1.俺と彼女 異世界転移する
魔王を名乗る化け物が殴りとばされていく。勢いそのまま壁にめり込んだ。
殴りとばしたのは俺の彼女だ。今は銀の甲冑と兜、仮面を身にまとっていて外見からはとても女の子に見えないが、間違いなく魔王を殴ったのは俺の彼女だ。
それはもう、この短時間に何発も殴っている。傷一つ負うことなく。
「お、おのれ。この魔王スパイダを気絶するかしないかの絶妙な加減で何度もいたぶりおって……このあとどうなるか分かっているのか!」
めり込んだ壁から、息を切らして、吐血しながら、何とか這い出してきた憐れな魔王に俺の彼女は愚問を返すように言った。
「どうなるか……ですって? 私は9つの異世界で魔王、帝王、自称神を倒してきた。そのあとに起こることはただひとつ、世界が平和になる! そして私は元いた世界に帰れる。今度もアンタみたいな悪者をさっさと倒して、彼氏と夏休みをエンジョイするのよ。やっと彼氏ができたのよ。初カレなのよ。夢の夏休みなのよ。なのに、なんで、また異世界!」
まるで八つ当たりするかのごとく、魔王のアゴを蹴りとばした。魔王、天井まで蹴りとばされて、頭をぶつけて落下。痙攣している。
彼女はこちらに振り向き、仮面をしていて分からないけど、たぶん顔を赤らめているだろうなって感じで俺に言った。
「使命を全うして元の世界に戻ったら、映画とかプールとか……その、いっぱい楽しもうね、康史君」
すると彼女は魔王に近づき、あ、また殴った。
異世界に来てわずか一時間。彼女――巫蔵深沙央――が俺の彼女になって、わずか一時間一分後のことである。
話は今朝にさかのぼる。夏休みの前日。俺、神山康史は、ある決意を胸に秘めていた。同じクラスの巫蔵さんに告白する。彼女を作って高校生初の夏休みを楽しんでやるんだ。
だけど巫蔵さんには不思議な噂があった。夏休みになると連絡が途絶えるという。詳しいことは分からないけど、きっと旅行とか田舎に帰省しているのではないだろうか。
それじゃあ今年も? なんて考えたけど、もしかしたら彼氏とのラブを優先してくれるかもしれない。
それに俺はどうしても告白せずにはいられなかった。入学式当日、巫蔵さんを目にしたとたん、ドキドキが止まらなかった。
あれから約四ヶ月、巫蔵さんの声を聞き、巫蔵さんの身体を、いや笑顔を見るたび、俺の中に強い衝動が生まれては渦巻き、そして脳天駆け廻って爆発しそうになっていた。
このままでは俺はどうにかなってしまう。確信した。これが愛か。これが一目惚れか。
巫蔵さんとの連絡手段を持たない俺は、古風にも下駄箱に手紙を忍ばせた。
『終業式が終わったら体育館裏に来てください。伝えたいことがあります』
だけど……終業式が終わり、体育館裏に向かおうと自分の下駄箱に向かうと、そこには一通の手紙が入っていたのだ。
『私も神山君に伝えたいことがあります。夜の九時になったら体育館裏まで来てください。持ち物は夏休みの宿題とお泊まりセット。数週間分の保存食と常備薬。キャンプ道具などがあれば尚良し。巫蔵深沙央』
なんだこりゃ。夜の九時の学校といったら誰もいないじゃないか。それにお泊まりセット? 心トキメくじゃないか。保存食? 俺を離さない気か。なんてエキサイティング。
俺は溢れんばかりの衝動を抑えつつ家に帰って準備を進めた。
夜九時。愛の力で学校のフェンスを乗り越えて体育館裏へ向かった。宿題や缶詰を入れたリュックの重さが、人を愛するという難しさを付きつける。
体育館裏に行ってみると巫蔵さんがいた。背負っているリュックにはテントを収納していると思われる袋が載せてある。重装備だな。
巫蔵さんは俺の姿を見るなり、嬉しさと恥ずかしさと色気を混ぜ込んだ顔をした。これって告白成功するよね。当たりだね、俺の人生。
「巫蔵さん、来てくれてありがとう」
「ううん、変な時間に呼びだしちゃってごめんね。あの、私に伝えたいことって何かな?」
来たぞ。運命の告白タイム。それいけ神山康史。巫蔵さんは答えを待っている。ならば単刀直入に伝えるのが筋ってもんだ。
「俺は巫蔵さんのことが好きです。つき合ってください! 一緒に夏の思い出を作りましょう!」
すると巫蔵さんの目は潤み、身体は震えだした。
「嬉しい。私も、ずっとずっと神山君のことが好きだったの」
この夏、俺は少年から男になる。俺は巫蔵さんの両手を握り、言った。
「実は入学式のとき、目があって以来ずっと好きだったんだ。一目惚れっていうのかな」
「え? 私も目があったときのことを憶えてるよ。だって神山君、魔力がありえないほど強いんだもん。それが日に日に高まってる。異世界に行ったとき役に立つと思うの。転移を経験した女の子なら絶対好きになっちゃうよ」
ん? いま変なこと言わなかったか?
よく分からない例えだったけど、誉められているのは確かだ。賞賛とプレゼントはなんでも受け取るのが俺だ。
巫蔵さんは俺の手を強く握り返してくる。七月の空気よりも熱い体温が、巫蔵さんの掌から伝わってくる。愛というものはこんなにも熱いのか。
「神山君から告白してくれてすごく嬉しい。私のことは深沙央って呼んで。そのかわり、康史君って呼んでいいかな」
「うん。深沙央さん」
「えへへ」
俺はなんて幸せ者だ。目の前には彼女の満面の笑み。見上げれば月が祝福の明かりを照しだす。学校脇を通り過ぎる車の騒音ですら祝福の声に聞こえる。
ああ、世界はこんなにも光で満たされていたのか。足元も輝きだした。白く、眩しく、神々しく……
あれ? なんで足元が光っているんだ?
見下ろすと、俺と深沙央さんを中心に魔法陣、ゲームや漫画でよく見る魔法陣が、いつのまにか現れて光を発していたのだ。
「あ~、今年も行くことになるのかぁ……」
深沙央さんは俺の手を離すと、うずくまった。
「私ね、夏休みになるといつも異世界転移しちゃうんだ。小学一年生の時からずっと。使命を終えて帰ってくるときには、いつも夏休みの最終日。今年は高校生になったから、さすがに転移しないと思ったんだけど……」
「え? それじゃあ今年も異世界? え? 転移? ってことをするの?」
「転送の魔法陣が現れたってことは……うん」
悲壮のこもった声で深沙央さんは頷く。状況を飲みこめない俺は、とりあえず深沙央さんを立たせた。深沙央さんは涙を流していた。
「夏休み前日の、この時間は毎年毎年魔法陣。ほかの人を巻き込みたくなくて、毎年この時間は人気のないところで過ごして転移してた。だから夜の体育館裏を選んだの」
なるほど。転移に備えて深沙央さんは大荷物を抱えてやってきたというわけか。で、なんで俺まで大荷物を用意することになったんだろう。深沙央さんはか細い声で続ける。
「せっかく高校生の夏を楽しみにしてたのに。せっかく彼氏ができたのに」
「深沙央さん……」
「でも今年は寂しくないわ。絶大な魔力の持ち主である康史君が一緒なんだもの。さっさと異世界の使命を終わらせて、夏休みが終わる前に戻ってこようね」
彼女は涙を拭い、がんばって笑顔を作った。強がりな笑顔が痛々しくて俺の心を締め付ける。ん? 俺も一緒に行くようなこと言ってなかったか?
「えっと……その転移って、俺も?」
「そうよ。そのために、この時間に呼んだんだもの。康史君の魔力があれば使命はすぐに終わるわ」
「マジか!」
「一緒に夏の思い出を作るって言ったよね」
深沙央さんがニコッと笑うと、俺たちは魔法陣の光に呑み込まれた。
「ここは?」
俺は草原の真ん中に横たわっていた。深沙央さんは既に立ち上がっていて、辺りをうかがっている。
「深沙央さん」
「起きたわね康史君。今度の異世界は一見普通そう。でも空気に魔素を感じるから確かに異世界だわ」
「はい。なんだか落ち着いてるね」
「これで十回目の異世界だから」
そうなのか。大きな月が光を放っているせいか、夜だけど暗闇ではない。お互いの姿が確認できる。
「あ、来た来た」
深沙央さんの言葉に、一体なにが来たのかと見てみれば、全身白い鎧、白い兜、十字架の仮面をした騎士が歩み寄ってきた。
「オマエたちが異世界から来た勇者か。その力、試させてもらうぞ」
女の子の声だった。手にした剣といいセリフといい、穏やかでない。だが深沙央さんは半分呆れた感じで言った。
「あ~、そういうのいいから。私たちを呼びだしたのはアナタでしょ。この世界の使命や状況を教えてくれないかな? 何をすればいいの? 打倒魔王? 厄災排除? 人命救助? 早く教えて」
白い騎士の少女は慌てた。
「な、お、オマエこの状況を分かってないのか! 突然召喚されて、見知らぬ騎士に戦いを挑まれて、その、剣を向けられているんだぞ。緊張しろ! この世界はオマエたちにとって異世界なんだぞ! 少しは怖がれ!」
「いるのよね。自分で召喚しておいて、転移人と普通に仲良くしない人。上から目線でしか他人と接することができないから、最初に負かして言うこと聞かせようとするヤツ。私、そういうのキライ」
深沙央さんは俺に向かって、やれやれ、と言った感じで首を振った。
「な、何を言っている異世界人! わ、私は異世界から来た勇者というものが、どれほどの実力者か知りたいだけで悪意があるわけではない!」
「ふ~ん」
「こ、この……騎士をからかっているのか! 女だからって舐めるなよ。この剣の錆にしてくれる!」
白い騎士は剣先をこちらに向けたまま歩いてくる。あれは怒っている。すごく怒っている。どうするの深沙央さん。
「どうしても戦うってわけね。じゃあ、早く終わらせちゃおう」
深沙央さんのメンドクサイという感情が言葉から伝わってきた。
だが次の一瞬で真剣な表情に変わり、騎士の進行を遮るように俺の前に立つと、叫んだ。
「セミテュラー! 聖なる鎧よ、顕現せよ!」
深沙央さんが発光した。光に包まれた深沙央さんは一瞬だけ全裸になり、そして次の瞬間には銀色の甲冑、兜、仮面に覆われた騎士に変身していた。
仮面には紫色のサングラスが埋め込まれていて、鎧や兜にも紫色のラインや宝石がアクセントとして光っている。強そうであり、オシャレでもある。
……あ、俺、裸見ちゃったよ。後ろからだったけど。だけどお尻は見えた。
俺は思わず手を上げて質問した。
「えっと、深沙央さんだよね」
「え? 彼女の顔を忘れたの?」
その仮面とは初対面だけどな。
「その鎧は?」
「ああ、これ? 聖式魔鎧装のソードダンサー。中学一年のときに行った異世界で偉い人からもらったの。その世界の戦いに必要だからって。平和になったから、そのまま持って帰ってきちゃった」
親戚の家に行ったら浴衣をもらいましたって口ぶりで話されても、深沙央さんのお尻で頭がいっぱいの俺には理解が追いつきません。
「な、何なんですか、この人は!」
とても混乱している白騎士さんは、ごもっともな質問を投げかけてきたが、ただいま俺の脳内ではまったく同じ疑問を処理していたので答えられない。
とりあえず、彼女は俺の彼女だ。
深沙央さんはパニック状態の白騎士さんに言う。
「さぁ、勝負するわよ」
「え、ああ、うん。ゴホン。剣を持たずにソードダンサーとは片腹痛い。その名のとおり面白おかしく踊ってもらおうか。エリンシュタイン王国の騎士、シーカ・ネイムス、参る!」
「うるさいなっ。剣は現地調達する主義なの。さぁて、まずは十倍速から行ってみようかな」
深沙央さんが消えた。消えたと思うくらいの素早さだった。剣を構えて突っ込んでくる白騎士さんの真横に移動した深沙央さんは、そのまま拳で相手の顔面を殴りとばした。
「面白おかしく踊るのはオマエのほうよ!」
「グギャっフうぇふえふんっ」
白騎士さんは回転しながら草原を転がっていった。受け身も取れず、頭、肩、腰を地面にぶつけながら。悲鳴も初めて聞くような女の子の声だなって思った。
回転が止まって動かなくなった白騎士さんのもとに俺は向かった。
「う……くぅ……ううう」
横たわった白騎士さんは苦しんでいる。いや、泣いていた。鎧はヒビ割れ、兜と仮面は粉々になって素顔があらわになっていた。
あどけない顔をした子だ。肩まで伸びた髪を二本のお下げにまとめている。兜と仮面が丈夫だったのか、顔に目立った外傷はない。
「痛い。痛いよ。う……ひっく」
「なんだか俺の彼女が、ゴメン」
鎧をまとった深沙央さんが近づいてくる。手には先程まで白騎士さんが持っていた剣。白騎士さんはそれを見るや否や、体を起こすと手を伸ばした。
その拍子にヒビ割れた鎧はボロボロと崩れ、体に密着した白のインナースーツが露わになる。意外と出るところは出ているんだな。白騎士さんは深沙央さんに懇願した。
「その剣は死んだ兄の形見なの。お願い、返してっ」
「剣を持たずにソードダンサーとは片腹痛い……」
「ご、ごめんなさい。さっきはごめんなさい!」
「その力、試させてもらうぞ……」
「あっう、ううう……ああああああ」
泣き崩れる白騎士の少女。勝ち誇る深沙央さん。異世界の穏やかな夜風が、汗ばむ肌にちょうどいい。俺は深呼吸してから静かに言った。
「深沙央さん、剣を返してあげて」