105.充電完了
「ねぇねぇ聞いてよレミミ~ン!」
その日の夕方。
遥は勢いよく扉を開いてやってきた。
伶実ちゃんはバイト、放課後一番乗りというテイでいる灯は読書をしてゆっくりの時間を満喫していると、扉に取り付けた鈴が大きく暴れだして遥の来客を告げる。
「どうしました遥さん。そんな血相変えて……それほど先生に怒られましたか?」
俺の隣でメモを取っていた手を止め、テーブルに歩いていくのはいつもの伶実ちゃん。
頼られたのが嬉しいのだろう。彼女は呆れた顔をしつつもその実、こころなしか嬉しそうに遥のもとへ向かっていく。
ちなみに、遥が今やって来たのは先生に怒られていたらしい。
どうも夏休み明けに出された宿題を家に忘れてきたからだとか。 呆れたいところだけど俺も長休みの宿題忘れた記憶があるから人のこと言えない。
「確かにそこそこ怒られたけどぉ……そうじゃなくってっ!今日から教育実習の人来たでしょ!?」
「…………あぁ。 確かにいらしてましたね」
へぇ、あの学校私立なのに教育実習も受け入れてるんだ。
いいねぇ、大人になった今だからこそわかる。学校生活の楽しさと言うものが。
色々と陰口や辛いこともあったけど、それでも優佳やその友人とバカやってた時は楽しかったな。
「教育実習? 私もお会いしましたよ」
「あ、あかニャンも見たんだね! どうだった!?」
「どうって、普通に美人な大人の女性って印象しか……。私達の授業を後ろから見ていただけでしたし」
最初のうちはそんなものだよね。
まず後ろから授業風景を眺めてその後フォローの役割。最後に任せてもらえるんだっけ。
……そういえば、俺が辞めた大学でも、行ってればそろそろ実習の時期だろうか。
現役大学生の優佳はそもそも単位が足りてないだろうし、俺も該当の授業取ってなかったから関係ない話だけど。
「それで、その方がどうしたんですか? 遥さん」
「うん……。アタシも職員室でちょっと話し声が聞こえてきたんだけど……その人、マスターと同じ高校なんだって!!」
「「――――!!」」
遥の驚きの言葉に2人は目を丸くする。
俺と同じ高校かぁ……ってあれ?母校についてみんなに教えたっけ?
「なぁ遥。なんで俺の高校のこと知ってるんだ?」
「へ?優佳さんから教えてもらったよ!」
あぁ、優佳からか。
俺の居ないとこでも連絡取ってるって聞くし、そのうちのどこかで聞いたのだろう。
でも同じ高校かぁ……。きっと知らない人だろうな。
高校時代はまだ小学と比べてマシになったとはいえ友人も限定的だし、嫌っている人のほうが多かった。
それでもなお大半は関わりを持たない、互いに知らない人ばかりだったから俺の名前を出しても知らないだろう。
数少ない友人と連絡を取らなくなって久しいけど、元気かな…………。
「あ、あとマスター! はいっ!」
「……これは?」
昔のことに思いを馳せていると、彼女はバッグを漁りながらこちらに近づいてきて1つの箱を手渡してくる。
缶の……箱?英語ですらない謎の文字でさっぱりわからないけど、イラスト的にお菓子っぽそうだ。
「パパとママが渡してくれって! ……あ、お酒が入ってるみたいだから気をつけてね!!」
「!?」
お酒――――
その言葉で思い出されるのは以前の惨状。
伶実ちゃんが倒れ込んで、遥が一粒で酔ったあの出来事。
慌てて包装を剥がして蓋を取ると、幸いにもチョコレートは過不足無く全て収められていた。
今回は被害者が居ないことに安堵した俺は蓋を閉じてカウンターに置いておく。
「今回は誰も食べてないよぉ。 心配性だなぁマスターは」
「そりゃ前にもあんなことがあれば…………って遥!近いって!!」
「むふふ~。 なにがぁ~?」
安堵した俺を眺めていた遥は何を思ったのか後ろから俺に抱きつき、肩からピョコンと顔を出す。
あぁ……これだ。
以前より増した彼女からの接触の多さ。
耳元から漂ってくる香りと背中に伝わる理性を破壊するような柔らかさ。
その大胆さに思わず酔ってるんじゃないかとも疑ったが、酒の匂いも頬の高潮も見られない。
代わりに見られるのが満足そうな遥の笑顔。少しニヤニヤとしていて若干からかっていることも感じられる。
「マスター……また鼻の下伸ばして……」
「…………」
と、同時に前方から発せられる氷のように冷たい視線。
言うまでもない。伶実ちゃんと灯だ。
彼女らなりの一線があるのかそれ以上は踏み込んでこないものの、毎回突き刺さるその視線。
遥も抱きつくのは短時間ではあるが毎回こうだから俺の心臓はどんどん縮まっていく気がする。
「……よしっ!充電かんりょ! マスター!ありがとねっ!」
「お、おぅ…………」
満足そうに離れていく遥を見送ると、冷たい視線もフッと消え去ってしまう。
もうこれが始まって1週間だけど、慣れないな……。
「それで遥先輩、その教育実習の人の名前は聞きましたか?」
「ん~ん。聞きそこねちゃった。 レミミン、聞いてる?」
「私も残念ながら……」
あら、残念。
名前さえ知ってれば俺の方でも調べようがあったのに。
でもまだ実習の序盤ならこれからいくらでも調べることもできるだろう。
……そういえば卒アルってどこにしまったっけ。
持ってきては無いから……実家?以前伶実ちゃんたちが漁ってたところに紛れ込んでたりするだろうか。
まぁ無くても優佳が持っているか。俺と同じく失くしてなければだけど。
「マスター……」
「伶実ちゃん? …………っ!」
いつもの定位置に座ってお菓子を広げる遥を眺めていると、ふと背後から伶実ちゃんの声が。
何かと思って振り返ろうとした途端、ギュッと先程の遥のように抱きしめられる感触がして思わず息を呑む。
「……どう、ですか? 嬉しい……ですか?」
「う……うん……。 嬉しい……よ」
積極的な遥とは違う、恥じらいを全面に押し出した彼女からの、精一杯の勇気。
そんな彼女から力いっぱい抱きしめられていることに思わず自らも緊張してしまう。
「なら、よかった……です。 私もマスターのこと大好きなんですから、忘れないでくださいね?」
「もちろん……。 ありがとう」
臆面もなく抱きつく遥が羨ましく思ったのかどうかはわからない。
けれどここぞという時に積極性を見せる彼女のギャップにも、その気持ちの表れに心が暖かくなる。
「あ~! レミミンズルい~! アタシも~!」
「遥さんはさっきやってたじゃないですかっ! 今は私の番ですよ!」
「ム~!」
ようやく伶実ちゃんの姿が見えないことに気づいた遥は、キョロキョロと辺りを見渡して俺の後ろにいることに気付くやいなや抗議の声を上げる。
しかし返されるのは最もな反論。もはや何もすることができなくなった俺は、俺を挟んで行われる彼女たちの視線のやり取りを見てクスリと笑うのであった。




