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時間を借りる3

 宙に置かれた雫に手を伸ばす。


 手が触れると、雫には水飴のような弾力性があり、指の当った部分がへこんでいた。

 それを弾くと、ひんやり冷たい感触とともに雫は形を崩し、分散した水滴がまばらに散らばった。

 しかし周囲に分散した水滴は地面に落ちることなく、もとの高さを保ち完全に重力を無視していた。


 まさか、本当に時間が止まっているのか?ならどうして俺は動けるんだ。


 周囲を見回す。車道にある車はひとつの例外もなく、本来なら走行中の車が走っているはずの道路の真ん中で静止していた。


 倒れていたバスの乗客に駆け寄る。見たことろ些細な怪我はあれど大きな怪我はしていなかったがそこにいた全員の意識は無く、脈や心臓さえも止まっていた。


「……死んでない……よな?」


 肌に触れるとほんのりと体温はあったので、時間停止が解けたら動けるようになるかもしれない。


 今は分からないことが多すぎる。迂闊に刺激しない方がいいんだろう。


 そのまま他の客を虱潰しに見ていくとある3つのことに気がづいた。


 まず、路上に倒れている人間の中に優と薫流がいないこと。

 つぎに、倒れている乗客の頭と地面の間には上着や鞄が挟まれていて、枕やクッションのようになっていること。

 そして、乗客が倒れている場所や着ている服には掠れた血の跡が残っており、その血痕がバスの方向へ続いているということ。


 誰かが乗客をバスの中から運び出しているのか?


 慎重に血の跡をたどり、歪に窪んだバスの入口を見つめる。

 扉は外れかけていて不安定な位置のまま固まっていた。


 よく見るとバス自体が斜めに傾いたまま少し浮いている。

 バスの入口に右足乗せ全体重を掛けてみる。しかし、バスは空中で止まったままビクともしていなかった。


 よかったこれなら中に入れそうだ。


 もう片方の足でバスの中へ踏み込んだ。

 バスの通路も斜めに傾いていたので、壁や手すりを使って体制を整える。


 入口からバスの奥を見ても所々崩れていて、乗客がいるのかここからは分からなかった。

 運転席のすぐ後ろの席は、外部から圧迫されたのか完全に潰れており、全壊した椅子の隙間から赤黒い液体がドロドロと染み出していた。


 運転席のすぐそばで転がっていた、ミキサーにかけ られたかのようにボロボロになったスボン。それに絡まれた何かの残骸を見つけ、めくり目からその正体が、俺達と一緒乗っていた人間の身体の一部だと理解する。

 喉の奥から、熱い何かが込み上げ息苦しくなった。


 外に倒れていた乗客には目立った怪我をした人間はいなかった。

 つまり、


「……この中で人が死んでいるのか?」


 今まで気づかなかったが、バスの中は生ぬるい錆びた鉄の臭いが充満しており、認識した瞬間、恐怖と不安感がのしかかる。


 それでも、奥歯を噛み締めその場に立ち止まった。


 俺には引けない理由がある。


「まだここに薫流と優がいるかもしれないんだ」


 自分に言い聞かせ、無理矢理にでも理性を保とうとする。

 おぼつかない足取りで傾いたバスの中を奥へ奥へと進んでいく。


 俺達が座っていたバスの最後尾の一つ前の席。その場所で眠っている少女を見つけ思わず声をかけた。


「薫流!大丈夫か?」


 肩を揺すり、起こそうとする。しかし薫流は他の乗客と同じく体温はあっても呼吸や脈は無い。


 背負って彼女を運んで行こうとしていると、俺達が元々座っていた席の方から物音が聞こえた。


 目を覚ましてから今まで、自分の声以外の音を聞いていなかったので、俺はその音を聞き逃すことなく奥の席を覗いた。


 物音の先にいたのは、バズの座席に収まり切らないほどの大男で、倒壊した椅子や細工の瓦礫を掻き分けていた。


 男は俺の気配に気づき振り返る。


「……っ!まさか、君も動けるのか!?」


 驚いた様子の男の顔。俺はこの顔に見覚えがあった。


「あんた、このバスの運転手だよな」


 俺達が乗り込む時にチケットを見せた無愛想な男。しかしさっきよりも服はボロボロに裂けており、所々に痣や出血の跡があった。


「何がどうなってるんだ。どうして俺やあんたは動けて他の人間や物は動かない?」


 目が覚めてから起きた現象を、不安感をぶつけるように男に投げかける。

 すると男は申し訳なさそうに首を横に降った。


「すまない、情けない話だが今は状況を説明する時間が無い」


 男はもっと高圧的な態度をとると思っていた。なので逆に謝られ、俺自身が少し落ち着きを取り戻していた。


 そんな俺の様子を見抜いたのか、男は言葉を続けた。


「前の席で眠っている少女は君の仲間だろう。このバスは危険だ、早く外に連れて行ってやれ」


 そうだった。薫流はまだその場に残されたままだ。


 薫流の元へ行き身体を持ち上げ背中に乗せる。

 すると男は声を上げた。


「その子を寝かせる時は、他の乗客と同じように、頭に何かクッションを挟むんだ」


 男に向けて分かったよと言い捨て、斜めになったバスを駆け抜ける。

 他の乗客が倒れている近くに薫流を寝かせ、男の言ったとおり上着を脱いで頭の間に挟んだ。


 薫流の身体が安定していることを確かめると、俺はまたバスの中へ走り出した。


「おい、薫流を避難させたぞ。だから早くこの状況を説明しやがれ!」


 俺がすぐに戻ってくると思っていなかったのか、男は苦笑いを浮かべていた。


「……若いな、その威勢が あれば充分だ。こっちへ来い」


 改めて聴くと、バスの中で唯一聞こえる男の声は枯れており、男の見た目に比べて老けて聞こえた。

 

 声に招かれ男の元へ歩いていく。


 男のいた場所にあった瓦礫の中。そこには少年の頭が埋まっていた。

 それは、この場所にいた優のものに違いない。


「この少年はバスが事故を起こす寸前に、君達を庇っていたんだ。怪我はしているが命に別状はないだろう」


 男と一緒に瓦礫を掻き分け優を掘り出す。すると男は優を俺の背中に乗せ、この状況について話し始めた。


「この事故は私が原因で起きたものなんだ。できる限りの乗客は私が時間を止めて避難させたが、犠牲者を出してしまった 」


「時間を止める……。ほんとにそんなことが出来るのかよ」


 男の言葉を疑おうとしても、今自分が体験している現象を説明するには信じるしかなかった。


「この時間停止は一時的なものだ。おかしな話だが時間を止めていられる時間はそう長くはない。……どうやらもう限界らしい」


 苦しそうな笑みを浮かべて話を続ける。


「持ってあと30秒だ。それが過ぎればこのバスは燃料が漏れだし、炎上して最後には爆発するだろう」


 男の突飛な話。今は頭をフル回転させて信じるしかないのだろう。


「……わかったよ、言われなくても早くバスから離れるさ。でもあんたはどうするんだよ?」


 座っている男の身体には無数の傷があり、満足に走れるのかさえ分からない。


「今まで様々な苦難を抜けてきた。いつかはこんなことにもなると分かっていたさ」


 男は笑みを浮かべ、バスの入口を見つめていた。


 落ち着いた様子なので、何か作があるのだろう。


 男に背を向け全力で入口へ向かっていく。


 不意に、なんとなくだとか本当に深い理由もなく、スピードを落として後ろを少し見た。


 さっきと変わらない位置にいる男。立ち上がり俺の方を見つめていた。

 しかしよく見ると、男の左足は根元から真っ赤に血で染まり、太ももから下に至っては、完全に抉れて無くなっていた。


 あんな足じゃここから外に出るなんて不可能だ。 


 思わず立ち止まり男に声をかけようとする。


 しかしそれさえかき消す勢いで、今まで聞いたこともないほど大きな声で男が叫んだ。


「振り返るな!前を向いて走れ!!!」


 唇を噛み、男の言う通り正面を向き、前へと走り出す。


 ――――。


 バスの入口へとたどり着いた時、背中に今まで感じなかった重量を感じ、『 バッッ!!!』と破裂音が周辺に鳴り響いた。


 気がつくと静止していたはずの雨は地上に降り注ぎ、路上に倒れていた乗客の困惑した声が耳に届いてくる。


 そのまま優を背負って薫流の元へ走っていくと、後ろから『 パチパチパチ』と何かが燃える音が聞こえ振り返る。


 さっきまで乗っていたバスは炎に包まれ、周囲には惑う人の波が出来てきた。


 その全てを遠くから見つめている。


 また降り始めた雨だけが、あの男の死を嘆いているようなきがした。

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