127.再びの問い
「はぁ…………」
日中の喫茶店。静かな店内。
俺の大きなため息が、室内の空気を震わせ、消えていく。
それは退屈から来たもの。
つまらない、暇、退屈。そんなマイナスの感情から出た、抗えないもの。
人を殺すといわれる退屈に、凡人である俺は太刀打ちできず息を吐く。
試験当日の朝、遥が早くからウチに来て元気いっぱいの様子で学校へ向かってから数日。
今日も店内は、暇で埋め尽くされていた。
それもそのハズ。
あの朝遥を見送る後ろ姿を最後に、彼女たち高校生組は店に訪れなくなってしまった。
別に何かあったとか特別な事情とかでは一切ない。ただテストだから、今回はそれぞれ自分の家で一人でしっかり勉強したいと連絡があったのだ。
当然その申し出にわざわざ逆らって「店に来い」なんて言うこともできず、俺はここ数日間一切人の来ない時間を、一人味わっていた。
「はぁ…………」
もう一度ため息が出る。
もはや自分でも驚きた。最初は今の状態が当たり前という前提で店を開いたのに、こんなに退屈でつまらないだなんて。
これも彼女たちが毎日店にやってきて、明るくしてくれたお陰だろうか。
みんなと出会い、俺の日常には一層の彩りが加えられた。しかしその反動でみんながいないとこんなにつまらないだなんて。
どうやら俺はみんなにしばらく会えていないからダメになっているらしい。自覚しているなんて相当だ。
「はぁ……」
「あなたねぇ……何度ため息つけば気が済むのよ」
ふと正面から掛けられる声に頬杖を解いて視線を向けると、上下黒のスーツに身を包んだ小さな小さな少女の呆れた顔が目に入る。
「だってなぁ……退屈で」
「私がいるのに退屈ってどういう事――――あぁ、そういえばあの子達、テスト期間だものね。会えなくて寂しいのねぇ」
そうにやけ顔で図星を突いてくるのは同窓会で再会した小さな双子の片割れ、愛子。
ちくしょう……!事実だから何も言い返せない……!
「そ、そういう愛子はどうなんだよ。 教育実習は」
「それはもちろん、無事終わったわよ。 今日来たのは学校への挨拶のついでよ」
双子の姉の方である彼女は以前、シンジョで教育実習をしていた。
学校がテストに入る手前に全日程を終えた彼女は、ついでとばかりに俺の店に遊びに来たらしい。
場所については同窓会の日に教えていたからいつか来ると思っていたが、思ったより早くて驚きだ。
「無事ねぇ……。あの日恋愛のこと聞かれまくってるって愚痴ってたが、どうにかなったのか?」
「そりゃもちろんよ! 今頃あの学校では私のこと百戦錬磨の愛子さんで通ってるわっ!!」
百戦錬磨ねぇ……。
その実態は経験皆無だというのに。
きっとあの愚痴も隣の部屋にいた伶実ちゃんらが聞いてただろうから、訂正された話が回っているかもしれない。
「……なによその顔は」
「なんでも。 それより愛子、あの後ちゃんと帰れたか?」
彼女について気になることといえば、あの後の話だ。
きっと飲み方が悪かったのだろう。優佳が3人に分身して見えるほど悪酔いした彼女は、妹の愛梨に引っ張られて家まで帰宅した。
とんでもない酔い方だったが、大丈夫だったのだろうか。しかし問われた彼女は視線を下げ、とても苦々しい顔で…………。
「そのことね……。あの後朝起きたら素っ裸で愛梨に抱きついて玄関で眠ってたのよ。酒臭いし頭ガンガンするしで最悪だったわ……」
やはりと言うべきか、二日酔いになってしまったか。
玄関ということは帰り着いてすぐ2人ともダウンした様子で
伶実ちゃんはあまり飲んでなかったし、きっと愛子に抱きつかれて抜け出せなかったのだろう。かわいそうに。
「それより大牧くんのことよ。あなた、どうするの?」
「俺? 何が?」
「あの子達のことよ! シンジョの子たちにあの”ナナ”まで……! 一体誰を選ぶの?」
「それは…………言っただろ? 決められないって」
突然の核心を突く言葉に戸惑いもしたものの、それはもう言ったはずだ。
彼女も奈々未ちゃんの名前を出したからには記憶は残っているだろう。
「そんなの知ってるわよ。でもこのままってわけにはいかないでしょ」
「…………」
「それともなに? 重婚可能な国でも行くの?」
「いやそれは…………って、教育者の卵である愛子がそれでいいのか?」
さすがに教育者にほど近い彼女がそれを受け入れるのはマズイだろう。なんてったって伶実ちゃんらはまだ学生なのだから。
「別に。私にとってはあなたがどうなろうが関係ないもの。ただ、私の親友である優佳ちゃんが幸せならね」
「優佳か…………」
「あの子がどれだけあなたに尽くしてきたか知らないはずないわよね?そろそろ応えてあげなさい」
優佳本人は決して口にしないが、彼女は学生時代、相当俺に尽くしてくれてきた。
なのにそのことを一切引き合いに出してこないから、彼女の優しさも相当だ。
そしてどうなろうが関係ないと言いつつ、色々な道を提示してくる愛子も相当優しい。
「ま、好きに悩みなさいな」
「…………ありがと」
「別に。私は言いたいこと言っただけよ。 でも1つ心に留めとくことね。深浦さんたち、みんなでなにか企んでるようだったから」
「企む? なにを?」
もう言いたいことは言ったとばかりに立ち上がって荷物を纏めだす彼女は、ふと思い出したかのように1つ忠告をしてくる。
企むってなんだ……?なにか俺にしてくるのか?あの子達が?
「さぁ? 私が聞いたのは何かをあなたに決めてもらうってことだけだもの。それ以上は何も」
「決めてもらう…………」
……ダメだ。さっぱり思いつかない。
そもそも抽象的すぎて候補すら上がらない。点数低い順に罰ゲームでも考えてるのか?いや、それだと遥が確定になるからありえないな。
「言いたいことはホントにこれで全部。 それじゃ、コーヒー美味しかったわよ」
それだけを言い、お金を置いて店を出ていってしまう愛子。
結局、ついでとか言いながら色々忠告しに来てくれたんじゃないか。優しいんだから。
去っていった愛子と入れ替わるように、彼女たちはやってくる。
久しぶりの顔。たった数日なのに待ちわびた、場を一気に明るくする彼女たちの顔。
そしてみんな、その手に満面の笑顔と文句のつけようがないテストの点数を携えるのであった。