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第一章 2-1

 翌日。

 表向き主人と従者になった二人を乗せた馬車は、首都ツェントルアイズを目指して走っていた。


「不思議ね……」


 ミーティスの感覚としては昨日――実際には二年と半年後の冬になるが――にも、同じ道を馬車で通った。

 あの時はこんな豪華な馬車じゃなくて、しかも全速力だからとにかく揺れが酷かった。

 視界すら危うい車内で、取り返しのつかない過ちに泣き崩れていたら、突然馬車が横転して。


「何が不思議なんだ?」


 平気な顔して向かいに座る彼に、殺されたのである。

 それはもう、サクッとズバッと。


「自分を殺した相手とこうしてお喋りしていることがよ」


 思い出してぶるっと肩を震わせながら、ミーティスが言う。


 離宮で身を清められたルカは、すっかり様変わりしていた。

 元が悪くないせいか、薄汚れた灰色木綿グリゼットの上下から、侍従に配給されるモノトーンの一揃いに着替えただけで、見違えるようである。

 針山みたいに尖った灰色の短髪だけは庶民感が拭えないが、まぁ、じきに伸びるだろうし。


 ――見た目は、わたくしの従者にしても恥ずかしくないわね。


「あー、そだなー」


 ……振る舞いに関しては、早急に直してもらう必要があるけれど。


 この国で二番目に偉い皇女を前に、堂々と座席に胡座をかいて座るルカを見て、ミーティスは溜め息混じりに口を開く。


「それにしても、こんなに上手くいくとは思わなかったわ」

「俺を従者に取り立てたことか? そんだけ姫さんの一言には重みがあるってことだろ。自覚しろよな」

「ええ。……ん? なんかわたくし怒られてる?」


 いつの間にか責められていた格好のミーティスは、長い睫毛を揺らしてパシパシと瞬きする。

 するとルカは目線を鋭くして言った。


「忘れたとは言わせないぞ。大飢饉の真っ只中に開かれた舞踏会でおまえが言った台詞」

「ふぇ? その頃というと……デビュタントパーティーのことかしら?」

「そうだ。姫さんは知らないだろうが、あのパーティーを開くために農奴達は普段より多くの金や作物を納めるよう強制されていた。なのにおまえときたら『もっとたくさんケーキを食べたかったわ』なんて抜かしやがったんだ」

「だ、だって……せっかくのお祝いの席なのに、手の平サイズのケーキがひとつしかなかったんですもの……」

「その小さなケーキは、一体何人の命を犠牲にして作られたんだろうな」

「っ……」

「あの台詞が農奴反乱を一気に燃え上がらせたのは間違いない。ま、その結果俺に殺されてんだから、きっちり報いは受けてんだろうけどな」


 ……ぐうの音も出ない。

 無知ゆえの失言が転じて死を招いたのなら、完全に自業自得だ。

 座席にふんぞり返るルカに、何も言えないミーティス。

 いつの間にか主従が逆転している二人であった。


「それより姫さん。宮殿に着くまでに確認しておきたいことがあんだけど」

「何よ?」

「皇帝が死んだ日の状況について詳しく知りたい。辛いだろうが、出来るだけ詳しく思い出してくれ」

「あら。つい先日わたくしを殺した人とは思えない気遣いだこと」

「……だから、そうしなくて済むようにしてんだろうが。さっさと答えろ」


 ちょっぴり挑発してみたミーティスだったが、ルカに睨まれると、慌てて斜め上に視線を逸らして記憶を辿り始めた。


「えぇっと……。前にも話したように、お父様はある朝突然寝室で亡くなっていたのよ。死んでいるだなんて思えないくらい血色のいい安らかなお顔で、でも触ってみたら冷たくて……。あまりに突然のことで本当に信じられなかったわ。それから宮廷医のバーベリ先生が検死をしてくれたのだけど、外傷や毒が使われた痕跡はなくて、遺体の特徴から凍死と判定されたの」

「どんな特徴だ?」

「うーん……。確か『こーはん』があった、とか言っていたかしら」

「紅斑か。確かにそれは凍死に特徴的な所見だ」


 ミーティスが意味も分からず言った単語を、ルカはしっかり理解しているようだ。

 しかも、どうやら凍死体の特徴まで知っている口ぶりだ。

 農奴とは思えないルカの知識量を不審に思うのと同時に、家庭教師までつけてもらっていた自分が彼に勉強の面で劣っているという事実に、若干打ちのめされているミーティスであった。


 しかし、ルカはそんなのお構いなしに続ける。


「皇帝が最後に目撃された時間と、亡くなって最初に発見された時間はわかるか? 死亡時刻を出来るだけ絞り込みたい」

「そうね……」


 ミーティスの記憶力は、意外にも優れている。

 幼い頃から社交の場に出てきたせいか、一度会った人の名前は必ず覚えているし、その人の経歴や趣味、嗜好まで同時に記憶する癖がついていたのだ。

 つまり、いつまで経っても勉強が出来るようにならないのは、単純にやる気がなかったからということになる。

 ミーティス・ソーン・アイズベルグは、やればできる子なのだ。


 ……それはともかく。

 ミーティスはうむむと唸りながら、父の崩御後に緊急で開かれた議会での会話を思い出していた。

 通称“中枢議会”と呼ばれているその議会は、各省の長官と皇帝のみが出席を許されているものだった。

 険しい顔で父の死について語り合う男達にびくびくしながらも、ミーティスは必死に耳をそばだてていたのだ。

 例え理解できなくても、きちんと聞いてましたよと胸を張って言えるように。

 だから、二年も前のことでもはっきりと記憶に残っている。


「思い出したわ。最後に目撃されたのは亡くなる前日、一の月九日の宵一刻(午後九時)頃よ。お父様の寝室の暖炉に火を入れに来たメイドが、火入れを断られたのだと言っていたわね。そして十日の曙二刻(午前六時)ちょうどに朝食を持ってきた別のメイドが、亡くなっていたお父様を発見したの」

「あ? 火入れを断られた? 暖炉に火が入ってなかったのは、皇帝自らが断ったからなのか?」

「ええ。理由はわからないけれど、そうみたいね」

「まじかよ……。事故じゃなくて自殺なんだとしたら厄介だな」


 わしわしと頭を掻くルカに、ミーティスはさらに思い出したことを告げる。


「議会でも自殺を疑う声は上がったわ。けれど、お父様は翌日も翌々日もびっしりとお仕事の予定を入れていたみたいで、結局それは考えにくいんじゃないかという結論に至ったの。ああでも、他殺を疑っている人も一人いたわね」

「なに?」

「秘密警察長官のレーフ・モルチャリン殿よ。レーフ殿だけはずっと他殺を疑って個人的に調べていたみたいなんだけど、結局その彼も亡くなってしまって……どんな調査をしていたかまではわからないの」

「なんだよそれ。すげぇきな臭いな」


 溜め息交じりにそう言って、彼はポケットから何やら乾いた茶色い塊を取り出した。


「ただでも未来を変えるのはそう簡単じゃなさそうだってのに……。ほら、これ見てみろよ姫さん」


 そして、がぶりとそれに噛みつく。


「何って……干し肉でしょう?」


 出立前に離宮の厨房からくすねてきたのだろうか。

 全く手癖の悪いことね、とミーティスが呆れていると、ルカは噛み千切った干し肉をくちゃくちゃと飲み下してから言う。


「これはな、昨日姫さんが助けた蛙だ」

「っ!?」


 ひゅっと息を呑むミーティスに、ルカは平然と言った。


「昨日の騒ぎで踏みつぶされたんだろうな。それより俺が言いたいのは、前の時間軸で俺が殺して食った蛙は、姫さんに助けられても結局こうして俺の胃袋に収まったってことだ」

「いいから早くそれをしまって!」


 ミーティスは両手で目を塞ぎながら叫ぶ。

 知らなかったとはいえ、大嫌いな蛙の死体をまじまじと見てしまった……もういや、心折れそう。


「死んでしまったのは仕方ないけれど、何でそれを拾って干して食べているのよ!」

「はぁ? もったいないからに決まってるだろ。命を粗末にしたら罰が当たるぞ」


 え、待って、あなたわたくしの命を奪ったわよね……? 

 と喉元まで出かかったミーティスだったが、ふいに馬車が止まったことで機会を逸してしまった。


 半日ぶりに馬車の扉が開く。

 朝早く出たのに、もう空はすっかり茜色だった。

 まだ揺れているような錯覚に襲われながら、そろりそろりと馬車を降りると。


「お帰り、ティア」


 懐かしい声が出迎えてくれたのだった。

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