表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/4

蟹江に次ぐ女子高生

 正午を回った頃、蟹江はお昼のニュース番組を観ながら昼食のインスタントカレーを頬張っていた。


「今日未明、○○区の交差点で自動車の衝突事故がありました。幸い怪我人はいないということで……」


 蟹江は頭の中に描いた自室でストーリーとイメージを貼り付けていく。ドアにカレンダーを一枚めり、壁掛け時計の針がぐるぐる回るイメージ。靴入れに交差点で自動車同士がぶつかるイメージ。幸福そうに笑う警官の顔に怪我は見られないイメージ。

 キャスターが読み上げるニュースを、特に必要もなかったがイメージ化して記憶していると、不意にドアのインターホンが鳴らされた。

 ゆっくりと意識を、脳内の自室から現実のドアに向ける。こんな時間に誰だろうか、と記憶を邪魔されて少し苛ついた足取りでドアに近づいた。

 ドアの外の人物は蟹江が席を離れて向かう時間も惜しいのか、一度のインターホンの後に立て続けにプッシュし出した。


「うるせぇ、連打するな!」 


けたたましいドアベルに蟹江は耳を押さえて、訪問者に怒鳴った。

 部屋の主の怒声を聞いてか、インターホンがぴたりと鳴り止む。


「弥冨だな。開いてるから入っていいぞ」


 蟹江はドアの外の人物に入室を促した。

 半ばドアが引き開けられて、紺色のブレザーにチェック柄のプリーツスカートの女子制服を着たストレートロングの黒髪にツリ気味の目をした弥冨楓が顔を覗かせる。


「あんた、起きてたのね。てっきり寝てるのかと思ったわ」

「昼ごはんしながら、ニュースの内容覚えてるところだったのによ。途中までしか分からなくなっただろ」


 弥冨はドアを開けられるまで開けて、言い分あるなら訊いてあげる、といった感じに腕を組んで沓脱の真ん中に立った。


「前々から今日行くって言ってあったでしょ?」

「そんなこと言ってたか?」


 ほんとに記憶にない様子で、蟹江は片眉を上げる。

 弥冨はこめかみをピクリとさせて不満げに顔を顰めた。


「あんたねぇ。トランプ五十二枚を二十秒とか、人の名前と顔を五分で百人とか、二進数の数字の並びを五分で千桁とか、単語の羅列を十五分で三百語とか、ランダムな写真を五分で三百枚とか、オセロの盤面を十二面とか覚えられるのに、私が四月八日の昼に来るってことは覚えてないのよ」

「これと記憶力競技では訳が違うんだよ」

「言い訳するな!」


 ツリ気味の目尻をキッといっそう鋭くして、弥冨は蟹江を叱った。

 蟹江は口を閉じる。

 怒った目で蟹江をしばらく睨みつけた後、はあああ、とデカい溜息を吐く。


「あんたが興味ない事にはズボラなのを知ってて、期待した私が馬鹿だったわ」

「俺ってズボラか?」

「メモリスポーツか自分の目的以外の事だとね」


 呆れたという顔で弥冨は肩を竦めた。

 飄々とまあ入れという蟹江に促されるまま、彼女は部屋に上がる。

 部屋の中を一通り見回して、途中だった昼食のカレーを手に持った蟹江に尋ねる。


「最近、掃除してる?」


 カレーを口に含んで、蟹江は迷った素振りの後に縦に首を下ろした。


「本当?」


 疑うように、弥冨は問いを重ねる。

 蟹江は一つ大きく頷いた。

 弥冨は蟹江の言い分を信じることにして、話頭を変じる。


「話変わるけど、陽太は次のSCCも出場するの?」

「刈谷さんのところで開催されるやつだろ。次回は出ないつもりだ」


 蟹江が出場するつもりで訊いた弥冨は、予想と違う蟹江の返答に戸惑った。


「出ないんだ。珍しく予定が入ってるの?」

「進行補佐での参加だ。一日刈谷さんの手伝いをするんだ。刈谷さん一人だと回らないかも知れないからな」


 進行補佐とはその名の通り、大会進行の補佐をする役目だ。

 答えを聞いて、弥冨はくすりと微笑む。


「師匠思いね」

「そんなんじゃねーよ。俺はすでに何回も出てるからな、たまには審判役もいいと思ってるだけだよ」

「なんだそうだったの」


 うそばっかし、と弥冨は言葉とは逆に、総合審判を買って出るのが蟹江なりの師匠への思いやりであることに気付いて心の内で呟いた。

 蟹江が弥冨に訊き返す。


「お前は出場するのか?」

「ええ、前回が納得いかなったから」

「とか言って、単発二位で平均二位だろ。充分凄いけどな」

「単発一位、平均一位の陽太に言われても嬉しくない」


 慰めはいらない、という口調で言った。


「そればっかりはどうしようもねえよ。俺も手を抜くわけにはいかないからな」

「手を抜いたら軽蔑するから」


 厳しく釘を刺す。

 重々承知している顔で、蟹江は頷いた。


「そんなことしねえよ。競技に対する侮辱になる」

「陽太の言う通りね。ところで、これから少し時間ある?」


 急に訊かれて蟹江はどうしてだ、という目で見返す。


「ほら、陽太は日本記録保持者でしょ?」

「そうだな」

「私は陽太の記録より遅いでしょ?」

「そうだな」

「ということは?」

「応援すればいいのか?」

「バカ」

「なんでだよ」


 唐突に罵られて、蟹江は突っ込んだ。

 弥冨は唇を尖らせる。


「俺が教えてやろうか、くらいのこと言えないの?」

「どうして俺がお前に指導をするんだ。俺は一つの場所に四枚で、弥冨は一つの場所に一枚だろ。要領がまるきり違うだろ」

「四枚だろうと一枚だろうと、場所にイメージを貼り付ける基本は一緒よ。だから、コツとかイメージの変換を教えてくれるくらいしてよ」


 不満を露にして、弥冨は指導を請う。

 要求を突っぱねると彼女の機嫌を悪くなる気がして、蟹江は要求を呑む。


「わかったよ。悪い点があったら教えてやるから」

「ありがと。それじゃテーブル使うわよ」


 テーブルにスペースを作るため、蟹江は食べかけのカレーライスの器を手に持ち上げて退かす。

 弥冨がテーブルの隅にあった布巾で念のために拭き、湿り気や水滴がないのを確認してから椅子に腰かけた。


「タイマーとトランプは使うか?」


 用具もなしに腰掛けた弥冨に、蟹江は尋ねる。

 弥冨は小さく首を横に振る。


「いらないわよ。持ってきたもの」


 スクールバッグの口を開き、中から時間計測に使用するブーメランのような形をしたスタックタイマと遮音するためのイヤーマフ、トランプ二束を取り出す。

 回答用のトランプを任意で並べ、スタックタイマの後ろに置いた。

 ふうと集中に入るために一息吐いてから、記憶用のトランプを右手に持ってスタックタイマの計測を開始させる。

 トランプを右手から左手に繰りながら、一枚ごとに変換したイメージを脳内のルートに焼き付けていく。

 最後の一枚が左手に移ると、スタックタイマの計測を止めた。

 要した時間は38秒。

 SCCでは、規定された記憶の時間の五分が終わるまでは、回答が出来ないルールとなっている。

弥冨は残りの時間をルートを回ることに費やした。

 蟹江が回答開始を告げると、回答用のトランプ五十二枚をスタックタイマの前で、横に一列広げて、一枚ずつ探しながら記憶した順番に積み上げていった。


「答え合わせしてもらっていい?」

「ああ、まかせろ」


 蟹江は記憶用と回答用のトランプを裏面を上にテーブルに並列させて、順々に捲った。

 五十二枚で一枚のミスもなかった。


「成功だな。38秒か、この前のSCCが確か41秒だろ」

「そうよ。20秒のあんたに比べたら大したことないかも知れないけど」

「そんなことねえよ。俺が抜くまでは日本記録は師匠の35秒だったことを思えば、匹敵してるよ」

「でも、大会だと五回やるでしょ。四回目ぐらいになるとミスが出ちゃうのよね」


 悩んでいる口ぶりで、弥冨は言う。

 なんだそんなことか、と蟹江は気軽に笑った。


「ようにスタミナを強化すればいいんだよ」

「それはわかってるけど、どうすればいいのよ?」

「走り込みだな」

「走り込み?」

「もしくは眠い状態でやるか」

「そんな状態じゃ覚えられないわよ」


 弥冨は蟹江の返答が腑に落ちない。


「初めはそうかもしれんが、疲れた状態を作り出して、身体を慣らしていくのが適解だと思うけどな」

「あんたはそうしてスタミナを強くしたの?」

「まあな。トランプ記憶の前にランニングして、帰ってきたら直後に記憶を始めるんだよ」

「そう。なら試してみるわ」

「でも、俺の言うことが最高の答えとは限らないぞ?」

「いいわよ。私はメモリスポーツに関してはあんたの言うことを信じてるから。実際結果を出してるわけだし」


 そう言って、信頼している笑みを浮かべた。

 その時、ピーーンポーーンと間延びしたインターホンが鳴り響く。

 突然の来訪を知らせる音に、弥冨がびくりと肩を驚かした。


「だ、だれ?」

「来たか」


 蟹江は苦笑いする。


「え、何? 陽太の知り合い?」

「ああ、一応」


 弥冨の問う視線から目を逸らして、蟹江は玄関に向かう。

 ドアの外からししょう、と隣室にまで聞こえかねない少女の声に呼ばれた。


「師匠って、まさか陽太の事?」


 弥冨は蟹江の背後から尋ねるが、蟹江は答えずドアノブに手をかけている。

 ドアが開かれると一昨日と昨日、蟹江の部屋に押しかけてきた樺色のボブカットに、近くの中学校の女子制服を着た少女が立っている。

そして無性に嬉しそうな笑顔。


「師匠。今日も来ました。よろしくお願いします」


 少女は蟹江に最敬礼を送った。


「俺に敬礼するな。警察学校か」

「はい。わかりました」


 素直に敬礼をやめて、手をもう片方の手で提げている通学鞄の把手に添える。


「誰、その子?」


 後方から冷ややかな声が突き刺さる。

 はっとして蟹江が振り向くと、弥冨が非難するように目を細めていた。


「誰って」

「師匠の弟子です」


 蟹江が言い切るのに先んじて、少女はニコリと笑って答えた。


「ねえ陽太。弟子ってどういうこと。聞いてないんだけど?」


 露骨に不機嫌になって、弥冨が詰め寄った。

 蟹江は身を引くようにしてたじろぐ。


「落ち着け。話せばわかる」

「どこから連れてきた子なの?」

「連れてきたって、それじゃまるで俺の方から弟子にさせたみたいじゃねーか」

「答えて。どこから連れてきたの?」

「師匠? その人、師匠の彼女ですか?」


 弥冨の事を知らない少女は、蟹江に尋ねた。

 蟹江は弥冨と少女に視線を彷徨わせながら、首を横に振る。


「彼女のわけないじゃない!」


 必死そうに声を一段と高くして、詰問されたわけでもないのに弥冨が顔を赤くして否定した。


「蟹江なんかに彼女なんているわけないじゃない。ねえそうよね?」


 捲し立ててから、赤い顔で蟹江に確認するように訊く。


「さらりと酷い事言うな」

「じゃあ、いるっていうの?」


 彼女がいたらただじゃ置かない、という目で蟹江を睨みつける。


「いたらダメなのか?」

「ダメに決まってるじゃない」

「なんで?」

「理由なんてどうでもいいの。とにかくあんたに彼女なんていない!」

「へえ。いないんですかぁ。なら……」


 少女が新発見でもしたような口を挟む。

 蟹江と弥冨が禅問答を止めて、少女に目を向けた。


「あたしが彼女になってあげますよ」

「はあ、何言ってるの?」


 蟹江ではなく、弥冨が激しく反応する。

 それ俺のセリフな、と蟹江は弥富に心の内で突っ込んだ。


「どうしてあなたが蟹江の彼女になるのよ。論理的におかしいわよ」

「おかしいですかね。どう思います、師匠?」


 少女は小首を傾げて、蟹江に判断を仰ぐ。

 勝手に話が進んでいくので、蟹江は傍観者になりたかった。

 だが少女二人からの物問う視線を前に、一応言葉を継ぐ。


「そんな話に巻き込むなら、俺の家じゃなくていいだろ?」


 少女と弥冨はポカンとした顔になる。


「二人はこんな話がしたくて、俺の家に来てるわけじゃないんだろ?」

「そうですね」

「そうね」

「だろ。だからこの話は終わりだ。俺の家に来たなら、メモリスポーツの話をしよう」


 蟹江は内心、冷や汗ものだった。

 お茶を濁そうとしているのが見抜かれていないか、二人次第である。

 幸い少女二人に異存はないようで、忙しかった会話が一時途絶えた。

 機を見て、蟹江が少女に声をかける。


「それでお前は何用だ?」

「師匠。あたしにご指導の程をお願いします」

「ねえ蟹江。話戻るけど、この子誰なの?」


 弥冨が蟹江に訊くと、蟹江はあっと思い出したように声を漏らす。


「そうだ。聞き忘れてた。君、名前は?」

「そんな大事な事を忘れてたのね、あんた」


 今更に名前を尋ねる蟹江を、弥冨は呆れた目で見る。

少女は蟹江に身体の正面を向けて、丁寧に名乗る。


「小牧梨華です。中学三年生です」

「そうか。それでご指導とは言っても何を教えてあげればいいんだ?」

「ちょっといい?」


 教程に入ろうとしていた師弟に、弥冨が割り込む。


「ん、どうした?」

「小牧さんだっけ。蟹江が弟子にするくらいなんでしょう? どれほどの力があるのか、私に見せてくれない?」


 弥冨の提案に、小牧は自信たっぷりに言う。


「師匠を驚かしたぐらいなんです。ね、師匠?」

「ああ、確かに驚いたな」


 蟹江は頷く。

 というわけで、三人は誰から言い出すでもなく、ダイニングテーブルに足を向けた。

 小牧が鞄からトランプ二ケースを出して、椅子に座る。


「ちょっと待ってろ。タイマー用意しないと」


 蟹江がスタックタイマを取りに、テレビ台の抽斗からメモリスポーツの用具が数々ある中タイマーだけ手に取ってテーブルに戻ってくる。

小牧は記憶用のトランプを右手に持って、スタックタイマの計測をスタートさせる。

 トランプを右手から左手に繰りながら、一カ所に四枚、変換したイメージをストーリーに繋げて、脳内のルートに焼き付けていく。

 最後の一枚が左手に移ると、スタックタイマの計測を止めた。

 44秒34。

 記憶から回答へ移行するのにひと息挟んでから、小牧は脳内のルートを辿り、回答用のトランプを広げて、一枚ずつ探して右手に集めた。

 五十二枚揃ったところで、蟹江に振り向く。


「師匠。答え合わせをお願いします」


 蟹江は頷いて、二束のトランプを並列させた。一枚一枚、確認していく。

 五十二枚全ての答え合わせが終わり、ミスなし。


「驚いたわ」


 結果に、弥冨は目を瞠った。

 蟹江が弟子として迎え入れたとすれば、相当の力量を持ってるとは思った。しかしまさか45秒を切るとは想像していなかった。

 内心、恐ろしい思いだった。

 もしも彼女が次のSCCに出ることになれば、と弥冨はいても立ってもいられなくなった。万一に記録が抜かれるようなことがあれば、蟹江に相手にしてもらえなくなっちゃうかも。


「蟹江」

「なんだ?」


 小牧にイメージ変換の細目を聞き出していた蟹江は、弥冨の呼ぶ声に会話を止めて顔を向けた。

 強い対抗心の浮かんだ表情で、懸念していることを口に出す。


「小牧さんは、次のSCCに出場するの?」

「SCCか。小牧、どうする、出たいか?」


 蟹江は小牧に向き直って尋ねる。

 小牧は首を傾た。


「SCCって師匠が前に出ていたやつですよね?」

「そうだな」

「出たいです。大会に出てみたかったんです」


 心からワクワクしている顔で、小牧は声を弾ませた。


「だとさ、弥冨」

「そう、わかった。それじゃ、私帰るわ」


 そう唐突に暇を告げると、弥冨はバッグを持って蟹江の部屋から去っていった。

 ドアが閉まると、小牧が不思議そうに蟹江に訊く。


「弥冨さん。突然帰るなんて言い出して、どうしたんですかね?」

「用事でも思い出したんだろ。まあ、あいつのことは気にするな。小牧はSCCに出たいんだろ。なら、ルールと対策を今から教えるよ」

「あっ、はい。ありがとうございます」


 小牧の気をいなくなった弥冨から逸らして、蟹江はSCCについて説明を始めた。

 その日から二週間余り。小牧は蟹江の指導のもと、SCCにむけてトランプ記憶のトレーニングに励んだ。

 そしてSCC当日がやって来た。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ