136.最低の空気の読めなさ
「――――ふむ。 美味しいね」
綺麗に髭を整えた眼鏡の男性が、カップを軽く傾けて口元をほころばせる。
その様子を見ていた俺も、彼の口に合ったことで心から安堵する。
店を切り盛りする俺と、5人の好きな子たち。
それぞれ思い思いに談笑していると、突然遥の父親である善造さんが現れた。
突如静まる店内。遥も驚きの顔を見せて何か喋ろうとしていたが、一緒にやってきた遥母に止められてしまう。
そうして静まり返った空間の中、真っ直ぐカウンター席に腰を降ろした彼が注文したのは、コーヒーだった。
当然注文された以上、渾身の物を作ったが何の用があってここまで来たのだろう。
もしかして、昨日のホテルでの一件、アレの答えが納得いかずに抗議にしに来たのではなかろうか。
遥母に提示された、5人の中からたった一人を決めろという言葉――――
俺はそれに逆らって、誰も選ばないことを決めた。あの時母親は納得してくれたが、もし父親である善造さんが実は納得いかなかったのであれば。
それならばこうしてわざわざ店までやってきてもおかしくない。
「…………大牧君」
「はっ……はいっ!」
いつの間にかコーヒーを空にした彼が、一段と低い声で俺の名を呼ぶ。
その圧のある声に自然と姿勢を正し、次の言葉を待つ。
チラリと見えたが、後方の彼女らも張り詰めた空気を感じ取っているようだ。一触即発といった様子でこちらの様子を伺っている。
「昨日の件、聞いたよ。まず最初に、突然突然のことですまなかったね」
「いえ……。いずれは向き合わなきゃならないことでしたから……」
散々先延ばしにしてきた、向き合わなければならないこと。
それをいきなりだったとはいえ、しっかりと向き合う機会をくれたのだ。感謝こそすれ怒る理由はない。
「その上で答えも聞いたんだが、君は全員を選んだそうだね?」
「いえ………まぁ、はい」
俺は誰も選ばなかった。
しかしそれは全員を選ぶと同義である。むしろ彼女らを裏切って俺が逃亡していない以上、そちらのほうが正しいのだろう。
「…………そうか」
威圧感を感じる空気の中なんとか受け答えをすると、彼はそう答えて目を閉じてしまった。
10秒。30秒。1分。
自身の中で咀嚼しているのか頭を整理しているのか、それきり身動き1つ取らなくなってしまった善造さん。
もしかして、さっきのを聞くためにわざわざウチに来てくれたというのだろうか。さすがにそれは考えにくいが……。
「――――ねぇパパ。その答えに反対するって言うんならアタシ、家出するよ?」
「…………遥」
そんな彼の様子を伺っていると、声が掛けられると共に肩に手が触れてくる。
声の主である遥はいつの間にか俺の隣に移動して、真剣な表情で善造さんを見つめていた。
「アレにはアタシもみんなも納得したもん。ママだって助けてくれるって言ってたし、これでパパがマスターを責めるようなら私、家を捨てるからね。もう世継ぎも居なくなっちゃうからね!」
まさしくアッカンベーをするように俺の首に腕を巻き付きながら舌を出す彼女。
それを唖然の表情で見つめていた彼は、フッと1つ息を吐きその表情を柔らかいものへと変化させる。
「遥、いつ私が反対するって言ったのかね?」
「……ちがうの?」
「もちろん。 私が彼に聞きたいのはまた別のことだよ。大牧君、娘は何曜日だい?」
威嚇する遥に微笑みを帰した彼はそのまま俺に視線を送って質問を投げかける。
曜日……?曜日ってなんだ?いや、曜日自体の意味はわかるけど、なんでこのタイミングで遥と曜日を結びつけるんだ?
「えっ……えっと…………」
「私としては是非金曜日か土曜日を推したいのだが、その交渉に今回は来たというわけだ。 どうだい?何曜日だい?」
「???」
え、なに?曜日に推しなんてあるの?
確かに学生時代はその2つの曜日は最高だったけど今となっては曜日感覚なんて皆無だし、正直好みなんてものはない。
イマイチ言葉の意味が捉えられず助けを求めるように遥を見上げると、そこには口に手を当て真っ赤な表情を浮かべる彼女が。
え、俺だけ意味わかってないの?
「パ……パパ……そういうのはまだちょっと…………」
「遥、私は大牧君に聞いてるんだ。 どうだい?5人も娶るんだ。もう決めているんだろう?何曜日に誰の相手をするのか――――」
「――――!!!」
最後の言葉で、俺もすべてを理解した。
彼が言っているのは、まさしく夜の生活の件そのものだった。
まさか昨日の今日でそんな事……!そしてみんなが居る中で聞くとは、さすが遥母に空気読めないと言われてるだけはある……。
そ、そうだ!遥母も一緒に来たのに聞く内容知らないってことはないハズ!…………あぁ、頭抱えてる。知らなかったんだね。
「パパ!そういうのはまだ早いってっ!!」
「しかし遥、こういうのは大事なことなんだ!私も早く孫の顔を……ムグっ――――!」
「――――そういうのはまだ何も決めてないの! ほら、聞きたいこと聞けたでしょ!早く帰って!!」
慌てたようにおしぼりで彼の口を塞いだ遥は、その背中をグイグイ押して店の外まで。
そうして善造さんを追い出した彼女は勢いよく扉を閉めて照れ隠しのような苦笑いのような、そんな微妙な表情で笑いかける。
「アハハ……。ごめんねパパが空気読めなくって……」
「い、いや。俺もちょっと甘く見てた……」
ホントに。
まさかこんな質問がくるなんて思いもしなかったよ。
てか曜日か……これまで考えてこなかったけど、そういうのを決める日もくるのだろうか……。
自然と視線を下に向ければ、思わず彼女のスタイルが目に入る。
プールの時に確信した、グラビアアイドルをも余裕な遥。出るところは出て、引っ込むところは引っ込む。そしてよく食べる彼女だがそれが脂肪に変わる気配なんて一切見せない。
思わず水着姿を思い出しつつ彼女を見つめていると、その顔がこちらに向き少し恥ずかしそうに身を隠される。
「マ、マスター! 視線がえっちいよぉ!」
「ご、ごめんっ!!」
駄目だ駄目だ。そんな邪な気持ちであの答えを出したわけじゃないのに。
今一度自制しようと首を振ると、ふと耳元に彼女の手が、顔が近づいてくる。
「……でも、マスターならいつだって、毎日だって……。 言ってくれれば受け入れるからね?」
「――――!!」
その言葉に目を見開き振り返ると遥は逃げるようにその場を後にし、他の子たちの元へ向っていく。
合流する直前、こちらに振り向いた彼女のあっかんべを目にし、きっと俺は彼女たちに尻に敷かれるんだろうなぁと、そう確信するのであった。
次回、最終回&新作公開




