60.俺 辺境の戦場に跳ばされる
着替え終わったツバーシャはダイニングに戻ってきた。
「これで瞬間移動したい放題だね」
ブロンダたちはにこやかに話すが、ツバーシャはご機嫌ナナメだ。
「フンだっ」
「なぁツバーシャ。せっかく不利益なしに能力が使えるようになったんだ。どこか行きたいところはないのかよ?」
ガルナの提案にツバーシャは少し考えた様子で答えた。
「私、お母さんに会いたい」
ツバーシャは深呼吸をする。まさか、能力を使う気か。俺に触れてないと若返ってしまうんじゃないのか。
慌ててツバーシャの手を握った。
次の瞬間。周囲は荒野に変わっていた。
「瞬間移動したのか!」
「手を離して」
ツバーシャはあたりを見回した。若返ってはいない。12歳くらいの身体のままだ。
「おかしいわ。ここに前線基地があったはずなのに」
「ほう。人間か。斥候ではないようだが」
小山の上に白蛾の吸血魔がいた。ネズミ兵を引き連れている。
「ここは戦場。もしや旅人を装った偵察員か。ならば生かしておくわけにはいかないな。かかれネズミ兵!」
あっという間に取り囲まれてしまう。
俺はアイテムバッグから魔剣を引きだした。アイテムバッグ。中尉に返さないでおいてよかった。
「ツバーシャ。俺のうしろに隠れてろ」
「こんなヤツら、私だって。邪悪を斬り伏せる力を我が手に。顕現せよ。マジックソード!」
光の剣がツバーシャの手元に現れた。魔法の剣か。
襲いかかるネズミ兵を斬り倒す。
「ぬう。男よ、キサマの得物はもしや、魔剣か」
吸血魔が聞いてくる。
「だったら、どうした!」
「面白い。キサマはこの蚕蛾の騎士シルクモルスの眷族にしてやろう」
シルクモルスは素早く俺の背後に立つと首筋に歯を立てた。しまった。
血を吸われてしまう。
「痛っ……」
「康史!?」
倒れこむ。俺を眷族にするって言ったな。このままでは俺は吸血魔になってしまう。
シルクモルスは俺を見下した。
「キサマの血は変わった味がする。まぁいい。キサマに新たな人生をくれてやろう。アリマジョール様のために尽力するのだ」
誰だそれは。見上げているとシルクモルスの様子がおかしくなりはじめた。
「ん? なんだ、この吐き気は……ううぇぇぇぇぇ」
吐いた。真っ赤なものを。もしかして俺の血か。失礼なヤツだ。
「これはもしや拒否反応なのか……」
「拒否反応?」
シルクモルスが嗚咽しながら俺を睨む。
「吸血魔が吸血魔の血を吸ったときに起こる現象だ。人間よ、キサマは吸血魔ではないだろうに! なぜだ!」
「俺が知るか。俺は人間だ」
「続けて問うぞ。何ゆえに吸血魔にならぬのだ」
そう言われば、そのとおりだ。噛まれて痛かったけど、ほかには何もない。
「そこまでだ。吸血魔!」
見れば武装した兵士の一団が現れた。
真ん中には青く輝く鎧と金の十字架の仮面をつけた騎士が立っている。
「プラチナメタル製の青陽鎧。キサマはエリンシュタインの剣聖ラモネシュラインか!」
「いかにも。そこにいる旅人を傷つけようとするならば、かわりに私がお相手しようか」
「大物は戦場で狩るのが騎士のさだめ。急かさなくとも、いずれ会いまみえよう。今日は退くとする。さらばだ!」
シルクモルスはネズミ兵を連れて引き上げていった。それにしても、鎧の騎士は何者なんだろう。
「お母さん!」
「ツバーシャ。どうしてここに?」
ツバーシャは騎士に駆け寄ると抱きついたのだった。
ここは王都から馬で20日もかかる辺境。王国軍と吸血魔軍が睨みあう戦場だった。
「まさか五歳の姿に戻った娘が成長して現れるなんて。驚いたよ」
鎧姿のツバーシャの母親につられてやってきたのは王国軍の前線基地。基地といってもテントや小屋が立ち並ぶ宿営地といった感じだ。
ツバーシャの母親は辺境一帯の軍を率いる大隊長だった。
俺とツバーシャは一番大きなテントに招かれた。
「はじめまして。神山康史といいます」
「その名前。まさか異世界から来た勇者なのか」
兜を脱いだ大隊長は俺を見つめた。
「ここまで話が伝わっているんですか」
「辺境といっても魔法使いの水晶通信で軍本部からの情報は入ってくる。そうか。娘と共に来たということは、もしやキミが成長を促してくれたのか?」
促したといっていいものか。答え方に迷っているとツバーシャが母親に聞いた。
「教えてお母さん。戦況はどうなっているの?」
「芳しくないな。十日前に敵の指揮官が入れ替わった。そのせいでこちらは甚大な被害が出てしまい、王国側に退いて陣を張りなおすことになったのだ」
「それで私がいた頃とは違う場所にあるのね」
「敵の新しい指揮官は、そんなに強力なんですか」
大隊長はもちろん、隣に立っていた秘書役の騎士までも苦悶の表情を浮かべた。
「大魔術師アリマジョール」
その名を聞いた途端、ツバーシャまで表情に陰をにじませた。何者なんだ。
「アリマジョールは絶大な魔力を用いてネズミ兵の大群を強化させているんだ。その強さは中級の吸血魔に匹敵する。さらに上級の吸血魔を魔法で死をも恐れぬ戦士に変貌させてしまう」
大隊長の言葉から厄介な相手だと分かった。
「さらに吸血魔化させた人間を兵隊として差し向けてくる。人間を兵にしてぶつけてくるのは、どこの戦場でもあることだが、アリマジョールの恐ろしいところは人間兵も魔法で強化させていることだ。しかも捨て駒のように扱うので性質が悪い」
上級の吸血魔は人間の血を吸い、眷族にすることで、国の勢力を拡大してきたと聞いたことがある。
ここは前線。吸血魔にされた人間と戦わなければいけない。
そんな場所まで瞬間移動でやって来てしまったんだ。
「吸血魔化されたとはいえ相手は人間だ。ただでさえ兵の士気は下がってしまう。さらに敵の将はアリマジョール。兵は大群と強化戦士。正直言って劣勢だ。我が部隊はやむを得ず後退した」
「軍に応援の要請は出したんですか」
「ああ。魔法使いの水晶通信でな。だがここは辺境。馬で二十日だ。応援が来るまで持ちこたえられるとは限らない。こうなると我々の使命は敵の壁役だ。せいぜい時間稼ぎをしてやるさ」
だったら深沙央さんの協力が必要だ。ここは一度瞬間移動で王都へ戻ってもらおう。
「お母さん。死んじゃダメ。私と一緒に逃げようよ」
「フフ。バカを言うな。私はこの大部隊の長だ。私のうしろには王都がある。みな、同じ気持ちで踏ん張っている。逃げる気なんてないな」
「でも……でも」
「なんだツバーシャ。頭の中身まで子供になってしまったか。ツバーシャにはこれからの王国軍を率いてもらいたい。そのためにも、こんな所で死ぬな。王都に戻れ。良いな」
王都では強気だったツバーシャの顔が涙でゆがんだ。見ているこちらも心が痛くなる。
「私だって軍の人間よ。一緒に戦う」
「なにを言うか。まだ自宅待機であるはずだ。ここに置くわけにはいかない」
「うう……そうだ、お母さん。この部隊にはフェノイカがいるわよね。会わせて」
「フェノイカ少尉か……」
大隊長は逡巡すると、案内すると言って俺たちをテントから連れ出した。
「フェノイカって誰?」
涙を拭うツバーシャに俺は聞いた。
「私と同期の軍人よ。仲が良かったの。フェノイカなら一緒にお母さんを説得してくれると思う」
でもフェノイカにとって大隊長は上司だろ。上手くいくかな。
前線基地の端にあるテントに連れてこられた。入口では武装した兵士が立っている。
なんだか物々しいな。
「この中にフェノイカがいるのね。私よ。ツバーシャよ。入るわね」
テントの入口の幕を開けたとたん、ツバーシャは固まってしまった。
「どうしたんだよ」
うしろから覗いてみて、理解した。
中にいたのは鎖に繋がれた、吸血魔化した女の人だった。




