125.始まりの夢
カリカリと――――
机の上でペンを走らせる音が、室内に響き渡る。
偶にペンが止まったり、そうと思ったら今度は枷が外れたかのように勢いよく動き出したり。
一定ではないリズムで机の上を踊っている。
他に聞こえる音といえば、壁に設置した時計や紙をめくる音。
そんな環境音ばかりがこのカフェを奏で、いわゆる静寂が空間を支配する。
今日は10月に入ったとある土曜日。
高校生組の通うシンジョでは来週に中間テストを控えた、最後の追い込みとなる週末だ。
そんな慌ただしい日に朝から店にやってきたのは、伶実ちゃん遥灯といつものメンバー。どうも集中できるからここで勉強しに来たらしい。
そうして黙々と始まったテスト勉強。
途中で奈々未ちゃんも店に来たはいいが、雰囲気を察して隅の席で読書をしていてくれた。
静かな、何者も声を発しない空間。
勉強が始まって3時間くらい経っただろうか。ついにその静寂を打ち破る者が現れる。
「ぁ~~!! 国語の勉強終わりっ!!お腹すいた~!!」
一人で叫びながらうんと伸びをするのは長い髪をサイドテールにした少女、遥だった。
彼女は人一倍スタイルがいいからおへそが見えるくらい伸びをすると、同時にひときわ大きい胸部も揺れて…………おっと、いかんいかん。あまり見てると正面の少女につつかれてしまう。
「レミミ~ン!注文い~い~!?」
「あ、はい! ただいま!!」
俺の正面に位置するカウンター席で勉強していた茶髪の少女、伶実ちゃんはこれまで勉強していた手を止めて伝票片手に遥の席まで急ぐ。
彼女が身にまとうのは白いシャツの茶色のロングコート。この店の制服だ。勉強しながらもバイト中である彼女は即座に頭を切り替えてバイトモードになったようだ。
「なににしましょう?」
「うんっ! えっとねぇ……チョコパフェと冷たいお茶!あかニャンはなにか頼む?」
「私ですか? そうですねぇ……。オレンジジュースをお願いします」
「チョコパフェと冷たいお茶、それとオレンジジュースですね。 かしこまりました。 マスター!」
「あいよ~」
サラサラと伝票に記入した彼女はカウンター向かいに様子を伺っていた俺に駆け寄ってきて紙を渡す。
さて、お仕事の時間か。
面倒なのはチョコパフェくらいか。
カップを出してフレークやチョコアイス、クリーム等々手早く載せていき早くも完成。あとは飲み物を用意してっと……。
「伶実ちゃん、できたよ」
「あ、はいっ!ありがとうございます!」
「気をつけてね」
商品が載ったトレイを手にした伶実ちゃんは慎重に急いで席まで持っていき、遥たちの輝く笑顔がこちらからも見て取れる。
そして真っ先にパフェ専用の長いスプーンを手に持って載ったアイスなどを掬っていき――――
「それじゃあレミミン……はい、あ~んっ!」
「え、そのパフェは遥さんのでは……?」
「いいのいいの! はい、あ~んっ!」
「…………あ~…………」
まさか自分が配膳した商品を自分が食べるとは思わなかったのか、ひとしきり戸惑っていた彼女は最終的に折れて遥が差し出していたスプーンを口に加える。
そして戸惑っていた伶実ちゃんの表情も、甘さにやられたのか次第に穏やかなものに変わっていく。
「どお?おいし?」
「はい。美味しいです。 ありがとうございます」
「よかったぁ。 じゃあ次!マスター!!」
「え!? 俺も!?」
「もちろん! 早く早くぅ!!」
作った俺も食べるの!?
さすがにそればっかりは予測していなかった。最初は適当にあしらおうとしたもの遥は大きく手を振りながらものすごい笑顔。明らかに善意100%だ。
「……ホントに俺も食べるの?」
「はい、あ~んっ!」
「…………」
とりあえず彼女の元まで歩いていくと、さっきと同じように長いスプーンが目の前に差し出される。
これ、さっきも使ってたよね? 遥自身は口つけてないし、つまり何が言いたいかというと……
「…………」
「っ――――!」
遥本人は意図しているのかわからないが、それは明らかに伶実ちゃんとの間接キス。
チラリと被害者(?)である伶実ちゃんに視線を送ると、驚いた顔と照れたように顔を赤らめながら目を逸らされた。
「まだぁ~? はーやーくー! ほら、はーやーくー!」
「…………はいはい」
きっと、俺が折れる以外選択肢なんて無いのだろう。
そう感じ取ってからは手早く済ませるように大きく口を開けてスプーンをパクリ。
うん。さすがだ。俺が作ったデザートはどれも美味しい。
「…………たべたね?」
「へっ?」
自分が作ったながら美味しいと自画自賛していると、ニヤリと口を曲げた遥の笑みが正面に見える。
え、なに? 俺なにか不味いことでもした!? 選択肢間違えたの!?
「じゃあアタシのパフェを食べたマスターは、ペナルティとしてここでアタシたちに勉強教えること!」
「なっ……! なにそれ!? そんなのあり!?」
「だってアタシのパフェ食べたじゃん~! タダとは言ってないよねぇ?アタシ」
くっ……!確かにそこについては何も言っていなかった。けどまさか罠だったとは……!
灯が何も言わないのも不思議だったが、彼女が示したのは灯と遥に挟まれる位置。しかも密着するレベルで。これが狙いだったか!
「い、いや! 灯は俺より頭いいじゃん! 教えることなんてなにもないでしょ!」
「いえ、私にもありますよ。わからない教科」
「……なに?」
「はい。保健体育です」
「…………」
それが何を言わんとしているかは、乙女心に疎い俺でもわかった。
口元を保健体育の教科書で隠している灯は放っておいて遥へ向くと、キラキラと輝かせた目でこちらを見ている。
「いいよねっ! マスター!」
「…………はぁ、後でちょっとだけな」
「やったぁ! マスターのツンデレェ!!」
誰がツンデレだ誰が!!
あんな子供のような輝く目を向けられちゃ弱いよ。
多分灯が画策してた保健体育の件、遥は一切そんな事考えてなさそうだったな。
とりあえずパフェを堪能している高校生組は置いておいて、もうひとり離れた席まで向かう。
そこには丁度太陽から隠れる位置にちょこんと座る、真っ白な髪と真っ白な肌の少女が。
「何見てるの?」
「えっ……? あぁ、マスター。一緒に見る?」
「なになに……『進化論』? 面白い……の?」
「ううん、全く。 でも時間のある日にこういう本を読んでウトウトとするのが好きで……」
あぁ、その気持ちはよくわかる。
小難しい本を読んでると眠く……学生時代、先生の話をBGMに教科書を読んで寝るのは最高だよね。
「マスター! まぁだぁ~!?」
「いや、今離れたばっかでしょ!!」
遠くから遥の急かすような声が。早すぎる。まだ離れて数分も経ってないというに。
けれど、あまり読書の邪魔をするのも悪いな。
「それじゃあ勉強教えに行くけど、奈々未ちゃんも行く?」
「ん……。もうちょっと、一眠りしてから行く」
「そっか。 じゃあまた後でね」
それから再度本に視線を落とす奈々未ちゃんを置いて、俺は遥たちの座る席へと向かう。
目を輝かせて待っている遥。
保健体育の本をこれみよがしにかざしている灯。
その2人を困ったような笑顔で見つめている伶実ちゃん。
三者三様の女の子が迎えてくれる席に俺は、今日も平和で幸せな日々だと笑みを浮かべながら腰を降ろすのであった。