121.里帰り
同窓会から少しの期間が開いた、10月に差し掛かろうという頃。
俺は客の来ないタイミングを見計らって、平日の日中に実家へと戻ってきていた。
「ただいまぁ」
「おかえり」
「おかえりなさい~」
俺を迎えてくれるのはリビングで編み物に精を出していた母さんと、ソファーでくつろぎながらお茶と煎餅をバリバリと食べている姉、優佳。
2人は一瞬だけこちらに視線を移動させて「おかえり」と言ってくれているが、ふと突然疑問が浮かんでそのうちの一人へ近づいて行く。
我が姉である優佳は、今をときめく女子大生。
1年ちょっと通って辞めた俺と違ってまだ在籍中のハズだ。
けれど、そんな彼女が大学に行っているとか見た覚えがない。単位とか大丈夫だろうか……
「……なぁ優佳」
「ん~?」
「俺、優佳が大学行ってるとこ見たこと無いんだが、行ってるのか?」
「ん~……」
パリッと煎餅の割れる音が聞こえるも、視線はテレビから離れることはない。
テレビ番組かと思ったら動画サイト見てるし、随分と現代の日常を謳歌してるな……。
「まぁ、今月真ん中まで夏休みだったしね。 ほとんど行ってないけど、行ってることは行ってるわよ」
「そんなんで単位大丈夫なのか?」
「あのねぇ……アンタ、忘れたの?」
「?」
ようやく視線がこちらを捉えたと思えば、明らかに呆れた視線。
なんだ? 俺がなにかしたというのか?
「あたしたちが一年の頃どれだけ授業受けたと思ってんの。 フル単よフル単。あたしも付き合わされたし……」
「……そだっけ?」
「そうよ。だから課題幾つかアンタに押し付けたじゃない。 ま、そのおかげで卒業だけならそんなに頑張らなくてよくなったけど」
フル単には幾つか意味があったと思うが、彼女の言うのはその年に取れる上限までという意味だろう。
確かウチでは50単位前後。つまり1年で卒業までの4割程度は既に終えたということだ。
俺、そんなに頑張ってたっけなぁ……。
確かに在学中に卒業資格を早めに得て喫茶店業に取り組みたいとは考えていたけど、フル単もいってたかぁ。
「そっか……。余裕出しすぎたせいで後々卒業できないって泣かないようにな」
「もちろんよ。 たとえ卒業してもしてなくっても、私の進路は決まってるしね」
「もう決まったの? あの喫茶店?」
「何バカなこと言ってるのよ。 あたしの就職先はあそこじゃなくって――――」
それだけを告げ、ピッと目の前に指を突き出される。
そして小さくウインクをし、俺の鼻先に一瞬だけ触れた。
「アンタの隣よ。だから大学の状況なんて正直どうでもいいの」
「っ――――!」
そんな真っ直ぐ告げられることがなかった言葉に、思わぬ言葉に怯んでしまう。
今まで両親の前ではあんまり言ってこなかったのに……!
そおっと後ろで編み物をしている母さんに目を向けると、思い切り目が合ってしまった。そして微笑まれた。
「別に隠す事ないわよ。 ねぇ、お母さん」
「そうねぇ。 優佳ったら、小学生の頃からずっと言ってたものねぇ」
「…………マジか」
てっきり家でそういうの言わなかったのは母さんに伏せていたと思っていたが、周知の事実だったとは。
母さんも母さんで、それでいいの?
「んで結局、アンタ今日どうしたのよ? お店は?」
優佳は本題を切り出してくるも、視線はテレビに注がれたまま。
そうだそうだ、俺にも目的があって来たんだった。
「あぁ、伶実ちゃんについて優佳に聞きたくってな……」
「伶実ちゃん? あたしよりアンタのほうが詳しいんじゃない?本人に聞けば?」
「いやまぁ……ちょっと聞きにくくて。 前に、伶実ちゃんと俺が事故以前に出会ったって言ってたんだけど、何か知らない? それと、『計画』について」
あれ以来、伶実ちゃんの口から発した『計画』について彼女に一切聞いていない。
伶実ちゃんと一緒に夜を過ごした次の朝。
彼女の覚醒は、寝ぼけ眼をこすりながら見た、光景による悲鳴ではじまった。
パニックに陥っている彼女を落ち着かせて話を聞いていくと、、どうも夜の記憶を失っていたらしい。
正確には夜のコーヒーを飲んでいる辺りから。まさか目を覚まして俺の寝顔が側にあるなんて思いもしなかった彼女は、ここ一番の悲鳴を発したというわけ。
その後は気まずいまま朝を過ごして、今に至る。
なんとなく聞き辛いのと、なにより朝寝顔見られたことで顔赤らめていたから、寝言も聞こえたなんて言っちゃ何が起こるかわからない。
だから伶実ちゃんから聞くのは諦めて、昔から一緒に居た優佳に聞こうと。それが今回実家に戻ってきた理由の半分。
残りはアレだ。暇だから里帰り。
「…………『計画』? なにそれ?」
ずっと一緒に居た優佳ならなにか知っている。そう思って問いかけたものの、返ってきた答えは否定だった。
「あ、優佳も知らないんだ」
「……心当たりはないわね。 10月近いし、ハロウィンになにかするんじゃない?」
あぁ、ありえる。
もしそうだとしたら余計なこと聞いちゃったかも。サプライズかもしれないんだし。
「じゃあ、事故の前に会ったことは?」
「それね……。ん~、あたしが言っていいのかなぁ? でもなぁ……もうあれからかなり経ってるからなぁ~」
「?」
何やら答えようか悩んでいる様子。
でもその反応で確信した。
こちらはビンゴだ。優佳は伶実ちゃんと昔会った件についてなにか知っている。
「優佳、それって――――」
ピンポーンと。
どこで知り合ったのか再度問おうと口を開いた瞬間、リビングに設置されたインターホンの受信機によって彼女の言葉が遮られてしまった。
「――――あら、だれかしら? お母さん、なにか頼んだ?」
これ幸いとばかりに母さんへ話を振る優佳。
くそう。間の悪い。
「今日はなにか届く予定はなかったはずだけど……あら、可愛い女の子。中学か高校生くらいかしら?」
「女の子!?」
そんな母さんのつぶやきに、思わず過剰に反応してしまう。
可愛い女の子というのは、今の俺には心当たりが多すぎる。
伶実ちゃんに遥、灯に奈々未ちゃん。最近は秋日和という3人組まで増えてしまったからもう候補しかない。あとオマケにちびっこ双子も。
「なんで可愛い女の子なのにあたしに聞かないのよ」
「だって優佳ったら友達少ないじゃない。それなら伶実ちゃん遥ちゃんのいる総のほうが心当たりあるかな~って思ったのよ」
「確かに……そうだけどさぁ」
優佳が抗議しているが、その認識は概ね正しい。
バイトや公的な場ではちゃんとしているが、プライベートでは若干人見知りなところがある。
だから中学はほぼ2人きりだったし、高校でもあの双子が友達になれたこと自体ある種の奇跡だ。
……ってそうじゃない。まずは来客をどうにかしないと。
「ちょっと寄って母さん。 一体誰が……」
「あら、知り合い? 呼んでたの?」
「わからない。でも顔見ればわかると思…………。 っ――――!!」
母さんに代わってインターホンのモニターを覗き込むと同時に、俺は走る。
リビングを出て、廊下を走り、玄関まで一直線。そのひときわ頑丈な扉を勢いよく開けると、家を訪ねてきた少女の姿がそこにあった。
「はぁ……はぁ……何してるの…………奈々未ちゃん」
「…………またまた、きちゃった」
まるで同窓会の伶実ちゃんを彷彿させるような言い回しで、真っ黒の帽子を胸に抱いてジッと見上げるのは真っ白の髪に真っ黒のコート。
その正体は当然、いつもの服を着た奈々未ちゃんだった。