時間を斬る1
昼食の準備を済ませ、いつものようにテレビの電源を入れる。
『それでは次のニュースです。一昨日〇〇県△△市で起きたバスの追突事故で、鎮火された車内からこれまでに3人の遺体が発見されました。内ひとりはバスの運転手である熊田……ピッ』
『……本日は一日中北風が吹きつけるでしょう。出かける際は暖かい格好をおすすめします』
テレビの画面がいきなり切り替わり、気象予報士が現れた。
「ご飯食べながらテレビに夢中になるのはよくないよ!」
リモコンを握った薫流の不機嫌そうな目が俺を睨む。
「ごめん、家じゃあ一日中テレビつけっぱなしだったから落ち着かなくてさ。優だって寝てるだけじゃ退屈だろうし」
ベッドに横になった優が「そーだ、そーだ」と相槌をしている。
包帯に包まれた優の足を見て、薫流はバツの悪そうにリモコンをテレビに向けた。
「仕方ないなぁ。本当は学校で勉強してなきゃいけない時間なんだけど、特別に教育番組だけね」
再びテレビに向けられたリモコンが、チャンネルを子供向けの教育番組に変える。
子供たちの歓声と共にラッコの着ぐるみが登場し、視聴者に向かって挨拶をしている。
ラッコが決めポーズをすると、客席から3人の少女が飛び出した。そしてそれを皮切りに、目の色を変えた子供たちが、呆然と立ち尽くすラッコに向かい、蟻のように群がっていた。
番組の内容は、高校生が見れたようなものじゃないけど、賑やかな笑い声が聞こえてくるだけましだった。
張り詰めた空気は、あの凄惨な光景を蒸し返しそうだから……。
一昨日のバス事故の後、俺達は病院へ搬送され、特に怪我の酷かった優は数日間入院することになった。
俺と薫流は怪我の検査のために学校を3日間休むことになり、今日は検査の後に優の病室に見舞いに来ていたのだ。
「ご馳走様でした」
行儀の悪い俺たち男組をよそに、薫流は食べ終わった昼食を丁寧に片付け、窓の向こうにある時計塔を見ていた。
「もう1時過ぎか……私そろそろ家に帰らないと」
休みの日はどこかに出かける用事でもない限り、薫流はいつも1時頃には家に帰っていた。
以前に理由を聞いた時、どうやら薫流の妹の面倒を見ているとのことだった。
「なら送ってくよ。どうせ俺も一回家に帰るつもりだったし」
この病院から薫流の家までは公園を抜け、そこから少し歩いた先の住宅街にある。
俺の家はさらに歩いた一軒家なので、家に暇つぶしのゲームを取りに行くついでになる。
「うん、ありがと。それじゃあ優君、体には気を付けてね、また明日来るから」
「俺もちょっと家に忘れ物したから取りに帰るよ。いない間に何かあっても、足怪我してんだからあんまり動くなよ」
俺と薫流は優に手を振って病室を後にした。
病院の目と鼻の先には、緑の豊かな公園が広がっている。公園の木々は風に吹かれ、5月とは思えない肌寒さがあった。
昔はよく、ここで薫流やほかのクラスメイトと遊んだっけ。
高校と家がこの公園とは正反対の位置にあるせいもあってか、最近では公園まで歩いて来るなんて考もしていなかった。
薫流も俺と同じように久しぶりにこの公園に来たみたいで、小さいころに遊んだ遊具が自分よりちっちゃくなったなんて驚いていた。
公園の中央には水飲み場があり、放課後になると小学生達がここにあつまって水の奪い合いをしていた。
今はまだ学校は終わっていない時間なので、水飲み場につかの間の平穏が保たれていた。
何も変わってないな。なんて呟きながらあちこち見て周り、思い出にふけっている薫流の先を歩く。
――――。
水飲み場のとなりには噴水もあるのだが、噴水は他の遊具などとは違い、昔見た時と少しデザインが変わっていた。
噴水には、水を飲んでいる5羽のハトを模したオブジェが造設されていて、離れたところから見ていたので、オブジェのハトを本物と間違うところだった。
近づいて、目新しいオブジェをよく見てみる。
ハトのオブジェは、まるで一流の職人が造った剝製のようで、羽先の一枚一枚まできめ細かく造形されていた。
こんな精巧なオブジェを、俺は今まで見たことはなかった。そう断言してもいいほど、そのハトに俺は興味を惹かれていた。
まるでこの一瞬だけを切り取ったようなハトのオブジェ。後ろにいた薫流にも教えてやろうと駆け寄った時だった――。
『ガガガッザザザッ』
公園の奥の方から、枝が大きく揺れた音が聞こえた。
普段なら気にもとめない音だった。強い風が吹けば聞こえてくるだろう。
でも、俺はその音に違和感を覚えていた。
その違和感とは、
今まで、他の音は聞こえていたのか?
この音が聞こえるまで気づかなかったけど、ハトのオブジェを見つけてから。いや、もしかしたらもっと前から。
風音どころか、枝が揺れる音さえ聞こえていなかったんじゃないか?
そんなことを考えていると、一昨日の情景が脳裏に蘇る。
気が付いたら周囲の音が消えていて、雨が制止し、目の前には半壊したバスがあった。
バスの中にいた男が時間を止めたなんて言い出して……。
俺の様子が変わっていたことに気づいた薫流は、歩く速度を速め近づいていた。
「大丈夫和人?やっぱりどこか怪我してたんじゃないの……」
心配そうに駆け寄る薫流。
しかしその言葉よりも、薫流の背後で大空を飛んでいた5羽の鳥に俺の意識は奪われていた。
薫流へ返事をすることさえ忘れ、もう一度噴水に目を送る。
そこには見慣れた噴水があった。
少しボロくなってるけど昔みたままの。
この公園に似つかわしくない、精巧なハトのオブジェも無い。
「ねえ和人、いますぐ病院に引き返す?」
ますます悪くなっているであろう俺の顔色。薫流は心配そうな瞳で俺を見つめていた。
心の底から「大丈夫だ」なんて言えたらどれだけ良かったか。
今はただ、かっこ悪くても薫流は巻き込みたくなかった。
「悪い。急に腹痛くなってきた、公園のトイレに行ってくるから薫流は先に帰っててくれ」
「え、お腹痛いなら私待ってるよ」
「そんぐらい一人で大丈夫だって。それにこの感覚は……1時間コースは間違いない」
悪くなっているであろう顔。追加の苦笑いを浮かべる。
俺の表情が余程おかしかったのか、薫流は口元を手で押さえていた。
「ちゃんと紙があるトイレに入るんだよ」
「わかってるからお前は早く帰れよな。こっちはもう漏れそうなんだよ」
俺の言葉にごめんねと言いながら、申し訳なさそうに薫流は家の方へ歩いて行った。
なので俺も、公園の奥にあるトイレへ早歩きで歩いていく。
音が止まってから初めて木の音が聞こえたのは、確かこの方向だった。
トイレの手前まで来たとき、茂みの奥に何かの気配を感じ足を止めた。
周囲に誰もいない茂みに向かって大声で叫ぶ。
「誰だかしらないけどそこにいるなら出て来いよ、男のトイレを覗こうなんて趣味が悪いぞ!」
すると、背後から何かが茂みの中から出てくる音が聞こえ、音を頼りに振り返る。
見覚えのない少女が1人、俺を見つめその場に立っていた。
腰まで届く青味がかかった綺麗な長髪を携え、宝石のようなブルーの瞳をしている。
年齢は俺や薫流とは変わらないくらいだろう。しかし、その表情は同年代とは思えないほど気品に満ちて見えていた。
少女は腰に手を当てると、服の隙間から何かを握りしめ、押し出すように引き抜いた。
―――― 。
周りの音、風、俺と少女以外の全ての動きが消え、腕よりも長くしなやかに透き通った刃が俺の鼻先に向けられていた。
「奥原和人。熊田さんを殺したあなたを逃がしはしない」
喋り終わると同時に、少女は刃を大きく振り上げた。