101.ご学友
カチャカチャと――――
静かな空間に聞き慣れた音が聞こえてくる。
それはガラスが物に当たるごく自然な音。
もはや何百回、何千回と聞いてきた自然音をBGMにしながら、いつものようにお湯を注いでいく。
ゆっくり……ゆっくりと。少量でも多量でもなく、適量で。
細い注ぎ口からお湯が流れ出て落ちるのは茶色い粉が集まる先。
お湯が落ちたことで粉が茶色から黒々しく変わっていくのを見届けてから、全部を流し切る前に手を止めてタイマーをかける。
ふんわりと、お湯が立ち上るのにつられて鼻孔をくすぐるのはお気に入りの、風味豊かなコーヒーの香り。
コーヒーと一概に言ってもその香りは様々。今回のこれは、香ばしさを重視した香りだ。
何年も堪能したことで自然と落ち着くようになった香りと、ひときわ強い苦味。
その苦味を再び堪能すべくタイマーが鳴るのを待ってから再びお湯を落としていく。
あれから、遥の家にお邪魔してから1週間ほどの時が経った。
現在は9月。暦の上では秋らしいがまだまだ夏の陽気が日本を埋め尽くし、ミンミンとセミが辺りを彩っている。
外界はすっかり8月のモラトリアムが過ぎ去って、惜しまれながらも駅を、学校を、会社を賑わせている頃だ。
俺はそんな慌ただしい人々を買い物帰りにすれ違いつつ、一人優雅にだれも居ない店でコーヒーを堪能していた。
目の前にはカランと音を鳴らすコップに注がれる、元お湯だったコーヒー。
アイスコーヒーとなってしまったそれを、一口堪能してから時計を見る。
時刻は午後2時すぎ。今頃みんな、午後の授業で眠くなっている頃だろうか。
色々なことがあった夏休みも、過ぎてしまえば大切な思い出だ。
最近仲良くなった少女らの気持ちを知って、自身の過去と向き合い、自称原因とも対峙した、大切な思い出。
本当に……本当に色々あったが、結局俺は何も変わっちゃいない。
まぁ多少、彼女らの気持ちを知って立ち振舞いに変化はあるだろうが、それでも本質的には何も変わっていない。
一応、変わったことといえばこの1週間、学校帰りに来てくれるみんなの距離感が近くになったことだろうか。特に遥。
なんというか、前よりももっと距離が近い。時々甘えた声も出すし、油断すればやられているところ。それでもいつも伶実ちゃんが諌めてくれるから事なくすんでいるのだが。
しかし、結局俺はこの日常が好きなのだ。
寂しがり屋だとしても一人の時間も大切。
こうして日中は一人優雅な時間を過ごし、夕方付近になれば学校帰りにやってくる少女たちが店を彩り、明るくする。そんな日常が。
「…………ははっ」
そこまで考えて俺は苦笑する。
最初は徹頭徹尾一人の時間を満喫するはずだったのに、いつの間にか彼女らのと過ごす時間が大切になっていることに。
いつの間にかそれが日常となっていることに。
チリンチリンと。
手に持っていたコーヒーが空になったタイミングで扉が来客を告げる音を出す。
こんな時間に誰だろう……。奈々未ちゃん御一行か、それともバイトを抜け出した優佳。もしくは大穴でウチの両親だろうか。
…………あ、結局父さんも母さんも店に招待し忘れてた。まぁ、また思い出したときでいいや。
「いらっしゃいませー……あれ?」
手にしていたコップを置いて見上げた先には、3人の少女が立っていた。
距離と光の関係で顔まではよく見えないものの、その服は3人とも見慣れた姿……シンジョの制服を身にまとっていた。
「お好きな席に……どうぞ」
少なくともあの3人ではない。
あの学校の一応徒歩圏内とはいえ、こんな人が来るとは思えないところを見つけ出すなんてすごい。そして入ろうとする勇気もすごい。
「じゃあ……カウンターでよろしいかしら?」
「え? あぁ、はい」
高いソプラノの声とかしこまったお嬢様のような口調。
その声に少し呆気にとられてものの返事をすると、彼女たちはまっすぐ歩いてきて目の前に座る。
3人共、可愛らしい少女だ。
金髪に黒髪に茶髪。全員違った色で憶えやすそう。
金髪は毛先だけ軽くウェーブがかかって肩甲骨まで長い髪。
黒髪は短く、飾りっ気のないショート。
茶髪は首元で2つに分けた……カントリースタイルのツインテールだ?
「………………」
「……ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください」
なんだかジッと見られながらもお冷を渡し、妙な空気を感じ取りながらお茶を濁すようにコップを丁寧に洗い出す。
なんだろう……。メニューを見てくれてるのはいいんだけど、それでもチラチラこっちを見られているような。
それにこの子たち、見覚えがあるような無いような?
「あの……」
「あ、はい!」
ゆっくりゆっくりと。汚なくないのに頑固汚れを落とすくらい時間をかけてコップを洗っていると掛けられる声。
急いで水を止めて彼女らの元へ向かうと、その視線はメニューへ。どうやら注文を決めたようだ。
「オレンジジュースとメロンフロート。あと……このパフェかしら?」
「うんっ!」
「じゃあ、それでお願いいたしますわ」
金髪の子が代表して告げ、確認するように横を向くと茶髪の子が大きく頷いた。
俺も注文を復唱して早速製作に取り掛かる。やっぱり、見たことある気がするんだよなぁ…………。
(ねぇねぇ! 聞かないの!?)
(聞くわよ!でもタイミングってものがあるじゃない!)
(別にいつ聞いても変わらないと思うんだけどなぁ……杞憂だろうし)
彼女らに背を向けて作業していると、そんな小声が耳まで届いてくる。
聞く?ってことは用があるのは店じゃなくて俺か?でもあの子ら以外用なんて無いはずなんだけどな……。
あ、あとこの子たち学校どうしたんだろ。伶実ちゃんに聞いた話だと今日も普通に学校のハズなのに。
(でも、聞かないとせっかく授業サボったのが無駄なるよ?)
(わかってるわよっ!ちょっと待ってなさい……)
(は~や~く~! お腹すいた~!)
なんだか小声なのに賑やかだ。
ようやくできた注文3つを揃えて振り返ると、前のめりになっていた彼女たちは大慌てで椅子に座り直す。
「えと……ご注文、できました」
「あ、ありがとうございますわ。私がオレンジジュースで…………」
金髪の子が指示するのに合わせて置いていく。フロートが黒髪の子でパフェが茶髪の子か。
「おいしそ~! ありがと!総さんっ!」
「はいはい。どういたしまして…………ん?」
目を輝かせたパフェの子がお礼を言ってくれるのを普通に流しかけたが、何やら聞き慣れすぎて聞き慣れぬ言葉に思わず声を発す。
なんでこの子、俺の名前を知ってるんだ?少なくとも初対面。会話をするのは初めてのはずだ。
チラリと横目で2人を見れば黒髪の子は普通にフロートを口にし、金髪の子は頭を抱えてため息を付いている。
「乃和…………」
「へ?……あぁっ! 言っちゃった!」
金髪の子の、呆れたように出す声に引っかかるものを感じる。
乃和……乃和…………あぁ!!
思い出した!秋穂に日向に乃和!灯の友人である3人だ!
見覚えあるのも参観日の日に顔を見たからだ!
金髪の子……以前秋穂と呼ばれた少女は困り顔を見せながらもまっすぐ俺を見つめてくる。
きっと俺の顔は驚きに満ちていただろう。その表情を見て察したであろう彼女は諦めたようにもう一度息を吐く。
「ハァ…………。 総さん、もう察したと思いますが、私たちは灯さんの学友です。本日はお話したいことがあって参りました――――」




