010.殴り込み
「わぁ…………!」
「な…………なにこれ…………」
俺と深浦さんは揃って目の前の光景を目の当たりにし、思わず心からの声が漏れる。
ただただ圧巻。ただただ呆然。ただただ驚愕。
驚きの言葉を述べてるだけだが、そうとしか表現のしようがない。
俺は口をあんぐりと開けながらそこに建っているものを眺めていることしかできなかった。
「ここで間違いないんですよね? 遥さん」
「うん……。 ごめんね?こんな変に目立つような家でさ。恥ずかしいよね。 えへへ……」
頭を掻きながらいつものように遥が笑うも、そこには前のような元気がない。
頑張って明るくしようとするものの、どこか影を落とす。そんな感じだ。
俺たちの目の前に広がるのは、一棟のお宅。
一世帯……またはそれに連なるものが暮らすただの家だ。
しかし驚くべきはその大きさ。電車に乗って降りるは有名な高級住宅街。その中でもひときわ広く、更に贅沢にも屋根瓦の平屋という昔ながらの様式を携えた家が、そこにはあった。
高級住宅街でもさらに別格、まさに最上級と言えるほどの家に、案内されてしまったのだ。
「あの、遥さんの親御さんって何をされてるのでしょう……?」
「なんだろ……? ここらの……地元のメーシ?ってのは聞いたことがあるんだけどね。 よくわかんないや」
えへへ。と困ったように笑う遥。
地元の名士…………昔からの名家か。
「すごいんですね……遥さんって」
「アタシは何もすごくないよ。 すごいのはパパママだし、家は広くってただ掃除が大変なだけだし」
何ともないように俺たちと同じく門を見上げる遥。
まさか普通に明るくて元気な子だという印象が強かったからここまでのお嬢様だなんて予想すらしてなかった。
どうしよう……今更になって緊張してきた。
「マスター……大丈夫です……? 手が震えてますけど……」
「お……おう。全然。 深浦さんは?」
「私はマスターも……遥さんもいるので大丈夫です!」
ふんっ!と可愛らしく鼻を鳴らしてギュッと握りこぶしを作る深浦さん。
そっかぁ……平気かぁ……すごいなぁ……可愛いなぁ……。
「マスター、難しいようならここで待ってもらっても構いませんよ? 私が話しますので」
「い、いや。 言い出しっぺだし、ここまで来たのなら行くよ。大丈夫」
心配してくれる彼女をよそに俺は自ら奮起するよう深呼吸して呼吸を整える。
そうだよ。俺が言い出して連れてきて貰ったんだから、ここで頑張らないでどうするんだ。
「じゃあ、遥、頼む」
「うん。 ごめんね、アタシなんかのために」
彼女はポケットから鍵を取り出して目の前の大門の横にある小さな扉へと向かっていく。
何故俺たちは彼女の家へと来ることとなったのだろう。
それは今から1時間ほど前へと遡る――――――――。
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「英語が32点で赤点……ということは…………」
コーヒーの香りが充満する空間、喫茶店。
そのカウンターに集まるように立っているのは俺に深浦さんに遥。そのうち2人はカウンターへと並べられたテスト用紙へと注がれていた。
本日まで行われていた中間テスト。そのうちの基本5教科が今彼女らの元へと返ってきている。
その学校は35点が赤点ライン。そして遥は事前に赤点が出たら辞めさせられるというお達しが出たらしい。そしてこの英語の点数……。
「つまり遥は――――」
「ま、待ってください! 今回の英語と数学は特別難しかったんです! 英語の平均は56点って聞きました!だから……だから…………」
深浦さんは最初は声を荒げたものの、段々と弱まって最後まで言えなくなってしまう。
当の遥は今も俺の胸に顔をうずめたままだ。泣いている気配はないが動く気配すら見せない。
「深浦さん…………」
「あ…………あははっ」
顔を下げた深浦さんを案じていると、不意に胸元の彼女が顔を上げた。
たたっと俺から数歩離れるように見せた顔は朝と変わらぬ笑顔。
しかしどことなく笑顔に影が落ちるように、何か暗いものを感じる。
「ごめんね、レミミン。 あんなに一生懸命教えてもらったのにさ、あと1問のところで全部ダメになっちゃってさ」
「いえ……そんなことは……」
「そうだよね。 あと1問だったんだよね…………」
頑張って笑顔を作っていた彼女も、「あと1問」と繰り返すように言い顔を伏せてしまう。
32点。
それは確かにあと1問でどうにかなったのだろう。しかし今それを言うのは…………。
「深浦さん、ソッチの学校ってそんなに厳しいものなの? ここまで頑張ってたんだし情状酌量の余地とか……ない?」
「…………」
俺の問いに彼女は黙って視線を落としたまま。
「そんなに厳しいのか……」
「えっ……あっ! いえ、すみませんマスター!そうじゃないんです!」
「?」
がっくりと俺も肩を落とすと、彼女は慌てたように訂正を入れてくる。
いや、無理なら厳しいことに変わりないんじゃないの?
「なんといいますか……私、テスト前に確認したんです。 1学期の中間テストで退学の有無を決めるのは今まで聞いたことなくって。
それで先生方はみんな、この時期に退学を決めることはありえないって言うんです。そもそも退学は学力で決めないって、決めても学年の最後に留年するくらいだって」
彼女の言葉は耳を疑うものだった。
それだと……前提そのものが崩れてしまう。最初に遥が言ったことがデタラメになってしまう。
「つまり……どういうこと?」
「その、きっと退学の話は学校とではなく身内で決められたのではないのでしょうか? 例えば……ご両親とか」
「そうなのか? 遥」
「…………うん。 ママと約束しちゃったんだ」
つまり、俺が今まで学校から告げられたとばかり思っていた退学の条件は、どうやら母親との約束だったらしい。
なるほど……。だったら…………やることは決まっている。
「それでも……困ったことには変わりないんですよね。 マスター……何かいい案は――――」
「それだったらやることは一つしかないね」
「――――えっ?」
今までの情報を整理して、何をするべきか考える。
学校の制度ならどうすることもできなかったが、親との約束ならこれしか無いだろう。
「遥、これから家に行っていい? お母さんに挨拶がしたい」
「へっ…………えぇ!? なななな……なんで!?」
「マスター!?」
至って純粋な質問に、何故か2人から驚愕の声が聞こえる。
普通にこの答えしか無いと思うんだけど、何を驚くのだろう?
「なんでって、直接話してその約束を取り下げてもらう。 もちろん頑張ってた姿を伝えるために、俺が話すから」
「ママに……私の頑張ってた姿を…………? あ――――なんだ!そうだよね!あーびっくりした……」
「? うん、もちろん。 それ以外なにか案あった?」
「ううん! なにも!なんにも無かったよっ!!」
なんだろう……遥が妙に挙動不審だ。
何か勘違いでもしていたのだろうか。
「マスター!」
「うぉ!? な、なに……?」
遥の行動を疑問に思っていると、今度は深浦さんが俺へと詰め寄ってくる。
近い近い! 顔近いって!!
「遥さんのお母様と話すってそのことだけですよね!? 決して永久しゅうし…………の提案じゃないですよね!?」
「永久…………なんだって?」
「~~~~! なんでもないです!!」
何故か深浦さんは、自分で聞いたものの答えも得ずに顔を真っ赤にして背を向けてしまった。
永久歯? 歯が何か関係するのか?
「ま、まぁ。 だから家までの案内を頼む。 俺はちょっと着替えてくるから」
何やら挙動不審な2人をよそに、俺は準備をするため店の奥へ。
さぁ、殴り込みだ! あれだけ頑張っていた遥の努力を……無駄にしてなるものか!!




