店へやってきた少女は――――
「アハハ…………」
「………………」
俺の目の前で、困ったように笑いつつ冷や汗を一筋垂らしている。
つい最近まで目の前の少女が勉強していたカウンターすぐ正面のテーブル席。そこに俺と彼女は向かい合うように座っていた。
ひきつる笑顔をする少女に、腕を組みながら黙って見つめる俺。しかしそんな緊迫する空気もすぐに崩れ去った。
「ごめん!マスター! レミミンにお酒入りのチョコ渡しちゃったっ!!」
張り詰める空気に耐えきれなかったのか、両手をテーブルに叩きつけながら頭をもテーブルにつける遥。
そんな様子を見て俺も組んでいた腕を解き、一つ息を吐く。
「遥…………。なんで母親から預かったものを伶実ちゃんに渡したんだ? 大事なものなんじゃないのか?」
「いやぁ……チョコ自体は全然。 マスターに食べてもらうようにママから渡されたんだし」
「俺に?なんで?」
あのチョコ俺に渡す用だったの?伶実ちゃんからは一言も聞いてなかったんだけど。
「ほら、テストの件でマスターにお世話になったじゃん?だからママがチョコでも差し入れなさいって言われたんだよね。 それで今日ここに来ようとしたんだけど先生に呼ばれちゃって。だからレミミンにお願いしたんだ。先に2人で食べてって」
「ふむ…………」
テストの件か。確かに場所提供したがそれくらいだ。
むしろあんな直談判しちゃって嫌われてるかと思ってた。
「でも、ママってばレミミン用に渡すチョコも用意してたけど渡し忘れてたみたいで。そのメッセージが来たのがついさっき、ついでにお酒入りなのもそこで知っちゃったんだ」
「あぁ……………」
なるほど…………。不幸な行き違いが発生してしまったか。
俺と伶実ちゃんそれぞれにチョコを用意したのに、俺の分……つまりお酒入りだけを渡しちゃってこんなことになったと。
どれどれ……俺もチョコを一粒っと。
…………うわっ!なにこれ強!?
チョコやお酒自体はかなり美味しいんだけど、その分お酒もかなりきつい!これは耐性なければ酔うのも無理ないかも…………。
「どう? マスター」
「…………うん、すごい美味しい。これ有名なチョコだし、高かったんじゃない? でも度数がなかなか――――」
「美味しいんだ! 私も一つもらうね!!」
「――――って、おいっ! これお酒入ってるって分かってるのか!?」
テーブルの真ん中に置かれたチョコに舌鼓を打っていると、あろうことか警告した遥までもがパクリと口へ放り込む。
なんでお酒入ってるって分かってて自ら食べに行く!?
「へーきへーき! 一個くらいだったらタブン大丈夫だって! それにママが強いんだしアタシも興味がっ……ぁ…………」
それまで元気だった彼女が、段々と語気が弱まり身体にブレが生じてくる。
パッケージに書かれた個数は12個。そして現在テーブルの上にある個数は9個。
つまり3つなくなっている。今俺と遥が口にして、残る一個は伶実ちゃんということに…………それは、一個でも相当な威力を有していると…………。
「えへへぇ~~。 まぁすたぁ~!」
「バッ! こんな早くに一個で酔うのか!?」
二人とも一個だけで酔うとか弱すぎだろ!
わかりやすくフラフラになりながら語気も間延びした彼女は、椅子から立ち上がって正面に座っている俺の元へ。
見下ろす形になった彼女の表情は、笑顔。
いつもと変わらぬ笑顔のようだが、今は恐怖を覚える。
なにか狙われているような…………何を考えてるかわからない、そんな恐怖。
「マスタぁ~! うわぁ~!なにこれ~!カチカチだぁ~!」
「ちょっ! 何して…………離れ…………!!」
ニヤリと輝かしい……輝かしい?笑顔を見せつけた遥はそのまま倒れ込むように俺の胸元へ。
抱きつく形になった彼女は物珍しそうに胸元や腕、腹筋などを指でつついて歓声を上げている。
「やぁ~………だっ! だってこんなの初めてなんだも~んっ!」
「初めてって……色々と恥ずいから! ……グッ!なにこれ!?固!?」
思い切り引き剥がそうと肩に手を当て力を込めるもビクともしない。
大の男とはいえ運動も何もしていない飲食業。身体を鍛えることもしていないから力には自信なんてない。しかしビクともしないのは驚愕そのものだ。まるでお酒の力によってリミッターが解除されているような気さえする。
それにホントに女の子って同じ人間なの!?
すっごいいい匂いするしすっごい柔らかいし…………太ももに彼女の特別柔らかな感触が乗ってない!?
「んも~! そんなにアタシのことも触りたいんだったら………………ちょっとだけだよ?」
「…………へっ?」
「ちょっとだけなら……マスターになら…………触らせてあげても……い~よ?」
俺の色々な箇所に触れていた彼女がゆっくりと離れ、顔を伏せたかと思ったら今度は胸元に手を当てながらゆっくりとこちらに迫ってくる。
段々と近づく、彼女の大きなそれ。恥ずかしそうに顔を赤めるのを伏せながらも、精一杯勇気を出して近寄ってくる様に俺は生唾をゴクリと呑む。
い……いや、それはマズイって!事案に……事案になってしまう……!
「マスター?」
「遥…………」
そんな思いとは裏腹に、顔を背けることも抵抗することもできず、ただ黙って彼女の接近を待ってしまう。
遥の手が俺の肩を掴み、後ろに抜け、段々と抱きしめる体勢に。顔を赤くして目を瞑った表情を正面に迎えつつも、俺も呼応するように目を瞑ってその行く末を受け入れようとすると―――――ふと肩にもうひとり、腕を通す遥とは別にもうひとりの何者かが俺に触れてきた。
「――――なにをしてるんですか?」
「…………ほえ?」
「…………えっ?」
「マスターに遥さん、私を寝かせて2人で、何をしようとしているんですか?」
突如上から降り注ぐその言葉に俺と遥の動きが止まって、壊れた玩具の用にギギギと首を動かすと、そこにはニッコリと笑みを浮かべる伶実ちゃんの姿が。
彼女の身体は横に振れること無く、しっかり2本の足で立っていつもの調子で俺たちに語りかける。
「れ……レミミン、これはね……アタシもお酒が入っちゃって…………そう!それ!ほら、アタシもチョコレートを食べちゃってさっ!だから――――」
「遥さん?」
「はいっ! すみませんっ!!」
今まで顔を赤くして酔っ払っていた遥が顔面蒼白。お酒が一気に吹き飛んだように気をつけの姿勢になる。
これまでみたどの姿勢よりも綺麗な姿勢。それを見た伶実ちゃんはゆっくりと微笑んで、次というように俺へ視線を移す。
「さて、マスター? これは一体どういうことでしょう?」
「え~っと、これはね? 色々と不幸な事故が重なって…………」
「はい。 ちゃんと全部お聞きしますので、全部、話してもらえますか?」
「…………はい」
俺は自然と、椅子の上で正座しながら笑顔の彼女への説明を始める。
その姿はまさしく、浮気のバレた彼氏のようだった――――。




