015.犯人は誰か
「マスター……どうでしょう…………?」
「…………」
音楽のなにもない、静かな室内にカチャリと唯一の音が鳴る。
音の発生源――――目下にあるカウンターへと視線を下ろすと、白いカップに白いソーサー。カップの内側には黒い水。
ゆっくりとカップを持ち上げて息を吸い込むと、ふんわり嗅ぎ慣れた香りがいっぱいに広がる。
家具や服などに染み付いているかもしれない、特徴的な香り。それを俺は目一杯楽しみ、カップに口をつけてグッと傾けた。
口の中に広がるは目一杯の苦味とその内に感じられる香ばしさ、酸味、甘み。
その深みをゆっくりと楽しみ、喉奥へと流し込む。
「マスター…………」
「――――うん、美味しい。 だいぶうまくなってるよ!」
「!!」
カップの中身が半分になる頃でようやく感想を口にすると、キュッと固く噤んでいた彼女の口が開いてぱっと笑顔が生まれる。
3人での買い物を終えた週明けの月曜日、俺は今日もバイトに来た伶実ちゃんの要望も受けて、彼女の淹れるコーヒーの味見をしていた。
彼女が持ってきたというチョコレートとともに告げられたのは、「練習してきたのでコーヒー飲んでください」という言葉。
その前向きな言葉に嬉しく思いつつも、以前の水事件があって警戒していたが、味も香りも前に淹れた日から比べてだいぶ上達していた。それを素直に伝えると彼女は安心したように息を吐く。
「前に作った時はただの黒い水だったのに…………。どこかで練習でもしてた?」
「はい、家でお母さんに何度か飲んでもらいました。どれも美味しいって言ってくれるのは嬉しかったのですが、上達してるのか不安だったんですよぅ」
そっか、家で……。
当初彼女に任せるつもりだった仕事は配膳や掃除くらい。料理はもとより、コーヒーを淹れるのもコツが色々あって任せるつもりなんて一切なかった。
しかし彼女の努力具合には感服だ。もしかしたら近い内にコーヒーを任せる日も来るかもしれない。
「どうですかマスター? 私に淹れるのを任せてみるとか……?」
「ん~……まだ早いかな。 もうちょっと上手くなれば、もしかしたら……」
正面、カウンターの内側で楽しそうに両手で頬杖をつく彼女に、俺はやんわりと否定する。
まだお金を取るには少し早い。お湯の注ぎ方にムラがあるし、何よりまだ入って短い彼女にそこまでの責任を負わせられない。
「そうですかぁ……残念です。 この調子で料理も教えてもらいたかったのですが……」
「? もしかして、料理とかしてみたいの?」
入った当初、彼女は料理に自信が無いと言っていた。
なのに教えてもらいたいとは、なかなかの向上心だ。
「はいっ! 私が料理できるようになればマスターが楽できますよね!?」
「そりゃそうだけど…………料理できるようになって時給を上げるのは難しいよ?」
ただでさえ客来ないんだし。
これ以上時給を上げたらこっちが破産してしまう。
「いえっ! 私はマスターに楽してほしいだけなんで、時給アップだなんて全然!」
「楽って言ってもなぁ……客が来ないから、楽もなにも……」
後ろを振り返って客席を見れば、誰一人として座っていない、椅子とテーブルの数々。
客が居ないのだから俺にとって忙しいも楽も無い。悲しいかな、スキルが増えても使う機会がないんだ。
「それでも、色々と楽になるはずですよ?」
「…………?」
「ふふっ。 さ、飲み終わったみたいですしカップください。洗っちゃいますので」
謎の言動に不思議に思いつつも、自然と手と口は動いていたようで、いつの間にか空っぽになっていたコーヒーカップを渡す。
彼女はピョンと今まで座っていた椅子から飛び降りるように立ち上がって、受け取ったカップやコーヒーサーバーなどをシンクに――――
「――――あれ?」
「どうしましたか? マスター」
「さっき耳元が光ったんだけど、それって…………」
「あ、これですかぁ?」
ふと椅子から飛ぶ時に見えた、耳近くの光。
何事かと問いかけると彼女は髪を書き上げるように持ち上げて、その正体が判明した。
耳に見えるのは蒼色の雫。先日俺が贈ったイヤリングだ。
嬉しそうに俺に見せつけた伶実ちゃんは、楽しそうに蛇口をひねって洗い物を開始する。
「可愛いですよねこれ。 私、イヤリングなんて初めてでお風呂と寝る時以外はいっつも付けてるんですよぅ」
「校則とか……学校は大丈夫なの? あの学校色々厳しいって聞くけど」
「校則ではダメですが、髪で隠せちゃうんで…………。ヒミツですよ?」
フフッと楽しげに笑いつつ俺にウインクする伶実ちゃん。可愛い。
確かに彼女の茶色の髪は昨日までの纏めて前に流すスタイルとは違い、ストレートに落としている。その髪の長さは腰の上ほどもあり、なんだか優しげな雰囲気から真面目な雰囲気が強くなった気がする。
「そっか……。 喜んでくれて、よかった」
「はいっ! この贈り物、一生大切にします!」
一生は言い過ぎだけど、大事に使ってくれるのは嬉しい。
飾られるよりもこうやって使ってくれてるほうが、あげたかいがあるものだ。
「――――よしっ!洗い物終わりました! それでですね、マスター」
「うん?」
手際よく洗い物を終えた彼女はカウンターを回って俺の隣へ。
すぐ横の椅子に腰を下ろしてから徐々に近づきつつ俺との距離を詰めてくる…………近い。
「イヤリングのお礼…………ってわけではないですが、勉強する場所を貸してくださったりこうしてバイトさせてもらったり、色々感謝を込めて私もプレゼントを考えてきたのですが…………いいですか?」
「え!? そんなの気にしないでいいのに!」
「いえ、私が気がすまないんです! それで……ちょっと準備があるのでそのままカウンターに向かって目を瞑っていてくれませんか?」
「こう?」
俺としても助かっている手前、まさかお返しなんて用意しているなんて思いもしなかった。
でもここで受け取らないのは相手にとっても失礼。俺は彼女の指示通り目をつむると、肩に手が触れてくる。
「ふふっ…………。 スキあり……ですっ!」
「――――へっ?」
いつも以上に楽しげな彼女の言葉が耳元で響いたと思ったら、頬に触れる温かくてやわらかな感触。
それは奇しくも、以前遥の家で彼女が触れた場所と全く同じ場所だった。
思いもよらぬことに目を見開いて彼女を見やると、顔を真っ赤にした彼女が右へ左へ、振り子のように揺れながら口元を手で押さえていた。
「これで遥さんと一緒…………ですっ!」
「伶実ちゃん…………?」
「いえ、頂いたプレゼントの分、私が少し優位でしょうか? …………ふふっ」
…………おかしい。
なんだか彼女がいつもと違う。
いつもよりも明らかにテンションが高いし身体も揺れている。
顔も真っ赤だし言動もいつもと全然違う。これはまさか――――
「だから私が一歩リード…………ですぅ…………」
「伶実ちゃんっ!!」
彼女の揺れが一段と大きくなり、最後の言葉とともに目を回すように倒れ込む彼女の身体。
その落下先は危険な地面。周りにはテーブルもあって頭をぶつけないとも限らない。俺は大慌てで飛び出して彼女の肩をその身に抱きしめた。
「…………ふぅ。 伶実ちゃん、もしかして…………酔ってる?」
「えへへぇ……酔ってなんかないですよ~!」
俺に肩を抱かれながら目がうつろになって頭を揺れ動かす姿は、確実に酔っていた。
伶実ちゃん…………一体どこでアルコールなんて摂取したんだ?
そう思って辺りを見渡すと、倒れ込む衝撃で落ちた彼女のバッグの隙間から顔を出すのは、有名なチョコレートの空になったパッケージ。お酒入り。
……これか。これが原因か。
手を離したら彼女が落ちる。俺は彼女を支えつつ慎重に、必死に手を伸ばしてテーブルにあるチョコを取ろうとすると、突然店の扉が勢いよく開いて一人の少女が姿を表す。
「マスター!レミミンにチョコ食べさせないでっ!! それママから預かったお酒入りのやつなの!!」
慌てたように店に入って来るのは長い髪をサイドテールにした少女、遥。
…………犯人が現れた。




