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夢のカフェを開いたものの、店はJKたちのたまり場になるようです  作者: 春野 安芸
第1章

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011.禽と鼠


「それでは、奥様をお呼びしますので暫くお待ち下さい」

「ありがとうございます」


 壮年の女性がこちらに一礼し、敷居をまたいでふすまを閉めていってしまう。


 部屋に残されて見渡せば、辺りは余計な家具など一切ないシンプルな和室。

 中央には背の低いテーブルと、床の間に生けられた花と掛け軸のみが見える。

 まさに絵に書いたような和室。シンプルが故に厳かな空間。そんな部屋に、俺達はジッと正座をして目的の人物を待っていた。


 ここは高級住宅街の一角、遥の家。

 地元の名士だということを象徴するかのように広い土地と立派な家が構えられ、その一室に俺たち3人は案内された。


 遥によるとここは客間だとか。さっきの人は昔からのお手伝いさんで、今は母親を呼びに行ってくれてるらしい。

 別に娘がいるのだし客人としての手順を踏まなくてもいいとも提案されたが、ここは俺が会いたい以上、甘えるわけにはいかなかった。


「遥さん……お母様ってどんな方です?」

「んっとね……ママはあんまり笑うところを見ないかなぁ。 タブン厳しい方だと思うよ?」

「そうですか……」


 俺と一緒に来てくれた2人が、両脇から少し身を下げて会話をする。

 厳しいのか……赤点取ったら退学って言うくらいだし、意外ではない。


「どっちかというとパパのほうが優しいよ? アタシに何でも買ってくれるからいっつもママに怒られてるんだ~」

「そっ……そうですか……」


 少し落ち込んだ様子を見せた深浦さんが、その言葉を聞いた途端引きつったような笑顔を浮かべる。

 きっとそうやってバランスを取ってきたのだろう。もしかしたら遥は父親似なのかもしれない。


「でねでね、去年もパパにスマホの買い替えをねだったらママが――――」

「ストップ、遥。 そろそろ来そう」


 明るさを取り戻してきた遥がそのまま思い出話に移行しそうなところを慌てて止める。

 彼女が押し黙って鮮明に聞こえてくるのは、一人分の足音。そろそろ来たのだろう。


 遠くからやって来る音が次第にふすまの目の前にやってきて、その影とともに一瞬だけシンと静まり返ると、ゆっくりと音を立てるか立てないかの慎重さでふすまが開いていく。



 その人は、紺の和服に身を包んだ女性だった。

 髪を後ろに束ね、凛とした雰囲気を醸し出す女性。その佇まいと表情はさっきのお手伝いさんとはわけが違う。きっと彼女の母親だ。


「本日は、我が娘の為にお越しいただき、誠にありがとうございます」


 美しい所作で俺たちの向かいまでやってきた彼女は、一礼し、声を上げる。

 佇まい、言葉、雰囲気。全てにおいて完璧な女性だった。ゆっくりと頭を上げた彼女は、口元や鼻は遥に似つつも、目元だけは似ずにキッとつり上がった目でこちらを順に見る。


「……マスター」

「――――あっ、こ……こちらこそお忙しい中時間を作っていただき、ありがとうございます」


 深浦さんに小声で呼びかけられた俺は、慌てて一礼する。

 危ない……危うく何も言えずスゴスゴ帰るハメになるとこだった。


「回りくどい挨拶は好きではないので単刀直入にお聞きします。 …………娘と一緒に、何の御用でしょう?」

「あ、はい。 それなんですが…………これを」


 俺は事前に受け取った数枚の紙を事前に渡す。


 それは奇しくも目標を達せなかったテスト用紙。

 受け取った彼女もペラペラと数枚めくると、ハァ……と息を吐いて遥に視線を移す。


「遥。 英語……赤点だったようね」

「…………はい」


 今まで鋭かった視線が更に強くなり、遥も視線を下げて小さく返事をする。

 いつもの元気は鳴りを潜め、明らかに弱々しいもの。


「赤点取った時の約束……覚えてるかしら?」

「……………………」

「約束したわよね? 赤点取ったら――――」

「――――ま、待ってください!」


 返事のできない彼女の代わりに、あってはならない二文字が出る前に俺は口を挟む。

 チラリと、顔すら動かさず視線だけを移された圧に一瞬戸惑うも、すぐに負けてはならないと自分を鼓舞してその圧に立ち向かう。


「た……確かに彼女は英語で赤点は取りました。 でも、英語はそもそも平均点が低かった上に、何より数学は平均以上を取ったんです!」

「……数学は他と比べても高いですね。 2教科それぞれの平均は何点ですか?」

「えっと……数学は60点で英語は56点です」

「ふむ…………」


 フォローするように深浦さんが点数を答えてくれる。

 そうだ。遥には数学という武器があるのだ。


「それに、約束してからテストまで、毎日店で勉強してました! そこの……彼女に教えてもらいながら」

「……そうですか。ここのところ帰りが遅かった理由がわかりました。 ところで、そちらの子はお友達とお見受けしますが、貴方は?」

「私は……大牧といいます。 勉強の場を貸していた、喫茶店のマスターです」


 そう、たかだかマスター。クラスメイトでもなんでもない。ほぼほぼ赤の他人と言ってもいいだろう。

 しかし、だからといって無関心でいられるかと、心が警鐘を鳴らしている。


 毎日勉強する姿を、朝早くから来て眠気に抗う姿を、さっき店にやってきた時の、手の震えを見てしまったら、そんなことで片付けてはならない。


「マスターさん。 なんで貴方が関係のないのにかばう真似を?」

「テスト開始までずっと頑張る姿を見てきたからです」

「貴方も働いているのです。頑張ってもどうにもならないこともあったのでは?」

「でも、どうにでもなるかもしれないチャンスをみすみす見逃すわけにはいきません」

「貴方はこの子に気があるのですか?」

「…………いえ」


 必死に訴えようとしても言葉がうまく出てこず、質問に答えることしかできない。

 しかし諦めるわけにはいかなかった。 あれだけ頑張ってた子が、報われないなんて悲しすぎる。


「マスター、もういいよ。  アタシが約束守れなかったのがいけなかったんだからさ」

「よくない。 お母様、この子はテスト当日もですね、ワザワザ徹夜した上に朝早くからウチまで来て勉強してたんです!」


 そうだ。よくない。

 あの朝、普通なら絶対警戒するはずなのに、馬鹿正直に俺を信じてくれて眠ってくれたんだ。


「マスター! アタシ、学校辞めることになってもいいからさ!マスターが頑張ることないって!」

「よくない!! それにですよ!最初は数列の公式が一つも解けなかったのに、今では平均を越えるくらいまで成長したんですよ!」


 そうだ。あれだけ苦労していた公式だって、ちゃんと使うようにできたんだ。その努力は認めなければならない。


「それにですよ――――」

「マスター!!」


 部屋を響かせるようなつんざく声が、言葉を重ねようとしていた俺を止める。

 ハッとして遥に顔を向ければ、こちらに笑顔を向けていた。その目の端からは一筋の涙が見える。


「マスター、アタシのためにアリガトね。 でも、約束は約束。守らなくちゃ」

「でも…………」

「ううん、いいんだよ。  ねぇママ、ちゃんと覚えてるよ。赤点取ったら退学って約束。 ママ、お願い。単刀直入に言って。『退学だ』って」

「…………」



 遥が穏やかな笑みで母親に目を向けると、彼女は少し無言でいたあと、ハァ……とため息をついて再度俺たちを見渡す。

 涙を流しつつも笑顔の遥と困惑する俺。そして心配そうに見つめる深浦さんを順に見渡した彼女は、もう一度ため息をついてその鋭い目を俺たちに向けた。



「ハァ……。 マスターさん、『(きん)(くる)しめば車を覆す』という言葉をご存知ですか?」

「……? いえ……」

「意味は『追い詰められると力を発揮する』ということです。『窮鼠(きゅうそ)猫を噛む』も似たような意味を持ちますね」


 突然なにを……。

 そう思ったのは俺だけじゃないようだ。両脇の2人も同じような顔をしている。


「私は本当に困り果ててました。これまで何度も赤点をとっても気にもしない馬鹿娘に。これでは本当に卒業すらできないんじゃないかと。 なので、少しは危機感を持ってもらおうと約束をしたのです。 少しは勉強してくれるようにと淡い期待を抱きながら……」

「それって…………」


 思わず遥が答えを急くと母親はフッと今まで変えることのなかった表情を崩して柔らかく笑う。

 それは奇しくも、さっき見た遥の微笑みとそっくりな。


「遥がそれだけテストのために頑張ってることはわかりました。 この約束は――――撤回します」

「…………ぇ? いいの……ママ。本当に……いいの?」


 彼女のその宣言に、思わず叫びだしそうなところを堪えて手をギュッと握りしめるだけに留めると、いまだ遥は信じきれてないのか更に問いかける。


「4教科赤点回避は遥にとって快挙だわ。 それに、平均以上も取ったのだしね」

「ママ…………!」

「ただし! ただし、次のテストでは絶対に5教科赤点回避すること!  …………それまで教わりなさい。そこのお友達と……マスターさんにね」

「うん……! うん……!!」


 優しい母の姿を見た彼女は、今まで堪えていたであろう涙が決壊したように溢れ出る。

 突然泣き出したことで驚いた深浦さんと、一安心する俺。


 よかった、退学は回避できた……。母親も、厳しいだけでちゃんと愛情を持っているんだ。




「マスターさん……マスターさん」

「はい?」

「ちょっと…………」


 遥の涙を深浦さんが慌てて拭うのを眺めていると、ふと母親から声をかけられる。

 その様子はまるで内緒話をしたがっているような……。俺はテーブルを乗り出して耳を突き出すと、彼女の暖かな手が耳に触れてくる。


「その……あの子に気がないのは本当ですか?」

「え? あぁ、はい……」

「そうですか…………残念です」


 …………えっ?

 さっきこの人なんて言った? 残念? 気がないことが?


「気が変わったら言ってください。 いくらでも相談に乗りますので」

「いやぁ…………あはは…………」


 向けられる笑みに、俺は苦笑いすることしかできない。

 

 そうして赤点は出てしまったものの、なんとか退学を回避できた俺たちは、一安心するのであった――――。



 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――



「あはは……ごめんね、心配かけちゃって。 それに……アリガト」


 日も落ちかけた夕方。傾いた太陽の光を浴びながら、俺達は門の前へと戻ってきていた。

 問題も片付いたことだし帰るということで俺と深浦さんは彼女の家を出、遥はそのお見送り。


 謝りながらも笑うその姿は以前と変わらぬ悩みなど一切ない様子。ようやく本来の彼女が戻ってきたようだ。


「いえ、遥さんの努力の成果ですよ!」

「そうだな、これも全部諦めずに勉強してきた成果だ。 ……頑張ったな。遥」

「っ――――。 そうかな……そうだと……うれしいな……」


 夕焼けでその顔の色は読めないが、きっと紅くなっているのだろう。照れ隠しに頬を掻きながら小さく笑う。


「…………うん、よし!」

「……遥さん?」

「ねぇねぇマスター、客間に居た時からずっと気になってたんだけど、髪にゴミ付いてたよ?」

「えっ、うそ!? どこ!?」


 ウソ!?俺そんな状態であの人と会ってたの!?

 なんで教えてくれなかったのさ!!もしかしてあの時母親が笑ってたのってそのせい!?


「あーもうっ!動くと取れないよ~! 取ったげるからちょっとしゃがんで!!」

「おう、こっちか?」

「ソッチじゃなくてもうちょっと首曲げて……そうそう、丁度90度くらいに――――――――チュッ」

「えっ――――」


 しゃがんで遥から真横を向くように首を曲げた途端――――頬に触れる暖かくて柔らかな感触。

 何のことかわからずに立ち上がってまっすぐ向くと、彼女は両手で口元を隠しながら後ろ歩きで扉まで向かっていく。


「マスター! 今日はありがとね! それは今日のお礼!!ゴミはウソなんだ、ごめんねっ!!」


 そう言って逃げるように扉をくぐっていく遥。

 俺は隣で必死に呼びかける深浦さんをよそに、その場に立ち尽くしてしまうのであった――――――――。


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