110.隣の声
「遥さんに灯さん……あとは秋日和の皆さんだけですね」
個室をクルリと見渡すと、見知った顔が視界に収まります。
メニュー表を食い入るように見つめている遥さんと、その隣でスマホを触っている灯さん。
今日の予定は私達に、灯さんの友人である秋日和の方々を加えた計6人で予定しております。
まだ待ち合わせ時間まで5分ほどありますし、もう暫くすれば入ってくるでしょう。
「灯さん、返信は来ましたか?」
「いえ、まだです。 おかしいですね……あの3人が約束をすっぽかすことはなかったのに、そもそも既読になっているのに音沙汰ありません」
灯さんがそう言ってスマホの画面を私に見せてきますが、たしかに灯さんが何度も呼びかけているのに既読だけついて返事がありません。
どうしたのでしょう……もしかして、画面を開いたまま事故にでも遭ってしまったのでしょうか……?
頭の中を嫌な予感が横切っていると、ふと閉じられた扉がコンコンと軽くノックされて全員がそちらを向きます。
あ、もしかしてもう着いたのでしょうか。返信がなかったのもすぐに会えるからとか?
「失礼いたします。 お水をお持ちしました」
しかし扉が開いて表れたのは、店員さんでした。
テーブルの上には既に来ていた私達の分のコップ。女性の店員さんはお水を継ぎ足しながら新たに灯さんの分も置いてくれます。
なんだか少し、期待していた人物と違っていて少し脱力してしまいます。
やはりあの既読が気がかりですね……まだ待ち合わせには時間かかるとはいえ、返信くらいあってもおかしくないのですが。
「あれ? ……店員さん!紙置きっぱなしですよ!」
その声に視線を向けると、扉に最も近い遥さんの手の中には一枚の紙が。
手のひらサイズの小さな紙。伝票のような大きさです。
「いえ、そちらは事前に来ていた日向さんに渡されたものです。3人が揃ったら置いていってくれと」
「日向さんが!?」
店員さんから告げられる思わぬ言葉に私達の目が見開いていきます。
同時に灯さんが声を上げ、折りたたまれた紙を急いで開けていくとそこには女の子らしい日向さんの丸文字が。
『やっほー灯ちゃん、伶実さんに遥さん。
悪いけど、今日は秋日和の3人みんな用事ができちゃった~!だからそっちの3人で総さんとお酒の席を楽しんで!
P.S.
お詫びにここの食事代は全部私が持つからね。
遠慮せずに、少なくとも一人5000円は頼むこと!!』
それは、自分たちは来れないという連絡の紙でした。
事故に巻き込まれたとかではなかったことに安堵しますが、これはこれでやられてしまいましたね。
私達は学校の更衣室で私服に着替えてから来たとはいえ、放課からそんなに経っていません。
それなのにメモを残されたということは、前日に渡していたか学校終わりに急いで来たかの二択でしょう。
つまり用事ができたというのはただの方便。この場を私達に譲ってくれたのでしょう。
それは私達が危惧していた、彼女たちがマスターを狙っているという疑いを晴らすためかどうかはわかりません。
しかし、少なくともその文面には悪意が無いことはわかります。
「…………先輩方、どうしましょう?」
「やはり……ここはメモに従うべきではないでしょうか。日向さんたちのご厚意を無下にするのはいただけないでしょうし」
「そうですよね……5000円かぁ……」
灯さんの困ったようなつぶやきに私もつい苦笑してしまいます。
奢ってくれるというのは嬉しいですが、一人5000円はなかなか厳しいですね。
ここは居酒屋でも、値段はリーズナブルなことで有名です。お酒を考慮しないなら男性でも3000円で満足してしまうでしょう。
私達全員で5000円ならともかく、各々だと難しいものがあります。
「遥先輩はどうです? いけそうですか?」
「アタシもちょっと自信ないかなぁ……でも、ホントにいいの?奢ってもらっちゃって」
「はい。色々とふざけることの多い3人ですが、約束は絶対に守りますので。 むしろコレで帰ってしまったら怒られてしまいます」
灯さんがそう言うのであれば、そうなのでしょう。
残念ですね。めったに無いこのような場での……女子会? 奈々未さんも来れれば良かったのですが。
彼女にも打診してみた所、やはりお仕事が忙しいということで断られてしまいました。早く終わったら来るとのことですが、その確率もかなり低いみたいです。
「そっか。 じゃあ遠慮なく頼んじゃおっ! すみませ~んっ!」
「は~いっ!」
えっ!?もう!?
早速切り替えて店員さんを呼ぶ遥さんに思わず目を丸くします。
私、メニューに全然目を通してなかったのに!それに遥さん、ちゃんと呼び出しボタンがそこにあるじゃないですか!
「ご注文でしょうか?」
「はいっ! えっと……シーザーサラダに卵焼きに――――」
淀みなく注文をしていく遥さんを横目に私もメニューに目を配ります。
……居酒屋ってこんなにメニューが充実してるのですね。デザートも数多くて……。なんだか、ちょっとお高めのファミレスって感じです。
「――――コレくらいで! レミミンとあかニャンはまた後でいいよ! また来てもらうからっ!」
「あ、そうですか……?」
慌てる必要の無いことに私はホッと息を吐きます。
店員さんは遥さんの注文を間違いなく復唱し、そのまま扉を閉めて出ていこうとします。
…………しかし動くことはなく、店員さんは廊下の先を見たまま立ち止まってしまいました。
「あの……?どうかしましたか?」
「……お客様、件の方々が来られたようです。これからはお声にご注意を」
「――――!!」
店員さんの口から出るその言葉は、事前に店まで話が伝わっていることの証明と、本来の目的が始まったことを表してしました。
きっとその目の先には愛しの彼の姿が見えているのでしょう。私達は固唾を飲んでジッと静かに隣の部屋へ耳をすまします。
「やっと着いたわね。アンタ、道に迷いすぎよ」
「だって私も来るの初めてだもん~! 地図アプリもなんか調子悪いしさぁ……」
「まぁいいじゃないの。 無事着いたんだしさ」
その声は、女性のものばかりでした。
声的に3人。少なくとも最初に聞こえた人はわかります。優佳さんです。もう2人はわかりませんが、片方は聞き覚えがあるような無いような?
そして聞こえるはぞろぞろと隣の部屋へ入っていく音。
日向さん、ちゃんと隣になるように手を回してくれたのですね。
「でも暑い中歩いたから喉乾いたわね。 ねぇ総、早くビール頼まない?」
総――――
おそらく優佳さんから発せられるいつもの呼びかけに思わず部屋に緊張が走ります。
やはり。彼もちゃんと来ていました。同窓会に。この場に。
「えっ? 確かに喉乾いたけど……コーヒー無い?」
「あるわけないじゃない! 諦めてビール頼みなさい!」
「うぇ~~」
彼のうだるような声に私達はつい笑みがこぼれてしまいます。
その声は間違いなく、私の好きな人のものでした――――。




