86話 弟
「まったく、ラゼルはいつから誰とでもキスをする軽い男になっちゃったのかしらねぇ?」
「フフ、頬に軽く触れるくらいのと言ってましたし、今回は大目にみましょう。シルベスト王国に戻るのが楽しみです」
「リファネル姉様の言う通りですわ。シルベスト王国へ戻ったらお兄様と…………ウフフフフ、ですわ」
僕は諦めてラナにキスされたことを白状した。
白状と言ってもそんなに悪いことをした訳じゃないんだけどね。
キスとはいえ頬にだし、ラナもそんなに深い意味はなかったと思うんだ、単純に"頑張って下さい"的な感じだったんだよ、きっと。
そして予想外だったのが姉さん達の態度だった。
もっと騒ぐかと思ったけど、意外とそんなことはなかった。
レイフェルト姉は少しだけ意地悪く笑っているけど、リファネル姉さんとルシアナは僕の方を見て、ニコニコと笑っている。
まぁさっきまで泣いてたリファネル姉さんが泣き止んだし、とりあえずはよかった。
問題はシルベスト王国に戻ったらキスをするという、姉さん達との約束だ…………
三人はする気まんまんみたいだけど……本当にどうしたものかな…………
「あの、シルベスト王国に戻ったら何かするんですか?」
オドオドしながら、ラナが尋ねた。
「ふふふふ、シルベストに戻ったらお兄様がキスしてくれるんですの。もちろんラナのような、頬に軽くチュッどころじゃありませんわ」
勝ち誇った表情のルシアナ。
多分この約束があったからそんなに騒がなかったんだろうね……
「えっ…………。ラゼル様、それは本当なのですか?」
や、やめてラナ。
そんな目で見ないでぇ。
「いや、まぁ、その、えーと、なんていうか…………」
ラナの手前否定したいけど、ここで否定なんかしたらどうなるか…………想像するのも恐ろしいよ。
「お兄様、何でそんなに濁すんですの? 約束しましたよね?」
「大丈夫よルシアナ、ラゼルが約束を破るわけないでしょ。――――ねぇラゼル?」
「もし約束を反故にされたら、お姉ちゃん悲しいです……」
ルシアナが期待に満ちた目で、レイフェルト姉が悪戯にこの状況を楽しむかのような目で、リファネル姉さんがウルウルとした目で、それぞれ僕を見る。
「も、もちろんだよ……約束したからね……」
今さらになって思うけど、僕は姉妹相手に何て約束をしてしまったんだろうか……
シルベスト王国に着くまでに、何とか打開策を見つけないと……
※
その日の夜、僕は再びクラーガさんの部屋を訪ねていた。
「クラーガさん、今大丈夫ですか?」
コンコン、とドアをノックしながら声をかける。
「ラゼルか、いつでも大丈夫だぜ」
二日後にはゼル王国を出発する予定になったので、その前にクラーガさんにお礼を言いにきた。
明日はザナトスさんの所へ行こうと思ってる。
この二人がいなかったら、間違いなく僕は死んでた。
感謝してもしきれない。
「怪我の調子はどうですか?」
「ああ、傷は残るだろうが命に別状はないとよ。流石の俺も今回は死ぬかと思ったぜ、運が良かった。それとラゼルのお陰だな、ありがとよ」
「そんな、僕は何も……お礼を言うのは僕の方です。本当にありがとうございました」
お礼を言いにきたのにお礼を言われる何て、何だか変な気持ちだ。
「最後は意識が朦朧としててよくわからなかったが、ラゼルがあのドラゴン野郎を吹っ飛ばしたのはわかったぜ。ありゃどうやったんだ?」
「あれは…………正直、僕にもよくわからないんですよね」
普通に見たら僕がベネベルバを吹っ飛ばした風に見えただろうけど、あれはほとんどセロルの力だと思う。
セロルには聞きたいことが色々あるのに、僕が目を覚ました時にはいなくなってた。
ルシアナに聞いたら、「そのうち出てきますわ」とか言ってたし、また会えるだろうけど。
「はは、まったく不思議なやつだな。ラゼル達はこれからどうするんだ?」
「僕達は二日後にこの国を発つ予定です。だからその前にクラーガさんに会っておきたくて。遅い時間にごめんなさい」
姉さん達が寝静まるのを待ってたら、随分と遅い時間になってしまった。
クラーガさんは怪我人だし、皆で来たら迷惑だろうからね。
「そうか…………」
「クラーガさんはそのまま冒険者を続けるんですよね?」
「そうだな。俺もアイツ等も何とか生き残ったからな。またドラゴンを狩ってくさ」
クラーガさんのパーティメンバーの人達、結構な怪我をしてる人もいたけど無事だったんだ、良かった。
「そういえば、ドラゴンに拘るのは何か理由があるんですか?」
実は結構気になってたんだよね。
クラーガさんのドラゴンに対する執着心的なものが。
「村をドラゴンに襲われたんだ…………生き残りは俺だけだった」
「ごめんなさい、嫌なことを思い出させて……」
咄嗟に頭を下げて謝る。
これは、会って間もない僕なんかが聞いていい話じゃない。
「もうだいぶ前の話だ、気にするな」
何か違う話題に切り替えようと焦っていると、クラーガさんはそのまま話し始めた。
「あの頃は本当に辛かった……俺には歳の離れた弟がいてな。幼くして両親を失くした俺達は、贅沢はできないが二人で仲良く暮らしてたんだ。弟こそが俺の生きる原動力だった。両親が死んだ時、俺も死のうかと思ったが、まだ幼かった弟を見て思い止まった。俺が死んだら弟はどうなるんだって考えたら、死ぬ気なんてなくなってな……」
思い出してるんだろうか、だんだんと声に力が無くなっていくのを感じる。
「それがある日、街への買い出しから戻ったら村が滅茶苦茶になってたんだ。村の中心部ではドラゴンがブレスを撒き散らしてた。俺は一目散に家を目指したが、家に着いて唖然としたよ。無かったんだ家が。ブレスで地面ごと吹き飛ばされてたんだ…………俺は怒りで我を忘れてドラゴンに飛びかかった。普通に考えたら自殺行為だが、その時は恐怖という感情を怒りが完全に塗り潰してた。そして、目が覚めたら街の治療院にいた。ドラゴンが去った後で、たまたま通りかかった冒険者が、倒れてる俺を見つけてくれたみたいでな」
魔物に村を襲われるという話は珍しいことではないけど、被害に遭った人に直接聞くと重みがまったく違う。
「それからはドラゴンに対する憎しみだけで生きてきたな。女だと冒険者として舐められるから、胸にさらしを巻いて、口調を変えて…………死ぬ程の努力をして」
男っぽく振る舞ってたのはそういう理由があったのか……
「まぁ少し暗い話になっちまったが、今はもう乗り越えたことだ。今でもドラゴンを狩るのは憎しみもあるにはあるが、俺の村のような被害を失くす為ってのが大きいしな」
「クラーガさんは凄い人ですね」
元から悪い人じゃないのはわかってたけど、今日話してみて、改めて凄い人なんだと思った。
この人は尊敬に値する素晴らしい人だ。
「………………ラゼル、ちょっとこっちにきてくれないか?」
「どうしたんですか?」
言われた通りクラーガさんの方に近づく。
「ちょ、クラーガさ、ん!?」
が、急に抱きつかれてしまった。
だけど少し様子がおかしい。
抱きつく手に力は入っておらず、その気になれば簡単に抜け出せそうなくらい弱々しい。
そして体は小刻みに震えていた。
「大丈夫ですか!?」
あまりにフルフルと震えるもんだから、僕は体調が悪くなったのかと思い、背中を擦りながら話しかける。
「……悪い、少し弟を思い出してな」
そう言って、クラーガさんは僕から離れる。
「似てるんだ、ラゼルが弟にさ。ちゃんと生きてて、成長して大きくなってたら、こんな感じだったのかなとか思ったら…………すまない」
僕よりも遥かに強い筈のクラーガさんが、やけに弱々しく映る。
弟さんの話を聞いた後だからか、僕まで胸が苦しくなってきた。
だから、
「なっ、ラゼル!?」
僕は一旦離れたクラーガさんをもう一度抱き寄せた。
「僕はクラーガさんの弟さんじゃないし、代わりにはなれないですけど、これで少しでも気持ちが落ち着くなら」
体の震えが止まった代わりに、腕に力が込められるのを感じる。
「ん……うぅっ、……シモン」
弟さんの名前だろうか、クラーガさんは名前を呼びながら暫く泣き続けていた。




