118.譲れない戦い
シャワーからとめどなく流れるお湯が身体にへばりついていた汗を落とし、流していく。
暖かなお湯からもたらす心地よさとぬくもり。それはまさに現代という時代が作った至高の癒やしだ。
しかしそんな癒やしの中にいても、今の俺には一切リラックスすることができやしない。
それもこれも、今リビングにいるはずの伶実ちゃんが起因している。
今日、まさかウチに泊まることになった伶実ちゃん。
駅前で聞いた時には何の冗談かと思ったが、まさか本気だったらしい。
その理由はまさかの遥も奈々未ちゃんもここに泊まったからという、羨ましさによるもの。
もちろん否定したもののお泊りセットは駅構内ロッカーの中、両親への説明も済んでいるということらしい。
聞いた当初は断った上で遥に泊めてもらおうと思ったけれど、彼女は他の面々とともに帰っていった。
きっと、奈々未ちゃんを連れ去ったときのことを思い出すと遥もグルなのだろう。
もはや逃げ場なしと判断した俺は、何もしないということを何度も念押しした上で彼女を家に連れて帰った。
連れて帰ると言っても先にタクシーで帰って貰ったが。ほら、実家へ連れてくと両親に勘ぐられて色々面倒だし。
「マスター……」
「!? な、なに……!?」
湯船に浸かってはやる心をなんとか押さえつけていると、突如扉向こうから掛けられる声に一瞬上ずった返事をしてしまう。
慌てて振り返ってそちらに目を向けると曇りガラスの向こうに微かに人影が見える。いつのまにか洗面所まで来てたのか……着替えて無くてよかった。
「どうしたの伶実ちゃん? 何かあった?」
「いえ……そうではないのですが……。その…………」
「……?」
あまり要領の得ない言葉に首をかしげる。
なんだろう。いつもは理路整然と答えてくれる彼女だが、今日ばかりはなにか答え辛そうだ。
しかし扉向こうの気配は去ることはない。なんだろうと思いながら湯船の中で様子を伺っていると、「よしっ!」と小さな声が聞こえると同時に薄っすらと見えていた人影が突然濃く、そして近くなる。
「し……失礼しまひゅ!!」
それは、有無を言わさぬほど突然だった。
彼女は洗面所と浴室を繋ぐ扉を勢いよく開けるとともに言葉を噛みながら浴室へと侵入してくる。
本来ならば真っ先に視線を逸らすべきだが悲しいかな、何か異常があれば固まり、そちらを注目してしまうのは人間のサガ。
伶実ちゃんだからしないだろうとタカをくくり、まさかするとは思っていなかった行動に思わず目を見開いて注目すると、裸……と思いきや紺色の水着を身にまとい火を吹くように顔を真っ赤にした彼女が胸を張って俺の姿を捉えるや向かいあうようしゃがんできた。
「なっ……なっ……なんで!? 突然どうしたの!?」
「その……お邪魔するのですから……お背中流そうと思いまして……!!」
「背中!? いいよそんなの!第一もう洗い終わったし!」
「いいえっ! 背中は見えませんし洗い残しがありますから! 私に任せてください!」
そんなこと言われても!!
なんとか彼女の死角であろう湯船の側面に身体を隠しながら顔だけ出してなんとか会話を果たす。
まさか……まさか彼女がお風呂場にまで突撃するとは思いもしなかった。
これが奈々未ちゃんなら「一緒にお風呂入る」とか言って突撃していたことだろう。だから同様のことが無いよう俺が実家に行っているうちにお風呂入ってと伝えておいた。
その言葉に従うよう家に帰り着いた時には髪は湿気っていたし、浴室も濡れていたから一安心だと思っていたのに。まさかそんな手で入ってくるとは。
彼女らしからぬ行動に驚きもしつつもなんとか平静を取り戻していき、これからどうするべきかを思案する。
無理矢理追い出す?いや、いくらお風呂場に鍵が掛けれるといっても外からも簡単に解錠できる。すぐ戻って来られるだろう。
それにいざ彼女が去っていって俺が洗面所で着替えているところに突撃されちゃおしまいだ。
最悪のプランを考える限り、ここは素直に従うのがいいかもしれない。背中流してくれるだけだし。
「マスター……ダメ……ですか?」
上目遣いがちに、不安そうな表情を浮かべる伶実ちゃん。
それは突撃しても望み薄だと理解しているからだろう。
しかし、俺にはそれが決め手となった。彼女の真っ直ぐな瞳と不安げに揺れる変化を見て、何度も唸りながら最終的に息を吐いて肩の力を抜く。
「…………じゃあ……バスタオル、取ってくれる?」
「……!! はいっ!!」
その言葉で了承と理解したのだろう。
不安そうにしていた顔から一転、嬉しさに溢れた彼女は立ち上がってバスタオルをとりに浴室を出る。
タオルを受け取った俺は迷いなくその全てを湯船に入れて手こずりながらも腰回りにタオルを巻いていく。
マナーなんて知ったこっちゃない。ここは俺の家なんだし好きにさせてもらう。
「マスター! 座ってください! お背中流しますので!」
「はいはい。 よろしくね、伶実ちゃん」
さっきとは打って変わって上機嫌になりながら近くのボディータオルを手にする姿は、まるでご褒美をもらえた子供のようだった。
そんな彼女に苦笑しつつ椅子に腰を降ろすと、そっと肩に彼女の手が触れる感触が。
「すみませんマスター、ちょっと横失礼しますね。 んしょっ……」
ウチの浴室は一人用だ。2人で入ることなど想定しておらず、あまり広くない。
だからこそ、物を置くにも難儀した。横にあまり物を置きたくない俺は正面に、シャワーが掛けられている側の壁に棚を取り付けてシャンプー類をひとまとめにしている。
そして俺は道具と向き合うように座っている。対して俺が邪魔になってボディーソープが取れないと判断した彼女は、背中から身を乗り出すように前のめりになってボトルへと手を伸ばしてきた。
俺に一言取ってと告げればいいものを、自らなんとかしようとするのは本人の責任感ゆえだろう。
肩に触れる手と同時に感じるのは、背中に触れる柔らかいもの。それは水着を着用しているからか、遥が背中に抱きついてくるときよりも更に柔らかなものだった。
一瞬で終わると思って何も言わずにジッとしていると、彼女は片手でプッシュしようとして手間取っているのか、何度もこちらに身体を押し付けてくる。
「んっ……もうちょっと…………」
それは次第に肩から顔を出し、すぐ近くに伶実ちゃんの小さな顔が目に入るほど。
まんまるとした可愛らしい瞳。小さな鼻と口。そのどれもが可愛らしく、愛らしいものだった。
そして何度も勢いをつけるものだからその息遣いが直で感じ取れ、彼女の口から漏れるアルコールの混じった吐息が、すぐ近くの俺にも伝わってくる。
…………って、ん? アルコール?
「よしっ!できた! お待たせしましたマスター!お背中失礼しますね!」
「…………ちょっと待った伶実ちゃん。 今日、お店で何飲んだ?」
「ふぇ?」
本題に入る前に振り返って見た彼女は、突然の問いかけに小首をかしげる。
「お店で……ですか? 大したものは飲んでないですよ? レモネードにお茶に……ノンアルコールのカシスオレンジも頼みましたね」
ふむ、流石に店側もお酒を出すことはなかったか。でも、なんで彼女の吐息にアルコールが?
「あと、マスターと合流してからはオレンジジュースを飲んでましたが……。 あ、そういえばジンジャエールを頼んだのですが、なぜか苦かったですね」
………………。
それだぁぁぁぁ!!!
ジンジャエールじゃなくってビールだそれ!!
店員が間違えたのか酔っぱらいが間違えたのか知らないが、何かの拍子に誤ってビールを彼女が口にしたのだろう。
だからか。だから普段と様子が違う上にこうも大胆な行動になってしまっているのか。
となれば、俺が取るべき行動は……
「…………伶実ちゃん」
「な、なんですかマスター……顔が……怖いですよ……」
真剣な顔して彼女をみると、少し怯えた様子が見て取れる。
本来ならすぐに安心させるべき所だがそうはいかない。俺は掛けられていたシャワーヘッドを掴んで迷いなく彼女に向け、蛇口を勢いよく回した。
「俺よりもまず! 伶実ちゃんがシャワーもう一度浴びること! ほら、酔い冷まして!!」
「ひゃぁ! マスターやめっ……やめてくださいよぉ~!」
有無を言わさぬように最大水量のシャワーを彼女に向けた俺はその髪をワシャワシャと撫で続ける。彼女がその場に崩れてしまおうが構わない。
手でシャワーを防ごうとするがそうはいかない。手を払い除け、方向を変え、あの手この手で彼女にお湯を浴びせ続ける。
「お酒飲んじゃダメなのになぁ……! ほら、酔い覚まして!」
「マスターだめっ……んっ……! ダメェっ!!」
「…………あれ?」
きっと、油断していたのだろう。段々と浴びせることが楽しくなってきた俺は少し警戒を解いてしまい、いつの間にか手にしていたはずのシャワーが無くなっていることに気付く。
どこに行ったのかと見渡してみれば、伶実ちゃんの手にそれが握りしめられているではないか。
「……マスター、今回は私が洗うっていいましたよね……?」
「えっ……いや……まずは酔いを覚ませてからと思って…………」
「問答無用ですっ! マスターもシャワー浴びてくださいっ!!」
「えっ!? 嘘!? やめ………あはははは!!」
その言葉通りシャワーだけで済むとおもったが、まさかのくすぐり付き。
突然の反撃になすすべなしな俺は、ただただ彼女が満足するまでその攻勢に耐え続けるしかなかった。




