85話 消えた記憶
軍に連れ去られたというウルク孤児院のみんなの収容先を確認したイシュタルはジョンズ・ホプキンス病院の集合場所に戻ってきた。
そこに一人でいたヤムは青ざめていた。
安否確認に会いに行った彼の母親にヤムの記憶が無かったのだ。
初めはヤムしかいなかった集合場所にもそれからポツポツと他の者たちが帰ってきた。
しかし、その表情は一様に暗かった。
そして脱力したかの様にうなだれていた。
他の集合場所でも同じ様で誰もが言葉を発する事もなくただ暗い雰囲気の中で沈黙していた。
誰も何も言わないのは皆、他の者たちの表情を見て分かっていたからだ。
それでもイシュタルはそんな彼らに事情を聞いた。
仮想をした者たちはまだ帰ってきていなかったがここにいる皆は口を揃えて同じ体験を語った。
被験者の家族もその友人も学校の先生でさえも被験者を覚えている人がいなかったのだ。
まるでその存在自体が無かったかのように。
そして遅れて仮装してから家族の元へ行った者たちも丁度その頃その現実を突き付けられていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
とある家の玄関先にて
ショッキングピンクの恐竜の着ぐるみを着た被験者の一人が立っている。
家の中からは半分開けたドア越しに顔を出した一人のふくよかな中年女性が子犬を抱えて不審そうにそれを見ている。
ピンクの恐竜の着ぐるみは言う。
「ウンマは僕の名前だわん。」
女性「何を言ってるの?」
女性「ウンマはこの子よ。」
そう言ってペットの犬を抱くこの女性は本当はウンマの母親だ。
しかしその女性はウンマを見てさも不機嫌そうに言う。
女性「そんなカッコして冷やかしにきたの?もう、帰っておくれ!」
このピンクの恐竜の被り物を脱いでも中身は子犬の顔だ。
元の人間の姿ではない。
この様子ではきっとさらに面倒な事になるだろう。
あれ程会いたかった母さんが今目の前にいるのに何も語れず、何も言えない。
言っても何も信じられず、何も伝わらない。
自分と言う存在をまるで知らないと言うのだ。
そんな母を前にウンマは思い出していた。
母さんが寝かしつけの時によく歌ってくれた歌を
♪
I love you, you love me.
We're a happy family.
With a great big hug
And a kiss from me to you,
Won't you say you love me too?
ウンマ「もう愛してるって言わないわん。。。」
着ぐるみの中でポツリと呟いたその言葉も女性はさも訳が分からないと言った雰囲気で
女性「何を訳のわからない事言ってるの?何であんたに愛してもらわないといけないのさ?」
女性「さあ、もう帰っておくれ!警察呼ぶよ?」
そう言うと鼻息を荒くしてバタリと玄関の扉を閉じて家の中に入ってしまった。
一人残されたウンマは少しの間そこに立ち尽くしていたがやがて諦めてトボトボと集合場所へと引き返して行った。
ウンマの心には優しかった頃の母さんの歌が響いていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
イシュタルに自分の報告を終えたアルルもまた、この事態にやるせない気持ちでいた。
アルル「イシュタル様、やはりこれもT-SHOCKの仕業なのでしょうか?」
イシュタル「。。。まだ判らないけど。。。恐らくはそうでしょうね。。。」
アルル「少し皆に話ても宜しいですか?」
イシュタル「はい?。。。もちろんです。」
アルルは丁寧にイシュタルに頭を下げた。
そしてゆっくりと語りかける。
アルル→全員:皆聞いて欲しい。




