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第一章 1-2

「ひぃやああああああああ!」


 パチリ、と目を開くと同時に、ミーティスは大慌てで首元をぺたぺたと触る。


「ち、ちちっ、血が、血がブシャアッと噴き出て…………ない?」


 視界を埋め尽くすほどの血飛沫が噴いたはずなのに、なぜか痛みも傷もない。

 というか、先ほど横転した馬車もない。

 見えているのは一面の青空と、手入れの行き届いたふかふかの芝生だけ。


「どういうこと……ん?」


 起き上がろうとしたところで、お腹の上がやけに重たいことに気が付く。

 そっと視線を移してみれば――。


「!?」


 意識のない少年が、自分の上に重なるように倒れていた。

 さらにその上に、とびきり特大の蛙が喉を鳴らして鎮座していた。


「はひぃいいいいい!」


 ミーティスは蛙が大の苦手なのだ。

 思わず淑女らしからぬ奇声を上げて蛙ごと少年を蹴り飛ばす。

 すると、少年が「ぐえっ」と声を上げて目を覚ました。

 蛙が逃げていったのと少年が生きていたことにひとまずほっと息をついていると、ミーティスに蹴り上げられた少年が鳩尾を擦りつつ起き上がる。


「いってえなぁ……。んっ、あれ、どこだここ? てか俺生きてんのか?」


 先ほどのミーティスと全く同じように、腹の辺りをぺたぺたと触って困惑した表情を浮かべている。

 灰色がかった髪によく焼けた褐色の肌。

 見開かれた金色の瞳が光り、程なくして、側でへたり込むミーティスの姿を捉えた。

 ぽかんと見つめ合う二人を包み込むように、ディン、ドンとセントアセル教会の鐘が夕三刻ゆうさんこく(午後三時)を告げる。


 刹那の沈黙の後。


「あなた、私を殺したわよね?」

「おまえ、俺が殺したよな?」


 二人は互いを指さして同時に言った。


「何で(わたくし)生きてるの?」

「何で(おまえ)生きてるんだ?」



 ***



「状況を整理するぞ」


 そう言って、少年は地べたに胡座をかく。


「俺はルカ・ヴォルコフ。おまえはミーティス・ソーン・アイズベルグで間違いないな?」

「ええ、そうよ」


 仮にも一国の主に対して『おまえ』とは随分失礼な物言いだが、ミーティスはルカの気迫に気圧されてこくりと頷く。

 やはり彼は、農奴反乱の首謀者であり自分を殺した殺人犯のルカ・ヴォルコフのようだ。

 狼のような鋭い金眼――あの時自分の喉を掻っ切った冷たい瞳を、見間違えるはずがない。

 けれど、どこか変なのだ。

 端的に言えば、()()


「何つーか、おまえ小さくなってないか?」

「あなたこそ」


 少年は唸るように「何だと?」と言ってから、己の格好に目を落として……固まった。

 ミーティスもつられて自分のドレスを見て、同じように言葉を失う。

 だってミーティスが今着ているのは、夏用に仕立てた白と水色のドレス。

 あの朝イヴァンが被せてくれた外套はどこにもないのだ。

 そもそも夏用のドレスというのが変である。

 今朝は小雪がちらつきそうな極寒だったはずなのに、今はまるで真夏の暑さ。


「おかしい」

「ええ、おかしいわ」


 二人は殺した側と殺された側という立場も忘れ、揃って首を捻る。

 と、そのとき。

 どこからか戻ってきた蛙がびょんと跳ね、向かい合う二人の間に着地した。


「ひぃっ! ちょっとあなた、早くそこのイボイボとしたおぞましい悪霊を追い払ってちょうだい!」

「……っ?」


 オロオロと取り乱したミーティスが言うと、何故かルカは急に神妙な面持ちになった。

 彼は少し考えてから、腰に下げていた鎌形短剣ファルシオンを構える。


 その瞬間、激しい既視感に襲われた。


 理由はわからない。

 だけど、この後どうなるか確信を持ってわかるのだ。

 このままだと、この蛙は――。

 

「やめて!」


 短剣の切っ先が正に蛙を貫く寸前だった。

 ミーティスのおかげで命拾いをした蛙は、今度こそ遠くまで一目散に跳ねていった。


「……なんだよこれ。俺らが出会ったあの日とそっくりだ。ま、今回は蛙を取り逃がしたけど」

「やっぱり、あなた二年前の……!」


 それは二年前の夏のこと――。

 ミーティスはわずかな従者と近衛兵、そして家庭教師とともに、北方にある夏の離宮と呼ばれる宮殿に避暑に出掛けた。

 といってもバカンスではない。

 ちっとも勉強に身が入らないミーティスを見かねた父の命による勉強合宿である。

 しかし、机にじっと座っているとそわそわしてしまう性分のミーティスは、のらりくらりと家庭教師から逃げ回った。

 迷路のように入り組んだ美しい庭は、格好の逃げ場だったのだ。


 そんなある日。

 うっかり庭の端まで来たミーティスは、蛙に遭遇して腰を抜かしてしまった。

 そこに現れたのが、ちょうど今目の前にいるような金眼の少年だった。

 身なりからして農奴らしきその少年に助けを求めたら、なんと彼はためらいもなく蛙を短剣で突き刺したのだった。


 びちゃっ、と頬に跳ねとんだ泥臭い体液の臭いは忘れもしない。


「あの時の農奴はあなただったのね! もう、あなたのせいでますます蛙が嫌いになったのよ、どうしてくれるの」

「んなこと今はどーでもいいだろ。それより俺達は今、二年前の夏に戻ってきてるんじゃないか?」

「ふぇ?」

「さっきのおまえ、二年前と全く同じ台詞言ってたぞ」


 まさか、時が巻き戻るなんてそんなことあるわけない。


 と自分に言い聞かせてはみたものの、そう考えると全ての辻褄が合う。

 ……合ってしまう。

 無理やり他の可能性を考えるとしたら、二人揃って長い夢を見ていた、ぐらいしか。

 それはそれでありえない気がするし。


「むり、わかんない」


 ミーティス考えることを放棄した。

 遠い目をして、からくり人形のように呟く。


「……ん? おまえ、その頭についてるのは何だ」


 すると、ルカがいきなり頬を引き攣らせながらこちらを指さした。

 人を指さすなんて失礼ね、と思いつつも頭に手をやると、コツンと指先に固い感触が触れる。


「何って、髪飾りでしょう?」

「いや、そうなんだけど。覚えてるか? 二年前、俺が蛙を殺した後、おまえは走って逃げて行きながらそいつを落としたんだ」


 ……確かにそうだった。

 この髪飾りは、夏の離宮に行く少し前に十四の誕生日祝いとして父から貰ったもの。

 ミーティスの瞳に似た大きなエメラルドと、それを縁取る小粒のダイヤ、さらにサテンのリボンがあしらわれた特注品だ。

 離宮にいる間、浮かれてずっとつけていたのだが、気づいたら失くしており、結局見つからないまま帝都に帰ることになってしまったのだ。


 けれど、なぜそれをルカが知っているのか?

 首を傾げつつも髪をほどき、髪飾りを外して手に取ったミーティスは、思わず言葉を失った。


 なぜなら髪飾りには――べっとりと赤黒い血がついていたのだ。


「これで間違いないな。俺達は一回死んで、二年前に戻ってきたんだ」


 ミーティスの手元を見たルカが、確信を持った様子で頷く。


「さっきおまえを殺した後、預かってたそいつを胸に手向けてやったんだ。けど、その直後に俺も誰かに刺されておまえの上に倒れて……気づいたらこんな状況だった。見たところ今の俺達にはどこにも傷がないし、その血は前の時間軸の俺かお前のものってことになる。それにほら、ここのダイヤが一粒欠けてるだろ。これは前に俺が剥がして金に換えたんだ」

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待って」


 一人で納得したようにペラペラと喋るルカについていけず、思わず口を挟む。


「お金に換えたですって? それは預かってたんじゃなくて盗んだって言うのよ」

「一粒くらいいいだろ。大部分は返したんだし」

「よくないわよ! ていうか、返したって言ってもわたくしが死んだ後の話でしょう?」


 そっぽを向いて「まあな」と言うルカに、ミーティスは深々とため息をついて手の平に顔を埋めた。


「もういや。殺されたと思ったら、こんな訳のわからないことになってるし、お父様から頂いた最後の誕生日プレゼントまで壊されて。ぐすっ、うぅ……」


 混乱のあまり泣きだしたミーティスに、ルカがぎょっと目を瞠る。


「お、おい泣くな……」

「触らないで、この人殺し!」


 ミーティスは、震える自分の肩に触れようとしたルカの手を思い切り払った。


「どうせあなたは、誰かの大切な物を奪っても何とも思わないんでしょう!」


 すると、途端に彼の目から光が消えた。


 感情の消えた顔でじっとこちらを見下ろす彼に、ミーティスは突然恐ろしくなって、座り込んだまま後退りする。

 どうして早く逃げなかったんだろう。

 時間を遡ったらしいという異常事態ではあったけれど、目の前にいる男は自分を殺した殺人犯なのだ。


 ――また殺される!


 死への恐怖というのは想像でしかない。

 けれど死を一度経験したミーティスが抱く恐怖には、根拠がある。

 それはこの夏の暑さでも、思い出しただけで指先が氷のように冷たくなってしまう程の強大さを以って、ミーティスの体から自由を奪っていた。

 そのうちに、ザッと芝生を踏みしめてルカが一歩こちらに近づいてきた。

 ミーティスは震えながらきつく目を閉じる。


「……貸せ」

「っ?」


 恐る恐る目を開けると、彼は汚れた髪飾りを手にどこかへ歩き始めていた。

 ミーティスは涙でぐちゃぐちゃの顔でルカの後ろ姿をぽかんと見つめる。

 すると、彼は庭の端をぐるりと取り囲む茨の茂みを掻き分けて、向こう側へと行ってしまった。


 ――どこに行くの……もしかしてまた盗むつもり?


 と思ったが、腰が抜けてしまって追いかけることすら出来ない。

 為す術なくへたり込んでいると。


「ほら」


 しばらくして戻ってきた彼は、なぜかぽたぽたと水を滴らせた髪飾りを持ち帰ってきた。


「茂みの向こうは元々俺の家族が耕してた農地なんだ。近くに井戸もある。どうだ、多少はきれいになっただろ?」

「え? ええ……」


 ミーティスはきょとんと髪飾りを受け取る。

 唐突すぎて驚いたけれど、どうやら髪飾りを洗いに行ってきてくれたようだ。

 見れば、確かに先ほどよりは血痕が薄くなっている。びちょびちょだけど。


「どうもありがとう」


 ミーティスはれっきとした淑女である。

 どんな時でも挨拶とお礼は、とびきりの笑顔ですると決めていた。


 無意識に微笑んだミーティスを見て、ルカは一瞬目を丸くする。

 しかしすぐにぶんぶんと首を振って、少年の姿には似つかわしくない真剣な面持ちになった。


「このままじゃ、二年後またおまえを殺すはめになる」


 彼は腰の短剣を握りながら言う。


「死にたくなかったら協力しろ、姫さん」


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