130.選ぶのは――
「はん…………りょ…………?」
遥母から出たとんでもない言葉に、頭がフリーズしてしまう。
今日、俺はいつものように喫茶店で1日を浪費しようと思っていた。
土曜日だからみんないつものようにお昼前後に来て、駄弁ったり勉強したりして、終わる。そんなありふれた一日。
しかしそれが唐突にやってきた母さんに連れられて、現実が一変してしまった。
今の俺はタキシード。正確にはモーニングという相当格式の高い格好。
そして目の前に立つ5人の女性たちは全員、真っ白なウエディングドレスに衣を変え、その身を見せつけている。
伶実ちゃんはスレンダーライン、遥はエンパイアライン、灯はプリンセスライン、奈々未ちゃんはAライン、優佳はマーメードラインと、一概にウエディングドレスといっても全員それぞれに似合ったものをセレクトしている。
そんな彼女たちが今、真剣に俺を見つめているのだ。冗談などのまじりっけの一切ない、本気の瞳で。
「はい。 来る途中、お母様からいただきましたよね?お花を一輪」
「へっ……? えぇ、たしかに渡されましたが……」
ジャケットの内ポケットから取り出す、一輪の造花。
名をプルメリアといったか。白と黄色がよく映える、綺麗な花だ。
「大牧さんが選んだ女性にその花をお渡しください。それがあなたの意思表示だと、決めておりますので」
「そんな事言ったって……」
そんな事言っても、唐突過ぎる!そして重たい!!
ホテルに来てまで何をするかと思ったら、まさか一生を左右するとんでもない選択!?
そんなの予想すらしていなかった!確かに常々いつかは選ばなきゃとは思っていたけど、いきなり決めろなんてムリでしょう!!
そもそも何故伴侶なんだ!?こういうのはもっとこう……恋人とかそういう前段階の関係性があるでしょうに!
「マスター、もしかして伴侶なんて段階飛ばしてるって思ってない?」
「お、おぉ……よくわかったな遥……」
「私も思ったもん。でも、よく考えて。 もしここで一人選んだら、その後結婚しないってあり得る?」
「………………」
それは確かに……ないだろう。
確かに彼女たちは学生。結婚できる年齢ではない。
しかしそんなのは待てばいい。一心に、みんな好きだと言ってくれてるんだ。別れるなんて互いに言い出すことは無いだろう。
それに他の4人を蹴ってまでともなると、より一層そんな未来は考えられない。
更によく考えたら、5人の内半分以上は昔から俺と関係がある。
10年以上一途に想い続けてくれた人もいる中、結婚しないなんて選択肢はないだろう。
「マスター、すみません。 唐突になってしまって」
「伶実ちゃん……。計画って、このこと?」
「そういえばマスターも聞いていましたね……。 最初は私一人がマスターのこと好きだったので、ウエディングドレスでプロポーズしようと思っていたんです。それが本来の計画。 でも、どんどん好きだと言う方が増えてきて、どうしようかと思ってた矢先、遥さんのお母様が――――」
チラリと伶実ちゃんが遥母に目をやると、彼女は続きを告げるように口を開く。
「――――私が企んだのです。娘の遥は本永家の一人娘。いずれ家督を継がなければなりません。 そして娘は17、本来なら許嫁がいる年齢。 しかし娘はあなたのことが好きで、他にもあなたのことが好きな女性がいる。ならば無理矢理にでも決めてもらわないと、娘の未来も家の未来もありますから」
「そんな…………」
そんな時代錯誤な……そう言おうとして、口をつぐんだ。
あれだけ大きな家だ。きっと考えられない苦労やしがらみが沢山あるのだろう。それを頭ごなしに拒絶するのは簡単だが、理解からは程遠くなる。
もしも俺が遥を選ばなければ、その時は……。
「ママっ!余計なこと言わないでってば! 気にしなくていいからね!もし選ばれなくっても家督は継げるし、アタシの次は養子でも取ればいいだけだから……悔いは……悔いは……ないよ」
彼女自身は明るく言ってくれるが、その実とても苦しそうだ。
いつも明るい遥。優しく、人の痛みを分かち合う。それは、今日この場でも例外でないかもしれない。
あれ、悔い……?それって――――
「――――そういえば遥。あの日、テスト当日の朝って……」
「あはは……気づいた? 今日のことを言ってたの。今日ダメだったらもうマスターには会えないかもだから、悔いが残らないよう触れていたいなって……」
テスト当日の朝。
彼女は俺の店にやってきて、膝枕を要求した。
その時に聞かれた、謎の質問。店が閉まると知った時どうするかなんて不可思議な質問だったが、今日のことを分かってて聞いていたのか。
「……あまり深く考えなくていいですよ。 私はお二人と違って何も無いですし」
突然のことで悩みの渦中にいると、心を軽くしてくれるのは灯。
彼女は肩を竦めるようになんでもないと、軽い口調で励ましてくれる。
「私はポッと出ですから。昔出会ったこともないですし取り柄も勉強だけです。選ばれなくっても自由にやるのでお気遣いなく。…………でも――――」
「…………」
「――――でも、友達の居ない私を救ってくれたのは間違いなくマスターでした。授業参観の日、一人でいる私を見つけてくれたのはマスターでした。 だから私は、マスターのことが好きなんです……」
それは、自嘲と悲しみが混じった笑みだった。
自分には何もない。けれど思いは本物だと、言わなくてもヒシヒシと伝わるほどの。
「マスターさん、もしマスターさんが嫌なら私、アイドル辞めるよ?」
「奈々未ちゃん……」
続いて声をかけてくるのは奈々未ちゃん。
彼女は縋るような瞳で、真っ直ぐ俺を見つめている。
「一番年下だけど……一番好きだもん。 多分おじいちゃんは怒るかもだけど、いつかは許してくれる……マスターさんになら、私、なんだってする……よ?」
控えめに、しかし力強く蒼く美しい瞳が俺を射抜く。
身体的なハンデを背負っているのに上り詰めた、アイドルという地位。それを意図も容易く捨てると言ってくれてるのだ。彼女は。
「みんな、総のこと大好きねぇ。 ねぇ、この幸せ者」
「優佳……」
そんな彼女たちを一巡して、優佳は軽く口に出す。
しかしそれは軽いものではない。彼女は最も長く、最も近くで俺を好きだと言ってくれ、側に居てくれたのだ。
その気持ちはとっくに気づいている。今の言葉だって俺の重石にならないように言ってくれてるだけだ。
「あたしからは特にないわ。 いきなり決めろだなんて酷だけど、辛いでしょうけど今決めて頂戴」
母さんは言っていた。もしかしたら夜までかかるかもと。
それはここで何が起こるかわかっていたのだろう。そして俺が悩み抜くことも見抜いていたのだろう。
それぞれ一心に想ってくれる5人から、ただ1人を選ぶ。
渡された花を、俺の一番好きな人に手渡す。
それはあまりにも酷で、あまりにも悲しい選び方だった。
もう一度目にするは、一輪の花。
幸せと悲しみを運ぶ、憎らしい花。
俺はその花弁を揺らし、もう一度彼女らを見る。
みな等しく笑顔を向ける、愛おしい人たち。
みんな大好きで、みんな愛してると言っていい。
けれど今、絶対に答えを出さなければ、この花を好きな人に渡さなければならない。
ならば――――――――。
「……決まりましたか?」
「…………はい」
「では、花をお願いします」
俺は強く花を握り、真っ直ぐ彼女を見つめる。
何も言わず、ただ黙って俺を見つめる彼女に近づき、その手を取った。
「………………よければ、この花を受け取って欲しい。…………伶実ちゃん――――」
次回、『本当の答え』




