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第一章 2-2

 懐かしい低い声が鼓膜を揺らした途端、カアッと喉が熱くなった。

 全ての始まりとなった父の死。

 ミーティスの脳内で、あの凍てつくような寒い朝の日の光景が一挙に蘇ってきていた。


「ただいま戻りました、お父様」


 少しでも気を緩めれば溢れそうになる何かを堪え、ちょこんと膝を折って恭しく淑女の礼をする。

 気持ちを落ち着かせようと地面を見ながら小さく息を吐き、とびきりの笑顔を作ってから顔を上げた。

 すると父は嬉しそうに相好を崩す。


「元気そうで何よりだ。きちんと家庭教師の言うことを聞いて勉強に励んだか?」

「ふぇ? え、ええ。それはもうみっちりと」


 そうだった。

 この夏の離宮での避暑は、勉強合宿として父が手配してくれたものだったのだ。

 前の時間軸では、ひたすら家庭教師から逃げ回って美しい庭を散策し尽くした頃にルカと出会った。

 それは帝都に戻る前日のことだった。

 時が巻き戻ったのはルカと出会った瞬間であり、この時間軸では昨晩のこと。

 あれからバタバタと出立の準備に追われて現在に至っている。


 つまり、今回もろくすっぽ勉強せずに帰ってきてしまったミーティスである。


「そうか。ところでその者は誰だ? 見かけない顔だが」


 必殺“笑ってごまかす”で見事に場を切り抜けたのも束の間、父はルカの方を見て声色を鋭くした。

 先ほどはミーティスとの再会に若干ふやけていた父だが、こちらが本来の姿である。

 石帝、氷の巨人などと畏怖される父の威風堂々たる姿に、その場にいた誰もが背筋を正す。

 そんな中、ミーティスの半歩後ろに控えていたルカは平然とした顔で前に出て地に膝をついた。


「この度新たにミーティス殿下の従者にしていただいたルカ・ヴォルコフと申します。お目にかかれて光栄です、マクシミリアン皇帝陛下」


 ……誰これ、別人?

 予想を裏切る完璧な立ち居振る舞いに、ミーティスは思わず呆気にとられる。

 こんな風な振る舞いもできるというのなら、馬車の中の傍若無人な態度は何だったのか。


 ――わざと? わざとなのね……!


「ヴォルコフとは聞いたことのない家名だな。爵位を申してみよ」

「陛下、私は農奴の出身ゆえ爵位はございません」

「何?」


 見る間に父の眉がつり上がっていく。

 これはまずい。


「農奴風情がわが娘に仕えるだと? 作り物の姓を名乗るとは恥を知れ」


 父は公明正大で偉大な皇帝である。

 しかしその異名の通り、石頭なのだ。

 農奴という底辺の身分の者が、皇帝に直接言葉を掛けるなどあってはならないと考えるだろう。

 ミーティスとしてはあまりそういう固定観念に価値を見出だせないのだが、父曰く、これは国家を磐石とするには必要なことらしい。


 アイズベルグの冬は過酷だ。生き延びる為には結束しなければならない。

 そうでなければ、寒さに殺される。

 民をまとめるためには、厳格な階級性が合理的なのだ。

 下の者は上の者に従う。

 身分をわきまえない行動には鉄槌を下す。

 それを徹底してきたからこそ、現在の強固なアイズベルグ帝国がある。


 つまり何が言いたいかというと……ルカが今にも粛清されかねないということだ。


 父の背後に控えていた騎士達が、そろりと腰の剣に手をかける。

 今か、今かと、主君の合図を待つように。


「お父様、ご説明させてください!」


 ミーティスは慌てて跪くルカの前に立ちふさがる。


「彼は庭で遭難したわたくしを助けてくれた命の恩人なのです。しかも、話してみれば、農奴の身とは思えぬほど優秀な人材。わたくしの一存で従者に取り立ててしまったことは申し訳ございませんが、必ずや宮廷でも役に立ってくれることでしょう」

「ほう。ティアにそこまで言われては殺すわけにもいかぬな……。しかし、結婚前の女性に男の従者が付くことは看過できぬ。貴様には別の職務を命じよう」

「ふぇ?」


 ルカが殺されてしまったら、自分一人で父を助ける算段をつけなければならない。

 ハッキリ言って無理だ。

 ルカという知力を失うわけにはいかないミーティスは、潤ませた瞳で上目遣いをしながら父に懇願した。

 すると予想通り、父はルカの宮廷入りを認めてくれた。

 しかし、ミーティスの従者ではなく何か別の役職にするという。


「ルカ・ヴォルコフ。貴様は今日より私の小姓こしょうだ。何か粗相があればすぐにでも首が飛ぶと思え」


 ミーティスはドレスの下で大汗をかく。

 小姓とは高貴な身分の者の下で雑務をこなす下僕である。

 通常、騎士見習いの少年が代わる代わる務めているのだが、あまりの激務に三日と経たず音を上げる者も多いと言う。

 特に、父の小姓には寝る暇もないらしい。


 ――ルカが忙しくなってしまったら困るわ!


 いつでも作戦会議が出来るように、と気が進まないながらも自分の従者に取り立てたのに。

 父の元に行ってしまったら、言葉を交わす時間も取れなくなってしまう。


 どうするのよ、という思いを込めて振り返る。

 しかし当のルカはと言えば、臣下の礼をしたままニヤリと悪辣な笑みを浮かべていた。


「はっ」


 一人あたふたするミーティスをよそに、ルカは歯切れよく父に返事を返したのだった。



 ***



 残暑厳しい八の月。

 帝都に帰ってから、既にひと月が過ぎていた。

 ミーティスが心配した通り、ルカとは一切連絡がとれなくなっている。


 それもそのはず。

 どうやら父は、あえてルカに膨大な仕事を与えて暇を作らないようにしているらしいのだ。


 世間知らずなミーティスは知らなかったのだが、実は結婚前の女性が男の従者を持つということは通常ありえない。

 しかし、長い歴史をみればアイズベルグ帝国皇室内でもそのような事例は発生している。


 では、どんな時が例外なのかといえば、いわゆる“禁断の恋”だ。


 高貴な女性というのは、身分が高くなればなるほど自分の結婚相手を選べなくなる。

 結婚は政治の重要な手段だからだ。

 しかし、皇室の女性の中には正式な結婚相手が決まる前に違う殿方と恋仲になってしまう者がいた。

 そんなやんちゃな女性達は、嫁ぎ先に行くまでのわずかな時間、その男性を自らの侍従として側に置くことを求めたのだ。

 実際に皇帝の許可がおりたか否かはその時々の時勢により異なるらしいが、宮殿の常識では、若い女性が男の従者を求めるというのはその二人が恋愛関係にあることを想像させる。


 だからこそ、父は血相を変えてルカを小姓として“隔離”したらしい。


「……事実無根だわ!」

「仕方ありませんわ姫様。私も最初はそう思いましたもの」


 ルカとできてる、なんて噂が広まっていると知ったミーティスはベッドの上で憤慨する。

 すると、寝仕度を整えてくれていたエミリヤがくふふと可笑しそうに笑った。


「農奴とはいえ、彼はなかなかの美男子ですものね。教養もあるようですし、何より皇帝陛下にも物怖じしないあの態度。まるで良く切れる刃のような不思議な魅力がありますわ」

「ええ。良く切れるのよ、実際」


 急にひやっとした首をさすりながらミーティスが言う。


 そんなこんなで。

 今やルカとミーティスの禁断の恋疑惑は、噂話が大好物なエミリヤを含む宮廷侍女達の良い話の種となっていた。


 ……どうしたものかしら。


「さ、姫様。もうお休みくださいませ」


 エミリヤがフッと蝋燭を吹き消して寝室を後にする。


 暗く静かな寝室に独りぼっちになると、どうしても考え込んでしまうもので。

 ミーティスはもう何日もぐっすり眠れていなかった。

 おかげで目の下にはうっすらと隈までできてしまっている。

 しかも残念なことに、ミーティスのちっぽけな脳みそでは、いくらうんうん唸って考えたところで妙案なんて出てこないのだ。


 皇帝の死を回避するなんて大見得を切っておきながら、全く姿を現さないルカ。

 このままでは、半年なんてあっという間に過ぎてしまうのではないか。

 そうなれば最後、この国は再び地獄へと転げ落ちていくのだ。


「もうルカったら。会いに来られないのはともかく、手紙の一つくらい寄越してもいいのではなくって? お父様救出作戦はどうなっているのよ」


 何とも他力本願なことを呟きながら、ミーティスがベッドの上で右に左に寝返りを繰り返していると。


 コツ。


 ふいに、どこからか物音がした。

 

 コツ、コツ。


 気のせいかしら、と思ったけれど、また同じ音。

 不審に思ったミーティスはそろりと体を起こして耳を欹てる。

 音はベッドの下から聞こえてきていた。

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