109.ちょっとのワガママ
「あっ! あかニャ~ン!こっちこっち!」
私の隣で遥さんが突然、中腰になりながら廊下に向かって呼びかけます。
少し身体を捻ってその視線の先を見ると、心許ない灯さんががキョロキョロと辺りを見渡しているのが目に入りました。
私達を認識すると、少しホッとしたような様子を見せつつ小走りでこちらに近づいてきます。
「遥先輩!伶実先輩! すみません遅刻しちゃいましたか!?」
「ん~んっ、時間ピッタシだよ! アタシたちが早く着きすぎちゃっただけだから~」
そうおどける彼女に灯さんはホッとします。
彼女は私達が居る室内を見渡してから座るべき場所を見定めたようで、私達の後ろを通って腰を降ろします。
「随分と……賑やかですね。 遥先輩、ターゲットはもう来てますか?」
「まだだよ~! レミミンの言う通り早めに入っておいて良かったねっ!」
「そうですね……。 でも……やっぱりこういうお店は緊張します…………」
そう言いつつ灯さんの視線はうろちょろうろちょろ。なんだかんだ、初めての体験に少し胸が踊っているようです。
そして私も同じ気持ち。遥さんだって。
だってみんな……ここに居る全員、このような大人のお店は初めてなんですから――――。
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「それで灯さん……お友達と一緒にどうしたのです?」
少し時間を戻して3日前のお昼休み。
私達は遥さんとお昼を食べようとしたところ、灯さんに呼ばれて食堂へとやってきていました。
彼女の隣には、お友達の3人が。
見覚えがあります。参観日の日に話してましたよね。秋日和……といいましたっけ。
「えっとですね……遥先輩に伶実先輩、金曜日の放課後って時間ありますか?」
「金曜日? アタシは大丈夫だよ!いつも通りお店に行くだけだし!」
「私は……バイトがありますね。マスターに言えばおやすみは取れると思いますが……」
私も遥さんも、お互いにお店に行くという目的は同じです。
私はバイトがありますが、それを灯さんが知らないことはないでしょう。
「それはよかったです。 金曜日ですが……その……えっと…………」
「あかニャン……?」
なんだか歯切れの悪い言葉に遥さんが心配そうな顔をします。
何でしょう。彼女は頭もいいし心優しい。そんな変なことではないでしょうけど……。
「金曜日……金曜日ですけど…………その――――」
「灯さん、私が代わります。 金曜日ですが、私達と一緒にお食事しませんか?」
「食事……ですか」
灯さんに代わって話を進めたのは秋穂さんでした。
彼女も日向さんと乃和さん同様、ここに来る途中紹介は受けてました。
秋穂さんはその綺麗な金色の紙をたなびかせながら堂々と私達に問いかけてきます。
「えぇ。 そこの日向のご両親が居酒屋のお店を経営してますの。 そこでお食事でもどうかと思いまして」
「居酒屋!? 居酒屋はその……アタシたちにはまだ早いかなって……」
珍しく遥さんが乗り気でないですが、私もそう思います。
居酒屋というのはイメージでしかありませんけど、お酒を飲む場所ですよね。
酔って人が暴れたり高値で騙されたり、そんなことを聞きます。
「いえいえ、お二人が何を想像しているのか知りませんがそんな事ないですよ。 個室でプライベートも確保されてますし、親の店ですから変にぼったくられる心配もありません」
日向さんが補足してくれますが、やはりどうも不安は拭えません。
知っている大人……マスターや優佳さんが一緒ならなんとかですが、子供だけですと……。
「でもでも……やっぱりお酒のお店ってのはちょっと……あんまりいい思い出ないし」
「私も……です」
私も遥さんも、お酒入りのチョコレートで恥ずかしい思いをしましたからね。
今ならあれくらい勢いでいけますが、あの時は相当恥ずかしかったです。それに、大切なことは酔っていない時に経験したいですし。
「未成年ですしねぇ。 でも事前に言っておけばお酒は提供しないでくれますよ。そもそも私達が注文しなければ済む話ですし」
「あっ、そっか」
もっともな回答に私達は納得します。
確かに、お酒を頼まなければ、もし事故が怖いなら事前にどうにかなりそうですね。失念しました。
でも、それならそもそも…………
「でも、無理に居酒屋にする必要ないのでは? どこか普通のレストランとかカフェとか……そういう選択肢はないんですか?」
「あぁ、やっぱり聞いてくるよねぇ……」
そうです。
たとえ日向さんのご両親がやっていても、わざわざ居酒屋に行かずレストランなどにすればいい話じゃないですか。
そう思って問いかけますが、その表情は何か事情があるようです。
何か言いたげだけど、言えない雰囲気。そんな不思議な空気に包まれていると、一人乃和さんが立ち上がってその真実を教えてくれました。
「あのねっ! 総さんがそこで同窓会するの!だからコッソリ様子見てみようかなぁって!」
「同窓会……? 総さん……?」
同窓会の意味はわかりますが、総さん?
私の知り合いで総さんといえばマスターのことしか思い浮かびませんが、彼女が何故その名前を……?
「……先輩方の想像通り、総さんはマスターのことです」
「マスターの同窓会? 確かに気になるけど、アタシたちがムリして行くほどのこと?バレたら大変じゃない?」
やはりマスターの同窓会でしたか。
でも遥さんの言う通り、そんなわざわざ行く必要もないと思いますが……。昔の友人方ですし、そんな恋愛に発展するわけもない――――
「私もそう思ってたんですが、日向にコレを見させられまして」
「ちょっと借りるねあかニャン。 なになに…………『同窓会で大恋愛!?同窓会不倫が今熱い!!』 コレって……!!」
「っ――――!!」
灯さんから借りたスマホのネット記事を見て、私は言葉を失ってしまいました。
同窓会で久しぶりに会った友人たち。立派になった友人や昔より代わった友人との再会。
昔を知っているから気兼ねすることもなく、自分の素をさらけ出せる。そして自然と気があった友人同士、次第に恋心が生まれて不倫に…………。
「総さん…………っ!」
突如襲われる危機感に、無意識で誰にも聞こえないほど小さく彼の名前を呼んでいました。
私達はまだ高校生。子供です。
彼が私達みたいな子供に目もくれず、大人の……昔からの友人に心惹かれてしまったらどうしよう。
不倫の確率が高い……。いくら優しいマスターでも、私達を捨ててそんなことが無いともいい切れません。
「だから心苦しいですが……私はマスターの様子を見にお店へ行こうと…………!」
「あかニャン…………」
灯さんは顔を伏せながらそう告げます。
彼女はもっともその気持ちを表に出すことが少ないですが、それでも秘める気持ちは私達に匹敵するほど強いことくらい知ってます。
だからこそ、心配する気持ちといけない気持ちがあるのでしょう。
そんな彼女を受け入れるように、気づけば遥さんは両手で彼女の手を包み込んでいました。
「うんっ……! マスターには悪いけど、アタシも付き合うよ!」
「遥先輩……」
「マスターはアタシを抱き枕にして一晩寝ちゃったからね! 私の抱き枕代は高いよ~!お風呂入りたかったのに恥ずかしかったんだから!!」
そう言って憤慨する彼女に笑みがこぼれます。
私達もあの日のことは聞いていました。そして、遥さんを心から羨ましいとも。
抱き枕の件だって、お風呂を除けば遥さんもかなり嬉しかったでしょうに。
私だっていつ抱き枕にしてくれるか期待して待ってるんですからね。
「ありがとうございます……! それで……伶実先輩は……?」
「はい。 私もお付き合いしますよ。 辛い時に私を呼んでくれなかったこと、ちょっとのワガママじゃ解消されないですから」
私も受け入れるように笑顔を見せると、不安そうにしていた灯さんにも笑顔が生まれます。
あの日真実を知って心苦しんだ彼。
その側に私が居なかったことは後悔し、辛かった。
私もあの場に居たかった。そして慰め、一緒に背負いたかった。
だから、ちょっと同窓会を覗く程度のワガママ、マスターなら許してくれますよね?




