104.恋愛、親愛
鋭い視線がまっすぐこちらを射抜く。
少し伸びた、綺麗に切りそろえられた前髪。多少目にかかるようになってきた彼女のその黒髪を掻き分けて、一切を見逃さないようにジッとこちらを見つめている。
俺はそんな彼女を、極力目を合わせないようにしながら手を動かしていた。
今している作業はこちらを見てくる少女の注文……オレンジジュースの作成。
手元を見ながら出来上がったジュースをカウンター席に座る彼女の手元に置くと、チラリと目を動かすものの手を動かすことはなく、ゆっくりと口を開く。
「…………マスター」
「……はい」
つい言葉が改まってしまうのはこの雰囲気のせいだろうか。
学校をサボっていた秋日和を戻らせた灯から向けられる、まっすぐの視線。
きっと、怒っているのだろう。
そしてその理由は彼女が大好きな遥を俺が奪ってしまっているから。
正確には彼女が俺のほうに来ているのだが、灯からすればどちらも大差ないだろう。
となれば、早々に謝るのが最も良い方法か。
「すまな――――」
「マスター、随分と……楽しそうでしたね」
「――――へっ?」
俺の言葉を遮るように彼女が発したのは、まさかの言葉だった。
字面だけ上げると怒っているようだが、込められた思いは違う。声のトーンが、明らかに拗ねたものと同じだったのだ。
思わず顔を上げて彼女を見れば、視線を逸らされるように横向く彼女の唇は尖っている。
「あの子達も……可愛いですもんね。性格も色とりどりで…………下の名前で呼ばせてましたし」
「下の名前って……あの呼び方は話す前から勝手に言ってたんだけど、灯のほうが心当たりないか?」
「別に隠さなくてもいいんです。 あの子達がそう呼ぶなんて心当たり、私には全然…………あっ…………」
彼女は首を横に振って否定しようとしたものの、すぐに心当たりに至ったのか小さく言葉を漏らしてその目を丸くする。
それから何か考え事をするよう考えに耽ったと思いきや、段々とその顔に赤みが増していく。
「もしかして……何かあったとか?」
「べっ……!別に何もありませんよっ! ただ学校であの子達と居る時はいつもマスターのこと総さんって呼んでるわけじゃありませんから!!」
「…………」
語るに落ちるとはまさにこのこと。なるほど、だからあの子達からの呼ばれ方もそうなったのか。
1から10まで語った彼女は最初こそ呆気にとられたような顔をしていたものの、すぐに言った言葉を思い出したのか自らの顔を手で包み込む。
「い、いやっ! 俺はなんて呼ばれてもいいよ! マスターでも総でも!」
「~~~~~!!!」
さっきとは更に2段3段上まで顔を真っ赤にした彼女はまさにゆでダコだ。
もはや蒸気が出そうなほど顔の赤い彼女は熱を冷ますため目の前にあったジュースを一気飲みする。
「んくっ……んくっ……」
「あんまり飲みすぎると、むせるから……」
「んくっ……んくっ……っ!!~~~~!!」
「あぁもう、言わんこっちゃない!」
きっと気管に入ったのだろう。
飲んでる最中に突然咳き込んだ彼女のもとに行って背中を擦ると段々と冷静さを取り戻していく。
「はぁ……はぁ……す、すみません……」
「ううん、むしろ俺も謝らなきゃいけないことがあるし……」
「私に、ですか?」
ようやく呼吸が整った彼女が、首を傾けてこちらを見る。
長いまつげにつぶらな瞳。まだまだ年相応……もしくはそれ以下に幼く見える彼女のもとにしゃがんでその瞳を見上げる。
「そのだな……。最近、遥を取ってすまなかった」
「遥先輩を……ですか?」
「さっき秋日和に聞いたけど、俺の話題を出すと怒ったようになるって。 それって遥が俺のところばかりに来るからじゃないのか?」
遥のことが大好きな灯。
それは自ら愛していると宣言するほどだった。そんな遥が俺のところばかりきたら、取られたと思われても仕方ない。
「……マスター、前に私が言ったこと、憶えてます?」
「前に?」
「お墓参りの日、私がマスターのことを好きだって言ったことです」
「あぁ……憶えてるが……」
忘れるわけない。
けれど、それ以降とくに何もなかったものだから俺はてっきりその場の勢いかとも疑っていた。
ならばずっと宣言している遥への気持ちのほうが大きいだろうと。
「…………私はですね、ずっと、勘違いしていたことがあります」
椅子から降りた彼女は、俺と同じくしゃがみ込んでこちらを見上げてくる。
「たしかに、遥先輩のことは大好きです。愛しています。…………でも、実際にマスターという人を好きになって、この気持ちを実感して、気づいたんです。 あぁ、私の遥先輩への想いって、親愛なんだなって」
「灯……」
彼女の手は俺の手を取り、優しく包み込む。
それは暖かく、心が伝わってくるかのよう。
「私が本当に好きなのはマスターなのです。遥先輩ではなく、マスター」
「でも、俺の話題を出したら怒るっていうのは……」
「それは……あんまりあの子達の前でマスターの話題を出すとその魅力が伝わって、マスターのことを好きになられるのが嫌で…………」
そう言って恥ずかしそうに口元を隠しながら目をそらす灯。
あぁ……だから秋日和の前で話題を出さなくなったのか。
俺が彼女の怒る理由に納得していると、すぐになにかの考えにぶつかったのか眉がへの字に曲がり、何か悲しげな表情へと変わっていく。
「だから、今日あの子達がマスターの事名前で呼んでいて驚いたんです。 驚いて……嫌な気持ちが渦巻いて……」
「…………」
「おかしいですよね。私が裏でそう呼んでいたことが原因なのに…………きゃっ!」
そう言って自嘲するように笑う彼女を、俺はそっと抱きしめた。
肩が触れ合うだけの、ささやかなハグ。突然の出来事に小さく悲鳴を上げた彼女はその場に固まって次の俺の動向を伺う。
「別に、おかしくないよ。 俺のことはマスターでも総でも、好きに呼んで」
「でもっ…………いいんですか?伶実先輩も遥先輩も、呼んでないのに」
否定の言葉を出そうとした彼女は、すぐに言葉を止めて問いかけてくる。
伶実ちゃんも遥も、呼び名を変えるなんて関係ないだろうに。
「別に構わないよ。灯の好きなように」
「……じゃあ、2人きりの時に総さんって呼んでいい……ですか?」
「もちろん」
少し控えめに。オドオドとした様子を見せながらの問いかけに、俺は笑顔で答える。
すると彼女は一転その表情に笑顔が生まれ、ギュッと背中に手が回る。
「総さん」
「はい」
「……総さん」
「はいはい」
「…………総さ~んっ!」
楽しげに。そして明るく耳元で聞こえるのは俺の名前。
そんな彼女の呼びかけは、学校が終わって伶実ちゃんたちが来る直前まで続くのであった。