120.『計画』
「さて……そろそろ寝ようか」
お風呂上がりのコーヒーを頂き、それぞれスマホをつついたり仕事の準備などをしている間に過ぎていく、夜の時間。
準備が一段落してふと顔を上げてみれば時刻はもう23時すぎ。もうそろそろ寝る時間だ。
彼女が普段何時に寝ているかは知らないが夜ふかしはお肌の天敵。時既に遅しかもしれないがここらで寝るべきだろう。
「ぇっ……寝るっていうのは……どういう…………」
「普通に就寝することだからね。伶実ちゃんは寝室のベッド、俺はそこのソファー。オッケー?」
スマホから顔を上げた彼女が顔を赤らめながら聞いてくるが、それは予想済みの反応だ。
彼女が手にしている空になったコップを取り上げつつ言い聞かせるようにすると、明らかに不満げな表情を見せて異論があることを表現してきた。
「むぅ……。でもマスター、遥さんとは一緒のベッドで寝たんですよね?それも抱きしめて」
「そっ……それはほら……その……あの時は俺も色々な事があって混乱してたからね? そもそも何があったわけでもないし……」
それを言われると弱いが、あの日はあの日で俺が普通じゃなかったから……!
むしろあんな状況で何も起こらなかったことを褒めて欲しい。
「なら私も……! 私もえっちなことは求めませんからっ!」
「そうは言っても色々まずいだろうし……」
「私はまずくありませんっ! それに……さっきコーヒー飲んじゃったんですよね……」
食い入るように一歩踏み出す伶実ちゃんに、迫力に圧されて一歩後ずさる俺。
いつもならそろそろ諦めるはずなのに食い下がってくる彼女の様相に少したじろんでしまう。
「そっ……それがどうかしたの……?」
「夜になったばかりの時に飲んでしまって、今晩眠れないかもしれません……このままだと、マスターが寝入った後にお邪魔してしまうかも……」
「っ――――!?」
なんだと……!?
その攻撃は全く予想していなかった。
確かにあの後、伶実ちゃんもコーヒー飲んで大丈夫かと不安になったりもした。
俺が毎日ルーティーンのようにこの時間に飲んで普通に寝れるよう身体を慣らしてしまったから、頭が回らなかったのだ。
今日唯一の失敗が、まさかこんなところで響いてくるなんて……!
「でも、マスターの腕の中でならコーヒーのんだ直後でもぐっすり眠れると思います。どうです?マスター、一緒に眠りません?」
俺の胸にそっと手を触れて可愛らしく上目遣いをしてくるが、言葉の中身は完全に脅しのそれだった。
一緒に寝ないと寝込みを襲うという、予想のはるか上を行く答え。
全く予想していなかった攻撃になすすべを失った俺は、考えに考えた結果大きくため息をつきながら彼女の手を取って寝室まで向かう。
「…………あくまで寝床を一緒にするだけだからね」
「ぁっ…………。 はいっ!!」
俺の返事が了承の意味だと理解するのに少し時間がかかったのだろう。
理解を終えた彼女は嬉しそうな笑顔で掴ませていた手を絡ませて、腕に抱きついてくる。
その年相応の可愛い笑顔に、俺は決して間違いを起こさないようにと、一層気を引き締めながら寝室の扉を開いた。
「それじゃ、電気消すよ」
「はい」
ピッと枕元に置いたリモコンを押すと、部屋が突然暗闇に包まれる。
まだ目が闇に慣れていない中モゾモゾと身体を動かして寝れる体勢へと移ると、頭を枕に置いたタイミングで胸元に触れてくる彼女の手。
こちらから彼女の顔こそ見れないが、真っ暗でよかった。もし消していなかったら俺の真っ赤な顔を指摘されていたことだろう。
「マスター……」
「ん?」
小さな声で呼ぶ、俺の呼び名。
さっきリビングで言い合っていた元気は何処へ行ったのか、その声は小さく、おとなしいものだった。
ようやく目が慣れてきたところで視線を下げると、ジッと彼女の瞳もこちらに向けられている気がした。
気のせいかもしれないが、俺たちはジッと互いの目を見つめ合う。それはあたかも恋人同士かのように。
「マスター……私、マスターのことが好きです」
「…………ん」
「さっき、思い切って一緒に寝ようって提案してわかりました。マスターと一緒に寝食をともにすること……それだけで私は幸せになれるんだって」
「…………」
「らしくなかったですよね?すみません。 でも、それが私の想いなんです。恋は人を狂わせるって、そのとおりですね」
苦笑する声が、隣から聞こえる。
まさしく彼女の本心だと。その言葉に嘘偽りもないんだと。自らの思いを吐露するかのように。
「伶実ちゃん……俺は――――!」
なにか……せめてもの何かを返事しよう。
そう固まらない心のまま口を出そうとしたが、止められた。
口元に指を当てて。俺の言葉を止めた彼女の顔は、少しトロンと瞼の落ちた笑顔。
彼女の当てた指は突然重力に従うかのように、フッと力が抜けてベッドの上へと着地する。
「いいんです。マスターはそのままで。 存分に悩んでください。そうしたら、私の計画も……」
「計画?」
「はい……。 あの事故の前から……マスターと初めてお会いした、その日から考えていた、あの『計画』を…………」
「事故の前……?……計画ってどういう……?」
一体彼女は何を言っているのか。
事故の前に会った?『計画』?
そんな言葉、初めて聞いた。
その言葉の意味を問おうとしたが、返事は一向に訪れることはない。
「……伶実ちゃん?」
「…………すぅ……すぅ……」
いくら待っても帰ってこない返事。この頃にはすっかり俺も闇に目が慣れてしまった。
どうしたのかと彼女の様子を伺うと、瞳を閉じてゆっくりと、深く呼吸を一定に保っているのが見て取れる。
眠っている――――。
そう理解するのに苦労しなかった。
俺を止めた人差し指も伸びたまま。もしかしたらお酒が抜けきっておらず、睡眠作用がいい感じに働いたのかもしれない。
それとも遅い時間。彼女はずっと眠気に耐えていたのかもしれない。
伸ばされたままのの手をそっともとに戻し、かけようと思っていた掛け布団を優しく持ち上げて彼女にかぶせる。
「まぁ……慣れない事して疲れただろうしね。 お休み、伶実ちゃん」
「…………ぁやすみ……なさい……ますたぁ…………」
小さく、本当に僅かだがそんな返事が聞こえて笑みが溢れる。
俺も眠るために目を瞑りながら、さっき聞いた『計画』について考えるのであった。




