88話 騎士団長
「おはようございます、お兄様」
朝になってルシアナが僕の部屋へと元気よく入ってきて、抱きついてきた。
「おはよう、ルシアナ」
僕はルシアナを受け止めて、頭をポンポンと撫でる。
「ところでお兄様、昨日の夜セロルの気配がした気がしたんですけど」
ギクリ……
一瞬動揺して、頭を撫でる手が止まってしまった。
「セロルが? 僕の部屋にはきてないけど……」
昨日の寝る前にした、セロルとの会話を思い出す。
※
「ラゼル、私が今日ここにきたことはルシアナには内緒」
憑依をやめて再び僕の目の前に姿を見せたセロルが、人差し指を顔の前に移動させて言った。
「それはいいけど、なにか理由が?」
「この前の戦闘でラゼルに傷を負わせたから、怒ってる」
「そんな……セロルは僕を助けてくれたのに。セロルが居なかったら僕は今頃生きてないよ」
夜中だというのに、少しだけ声をあらげてしまった。
隣の部屋に姉さん達がいることを思い出して、すぐ口に手を当てて声を押し殺す。
「ルシアナに頼まれたのはラゼルを無傷で守ること。約束を破ったのは私。仕方ない」
「でも、そんなのってあんまりじゃないか。無傷とはいかなかったけど、セロルは僕を確かに守ってくれた。僕からもルシアナに説明するよ」
僕が傷を負ったのは僕の責任だ。
そのせいでセロルが怒られるなんて、納得できない。
「それには及ばない。ルシアナのあれはいつものことだから慣れてる。それにあの時、ラゼルを無傷で守ることも可能だった。それをしなかったのは私の意思」
「えっ?」
無傷で守ることもできたとはどういう意味だろうか? セロルはあえて僕に戦わせたってこと?
「ラゼルは自分の無力をずっと悔やんでいた。だから見せたかった。ルシアナ達が戦ってる世界を。強者達の世界を」
そういうことか。
確かにあの時、ベネベルバの攻撃を命掛けで避けていた時は、いつもと別の景色が見えた気がした。
セロルの声のお陰で避けれてたとはいえ、あの一度でも攻撃をくらうわけにはいかない状況は、かなりの経験値になったと思う。
「そっか、ありがとね。そこまで考えてくれてたなんて、嬉しいよ」
「私が好きでやってること、気にしないで。ルシアナの機嫌もそのうち直る。それじゃあ、シルベスト王国に戻ったらまた現れる」
そう言って、セロルの姿はだんだんと見えなくなっていって、消えてしまった。
精霊界と呼ばれる場所に帰ったのだろうか?
※
「そうですか……気のせいかもですね」
「ルシアナはセロルと仲がいいんだね」
「まぁ、ある意味妹みたいなものですわ。中々言うことを聞かないですけど」
きっとルシアナはセロルが500年以上も生きてる精霊族だということを知らないんだろう。
そのセロルを妹みたく思い、お姉ちゃんぶるルシアナを想像すると微笑ましくて、思わず笑ってしまった。
細かいことを気にしないルシアナだからこそだよね。
「あ、今なんで笑ったんですの? お兄様」
「いや、ルシアナが可愛くてさ」
ルシアナの頭を撫でる手に力を込める。
それに答えるように、頭頂部のアホ毛が嬉しそうにピョコピョコと動いていた。
※
明日にはこのゼル王国ともお別れなので、今日はザナトスさんの元を訪ねていた。
ザナトスさんのいる場所はゼル王国騎士団専用の治療院で、ザナトスさん以外にも大勢の人がベッドで横たわっていた。
ここにくるまでの家屋等の被害とかもそうだけど、これだけの人達が怪我で動けないのを目の当たりにすると、改めて被害の甚大さを痛感する。
いくら回復魔術を使える人がいても、これだけの人数は大変だと思う。
それに回復魔術というのは完璧なものじゃない。
僕の足の傷もそうだし、怪我等を完治させるというよりは応急処置的な感じが強いのかもしれない。
昔の勇者パーティにいた賢者『ルフル』は、体の欠損した部分すら再生させたっていうけど、あくまで本の中の話だ。
実際にあったことを物語にしてるとはいえ、大袈裟に書いてる可能性もある。
それに、間違いなく回復魔術で上位の腕を持つであろう勇者パーティのヒリエルさんですら、シルベスト王国の人達全員を完治させるには至らなかった。
まぁもしもヒリエルさんがシルベスト王国の騎士団の人達全員を治していたなら、僕達がこの国にくることもなかったんだけどね。
結果的によかったのかも。
姉さん達以外であの危機を何とか出来たとは思えないし。
「そうか……明日には戻るのか、残念だ」
僕達がくると、ザナトスさんはベッドの上で上半身を起こして対応してくれた。
「無理しないで、寝たままで大丈夫ですよ」
あれだけの負傷だ……体を動かすのも辛い筈。
「いや大丈夫だ。この国を救ってくれた恩人に対して、寝たままの対応では申し訳ない。まぁこの体勢も誉められたものではないが」
そう言って笑うザナトスさんの目は、疲れを隠しきれていなかった。
当然と言えば当然だ。
目の前であれだけの仲間を失って、自分も死ぬ一歩手前の怪我を負ったのだから。
「王国の『鉄壁』なんて呼ばれて持て囃されていたが、情けない限りだ」
ザナトスさんは恥ずかしそうに呟いた。
「そんなことありませんッ!! ザナトスさんが居なかったら、この国はもっともっと大変なことになってました!! 僕も無事じゃ済まなかった筈です。そんな……自分が情けないなんて言わないで下さい」
ドラゴンのブレスすら弾いて見せた人が情けないなんて、そんなことあるわけがない。
僕はちゃんと見てた。
国を守ったのも、仲間の折れそうな心を立ち直らせたのも、最後まで戦い抜いたのもザナトスさんだ。
だからこそ、そんなザナトスさんが弱音を溢すのを黙って聞いていられなかった。
「ラゼル君か……君にも助けられた、ありがとう。
覚悟していなかった訳ではないんだがな……流石に目の前で仲間が死に過ぎた。だが、私もこの国の騎士団のトップとして、勇敢に戦った仲間の為にも……いつまでも下を向いてる訳にもいかんか……」
ザナトスさんは僕にというよりも、自分に言い聞かせるように喋っていた。
少し時間はかかるかもしれないけど、ザナトスさんはきっと立ち直ると思う。
本当に短い時間しか関わってないけど、ザナトスさんは辛いことを乗り越えて前を向ける。
そんな人だ。