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第一章 1-4(終)

 クリン、クラン――。 

 東のかた、聖アヴローラ教会の軽やかな鐘の音があけぼの三刻(午前七時)を告げる。


「姫様、早く起きてくださいまし!」

「いい加減起きていただかないと困ります」


 皇女付侍女のエミリヤ、ゾーヤ姉妹が、毛布にくるまるミーティスを必死に揺り動かしていた。


「むー……?」


 普段なら『睡眠はお肌にいいから』と都合のいい理由をつけて、曙四刻半(午前八時半)まで惰眠を貪るミーティスだが、嵐のような侍女姉妹(シスターズ)の襲来にしぶしぶ薄目を開ける。

 ふっくら体型のお人好しな姉エミリヤ・ガモワと、痩せ型で冷静沈着な妹ゾーヤ・ガモワ。

 幼いころから実の姉のように慣れ親しんだ二人の顔を確認すると、ミーティスは力尽きて目を閉じた。

 だって眠い、眠すぎるんですもの。


「朝食を食べる時間が無くなりますよ?」

「ふぇっ!?」


 平淡なゾーヤの一声で飛び起きる、食い意地のはったミーティスであった。


「さ、ゾーヤ、超特急で姫様をお召し替えするわよ」

「はいお姉様」


 え、朝御飯は?

 と首を傾げる間もなく、ミーティスは二人に肩を抱えられてベッドから引きずり下ろされる。

 その場で直立させられたと思ったら、目にも止まらぬ早業で夜着を剥ぎ取られた。

 上半身ではエミリヤに新しい肌着シフトドレスを被せられ、足元ではゾーヤがシルクのストッキングを履かせてくれる。

 ペチコート、コルセット、パニエ……ミーティスが欠伸をしているうちに、次々と作業は進み。


「うん! 私の見立て通りだわ!」


 エミリヤがやりきった表情で額の汗を拭った時には、ミーティスはエメラルドグリーンの絹タフタに金糸の刺繍が施されたドレスに召し替えられていた。


「このドレス姫様の瞳のお色にそっくりですから、絶対にお似合いになると思ったのです! 髪飾りはどうしようかしらゾーヤ?」

「そうですね」


 声に振り向けば、いつの間にかゾーヤが背後にいた。

 そして先ほどまで自由奔放に流れ落ちていた髪も、いつしか綺麗に結い上げられている。

 なんかもう、神業過ぎて怖い。


「姫様のお誕生日に、陛下から頂戴した髪飾りはどうですか? 確か大粒のエメラルドがあしらわれていたかと」

「それだわ!」


 嬉々として手を打つエミリヤに、ミーティスは人知れずごくりと唾を呑む。


「えっと、どこにあったかしら?」

「貴重な物ですから、鍵付きの宝石箱に保管してあるのでは?」


 二人が宝石箱に近づこうとするのを見て、思わずミーティスは「あ」と小さく声を上げてしまった。

 だってあの髪飾りは、そこに無い。

 お父様から頂いた大切な物なのに。この世に二つとない特注品で、それ一つで宮殿が建つほど高価だと言われたのに……失くしてしまったのだ。


 それは昨夏のこと。

 父の命で、北方にある夏の離宮へバカンスという名の勉強合宿に行かされたミーティスは、家庭教師から逃げるべく庭をぐるぐると散歩していた。

 その際、大嫌いな蛙に遭遇して腰を抜かしたミーティスは、突然出くわした農奴の少年に出会って助けを求めた。

 しかし、彼が短剣で蛙を刺し殺したので恐ろしくなって一目散に駆け出し……やっとのこと離宮に戻った時には、貰ったばかりの大事な髪飾りが無くなっていたのだ。

 

 探しに戻ったけれど、結局見つからなくて。

 後ろめたさから失くしてしまったことを告白できないでいるうちに、父は急死してしまったのだ。


 ふいに「あ」と声をあげたと思ったら、無言で俯いて苦い顔をするミーティスに、姉妹は互いの顔を見合う。

 そして。


「「申し訳ございませんでした」」


 膝を折って謝る二人に、ミーティスは「ふぇ?」と間抜けな声を上げた。


「マクシミリアン陛下を思い出すようなことを言ってしまって……。まだ国葬が終わって間もないというのに」

「私共のご無礼、心からお詫び申し上げます」


 深々と頭を垂れる二人に、ミーティスは慌てて手をばたつかせながら言う。


「い、いえ、気を遣わなくていいのよ! ほら、今日は戴冠式たいかんしきでしょう? 後で冠を被るのだから、余計な髪飾りはつけない方がいいのではなくって?」


 ミーティスが悪戯っぽく微笑むと、エミリヤとゾーヤは顔を上げてその神々しい笑顔に見入った。


「ええ、ええ、姫様の仰るとおりですわ……! なんてお優しいの」

「お姉様、泣いている時間はありません。次はお化粧を致しましょう」


 目尻に涙を浮かべて微笑むエミリヤと、ほんの少し嬉しそうな顔をするゾーヤを見て、ミーティスは安堵の息をつく。

 思えば父の死からそう何日も経っていないというのに、不思議とふさぎ込まずに済んでいるのはこの嵐のような二人のおかげかもしれない。

 父が亡くなった日には、放心状態の自分の代わりに滂沱の如く涙を流してくれたエミリヤ。

 眠れない夜には、ただ静かに手を握って側にいてくれたゾーヤ。

 陽と陰、太陽と月ともいえる姉妹による献身的な支えが無かったら、きっと今頃「皇帝になんかなりたくない」と駄々をこねて部屋の隅でしくしく泣いていただろう。


 この国全てを守るなんてことは、自分には無理だ。


 けれど、この大切な二人だけでも守ってあげられたらいいな。



 そう、思って、いた、のに――。



 呆気ない。


 本当に呆気なかった。


 自然を前にしたら、人間の一人や二人なんて砂粒みたいに些細な存在なんだ。

 そう思ってしまうくらいに早々と、侍女姉妹は赤痘病に侵されて命を落としてしまった。


 それは早朝から賑やかに支度をして臨んだ戴冠式からおよそ二年後――ミーティスが殺害されるひと月程前の出来事だった。



 ***



「姫様! 心配しましたわ!」

「ご無事で何よりでございます」


 駆け寄ってきた二人の侍女の姿に、ミーティスは思わず唇を戦慄かせる。

 骨が浮くほど痩せ細り、体中を赤い痘瘡に蝕まれて無惨な死を迎えたはずの彼女達……。

 それが在りし日の生き生きとした姿で目の前に現れたのだ。

 ミーティスは思わず二人に飛びつく。


「エミリヤ、ゾーヤ! 会いたかったわ!」


「あらあら、よっぽど心細かったのですね」

「家庭教師から逃げるためとはいえ、随分長いお散歩でしたね」


 頭をなでてくれる、ふっくらとしたエミリヤの手の平。

 皮肉交じりに言うゾーヤの声。


 何もかもが叫びたいほど懐かしくて、ミーティスは子供のように涙を流す。

 二人は少し戸惑いながらも、優しく抱き寄せてくれた。


「おい、下ろせっ」


 後ろからルカの声がして振り向くと、彼はミーティスの近衛兵達に脇を抱えられて宙ぶらりんになっていた。


「殿下を攫ったのはおまえだな!」

「大人しくしろ、このガキ!」


 自分を殺した殺人犯が、為す術もなく近衛兵に捕らえられている姿は小気味いいでもなかったが……。

 彼の金眼でキッと睨まれたミーティスは、やっと自分のやるべきことを思い出す。


「あなた達、その者を離しなさい」


 ミーティスはピシャリと言い放つ。


「彼は罪人どころか恩人なのです。散歩中、道に迷ったわたくしをここまで連れてきて下さったのよ。丁重に扱いなさい」


 ミーティスが言うと、近衛兵達はすぐさまルカを地面に下ろし、膝をついて臣下の礼をした。


「皆に紹介するわ。心優しく勇敢な彼の名はルカ・ヴォルコフ。本日よりわたくしの従者として仕えていただくことにしましたの」


 途端に近衛兵達がざわめき出す。


「し、しかし殿下。この少年は恐らく農奴では……」

「あら、だから何だと言うの?」


 顎を反らし、にこりと微笑む。

 すると、近衛兵達は“女神の微笑み”に敢えなく撃沈した。


 ――ほら。言われた通りやったわよ。


 ミーティスはルカにちらりと目線をやる。

 彼は『上出来だ』と言わんばかりにほくそ笑んでいた。 

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