129.狭い部屋
案内された場所は、ホテルのとある一室だった。
一室といっても客室などではなく、食事や会議などで使われる百人単位で入ることができる宴会場。
彼女についていくようにその扉をくぐると中央にパーティションで区切られているのか外付けの壁が見受けられ、その他は見渡す限りテーブルも椅子もない、ただの空間だった。
遥母が居るということはまた何か企みがあり、金持ちだらけのパーティーや父親……善造さんが待ち構えているかと道中考えていたが、そうでもなかったことに拍子抜けする。
こんな何もない場所に母親2人が連れてきて、一体何を計画しているというのだ。
「あの……これは?」
「ここはまた後で来ることになりますが、今はこちらへ」
詳細も告げられずズンズンとなにもない空間を奥に進む彼女の後を、俺も慌ててついていく。
向かうのは部屋の奥にあるパーティションの隅。そこには小さな切れ込みと金属製の取っ手……いわゆる簡易扉に向かっているようだ。
無言のまま開けられた先に見えるのは、明らかに急ごしらえで作られた数畳程度のスペース。
全方位パーティションで囲まれたその部屋には椅子や鏡、テーブルやハンガーラック程度しか無い明らかに更衣室と呼べる場所だった。
「大牧さんにはそこに掛けられている服に着替えてほしいのです。 一人で着替えられますか?」
「そりゃあ、着替えられると思いますが……」
「では、終わりましたらまた出てきてください。 それでは」
「えっ!? あ、ちょっと…………!」
あまりにも簡潔な、そして意図のわからぬ指示に俺の頭は混乱しっぱなしだ。
更衣室に一人取り残された俺。そしてハンガーラックに一着だけ掛かっているスーツと思しき服。
確かに今は店の制服で黒いパンツに黒いシャツっていうシンプルな格好だけどさ、それでも外に出てきてもなんらおかしくない服装のはずだ。
なのにわざわざ新たなシャツやジャケットまであって着替えさせるということは、それほど格式張った企画ということだろうか。
遥の家庭は地元の名士という、俺の想像の範囲外である存在だ。
ならば確かにフォーマルな服装でなにかする機会というものもあるだろう。
しかし、何故俺なんだ?何故ホテルで、何故詳細を教えてくれないんだ?
遥の付き添いやら想い人とかの関係でパーティーに誘うということなら、まぁ納得するかはともかくとして理解できなくはない。
けれど秘密にしていること自体が引っかかる。それに『計画』という言葉。それを最初に発した伶実ちゃんは何を知っているのだろう。
「…………とりあえず、着替えるか」
考え事をしていても物事は進まない。遥母が関与しているとはいえ、俺が赤面することはあっても害になることは一切なかった。
つまり、身を任せていればどうにかなるということ。てことは指示通りさっさと着替えて出ればいいだけの話だ。
…………それにしてもこのスーツ、なんか俺の知ってるスーツと違う。
手触りが明らかに違って高そうな印象を受けるのは置いておいて、それを差し引いてもジャケットのボタンが1つだったり、後ろ側が曲線的で膝に届きそうなくらいやけに長い。
大学入学時にチェーン店で買ったスーツしか来たこと無い俺にとっては随分と新鮮な格好だ。なんだか服に着られている気がする。
あぁ苦しい。せめてシャツの襟が立っているのを折ってしまいたい。
ベルトもなくってサスペンダーだし、着慣れてないと色々窮屈だ。
「すみませーん。 着替え終わりました……よ?」
主にネクタイを四苦八苦しながらなんとか完成し、遥母に呼びかけるもその姿は無い。
あれ、どこ行ったかな……着替えるのが遅すぎてトイレにでも行ったのだろか。
「すみません。お待たせいたしました」
一体どこに行ったのかと廊下に出たり更衣室に戻ったり右往左往していると、俺が着替えていたパーティションの隅とは反対側の隅が開き、彼女が姿を表した。
なるほど。そっち側も開くのね。それもそうか、大きな宴会所のをパーティションで区切ったのに更衣室は狭かったもの。その分そっち側が広く取られているのだろう。
「そっちの扉には何があるんですか?」
「あちらも同じように更衣室ですよ。 荷物等も置いてあるので多少広めに取っておりますが」
多少と言うにはだいぶ差がある気がする。
数百人入る宴会場。その半分を区切った上で俺の更衣室がせいぜい5畳くらいだったところを見るに数十倍は広いだろう。
着替える上でなんら問題なかったし、更衣室となればそれ以上深堀りすることもできないが。
「わかりました。 それで着替え終わりましたけど、これから何をすれば――――」
「その前に、少しこちらへ。 ネクタイが曲がっておりますので直させてください」
手招きされるまま大きく一歩を踏み出すと、彼女は俺の首元に手をやって慣れたようにネクタイを解いていく。
きっと、善造さんにもやっていたのだろう。真剣な目でネクタイとにらめっこする姿は、勉強している遥によく似ていた。
凛とした雰囲気と柔らかな雰囲気の親子。
最初は全く似ていないと思ったが、こうやって真剣な表情とか、普段でも目元や鼻筋はよく遥と似ている。
特に感じるのはその香り。家の香りとでもいうのだろうか。今彼女から漂ってくるものと抱きついてくる遥、両者とも同じ香りがする。
穏やかに包み込んでくれる、優しい香り。それは緊張する俺を解きほぐすには十分だった。
「…………はい、できました。 苦しくありませんか?」
「ありがとうございます。 全然、苦しくないです」
新たに結ばれたネクタイの感触を確かめていると、彼女の微笑みが目に入る。
以前家に泊まった遥にも見た、優しい微笑み。そのそっくりな笑みした彼女は、振り返るようにさっき出てきたもう一つの更衣室の扉を見る。
「それじゃあ、早速本題に入りましょうか。 みなさん!もうよろしいですよ!!」
え、もう!?
まさか身だしなみを整えただけで早速入る本題。
全く詳細も知らされず、何をしたらいいのかも言われてない俺はどうしたらいいのかもわからず、ただ見ていることしかできなかった。
高鳴る心臓を抑えながらかけた方向に釣られると、そこから出てくるのは白……白……白。
上から下まで真っ白な服を着た女性たち。肩を大きく露出させた人が多く、腰から下は足元が見えないほど大きく広がったスカートを持ち上げつつ一歩、また一歩とゆっくりと歩いてくる。
それが1人だけではなく、5人。
それぞれ堂々としたり恥ずかしがったりしつつも迷いなくこちらに歩んでくるのは、全員俺のよく見知った顔だった。
伶実ちゃんに遥、灯に奈々未ちゃん……そして優佳まで。
みんな真っ白の――――ウエディングドレスに身を包んだ登場だった。
俺に近づいた彼女たちは横に広がって向き合うように位置し、それぞれ様々な表情を見せてくる。
「伶実ちゃん……! これって…………」
「すみませんマスター、秘密にしていて。 今日までずっと、ずっと計画していたことなのです」
これが計画……。ホテルで、ウエディングドレスで登場するのが?
いや、よく見れば俺の服も、よく考えればこれは新郎の格好だ。
でも何故?それに、優佳に聞いた時は何も知らないって言っていたのに。
「あの日総から計画の事を聞いて心臓が止まるかと思ったわよ。どこから漏れたんだって内心ビクビクしてたわ」
「すみません……まさか私も、寝言で言ってるなんて思わなくって……」
答え合わせのように告げてくる優佳に、伶実ちゃんは謝罪する。
あの日母さんも奈々未ちゃんも知っていることに驚いたけど、全員が知っていたというのか!?
「マスターさん……似合ってる……?」
「お、おぉ……。似合ってるよ。 白い髪に白いドレス、綺麗だね」
「ん……よかった」
ドレスの中でもAラインというシンプルなものに身を包んだ奈々未ちゃんは小さく微笑む。
真っ白な髪と同等の、真っ白なドレス。それはまさしく妖精のような、そんな幻想的な雰囲気を醸し出す奈々未ちゃんだ。似合わないはずがない。
「驚きましたか?大牧さん」
「…………はい」
いつの間にか俺の後ろに立っていたのは、少ししたり顔の遥母。
これが目的だったのか?綺麗な姿の彼女たちを見せるというドッキリの為に、俺を呼んだのか?
「それはよかったです。 それで、今回の本題なのですが…………」
次に告げられる彼女の一言は、無情だった。
もう終わり。すべてを決めろと暗に告げる、審判の一言。
タイムリミットは、モラトリアムは終わりだと。今後の人生すべてを今この場で決めろという、ただ1つの問い。
「大牧さんには、今この場で決めてほしいのです。 あなたが伴侶に誰を選ぶのか。ただ1つの答えを」