7杯目 日勤開始
午前十一時、「たかはし洋菓子店」開店。
「今日は一日目じゃし、無理しなくてええんよ?」
由理子おばさんはそう言ったが、梨々花は笑顔で首を横に振ってエプロンを身につける。
「習うより慣れろ、と言いますからね。一日でも早く戦力になれるように手伝わせてください」
「……そうじゃけど」
「母さん、梨々花さんは接客経験もあるというんだし、お任せしてみようよ」
なおも迷った様子の由理子おばさんをなだめたのは、真っ白のエプロンを着用した紫遠だった。
室内灯の明かりを受けて輝く銀髪――他の人間にとっては黒髪だが――をきっちりと結ってまとめた彼は、シャツの袖をまくりつつ言う。
「それに、母さんが旅に出るまで二週間あるといっても、三人でやっていけるうちに梨々花さんに手順を覚えてもらう必要があるじゃないか」
「……そうね。それもそうだわ」
息子の説得を受けて、由理子おばさんも納得してくれたようだ。
「たかはし洋菓子店」は、美観地区のほぼ中心部に店舗を構えている。大通り沿いにあり、駅からずっと歩いてきた観光客にとっては立ち寄りやすく、休憩場所として訪れる人もそこそこいるという。隠れ家風の店だ、と感じた梨々花だが、結構客は来るらしい。
……由理子おばさんは、よくぞこのような一等地を確保できたものである。
「たかはし洋菓子店」のメニューはシンプルだ。ディスプレイされていた蝋細工そのままで、パフェは季節のフルーツパフェ、抹茶パフェ、ストロベリーパフェの三種類で、飲み物はコーヒーの冷と温、オレンジジュース、コーラ、メロンソーダだけだ。紫遠も言っていたように、親子二人で経営しているのでメニュー数はかなり絞ったのだ。
「季節のフルーツパフェ、三つです!」
「了解しました」
注文を受けた梨々花がのれんの向こうに向かって言うと、紫遠の爽やかな声が返ってきた。
開店すると早速、客が来店してきた。席数もそれほど多くないのだが、十二時を回る頃にはそこそこ埋まってきたように感じられる。
注文を取りつつ梨々花が気づいたのは、三種類のパフェの中でも圧倒的に注文数が多いのが「季節のフルーツパフェ」だということだ。
「お待たせしました。季節のフルーツパフェです」
お盆に載ったパフェを席に運ぶと、地元の高校の制服を着た三人の女の子たちが、わあっと声を上げた。
岡山は、フルーツ――とりわけ、白桃・ピオーネ・マスカットの生産が盛んだ。「たかはし洋菓子店」一番人気の季節のフルーツパフェは、地元で取れた果物をふんだんに使用している。
パフェ下層には、コーンフレーク、缶詰の白桃、サイコロサイズに切ったマンゴー、生クリームがきれいな層を作っている。上部には、丸くくりぬいた緑色のメロンシャーベットを中心に、皮を剥いた種なしピオーネ、皮ごと食べられるシャインマスカットを飾り、櫛形に切った白桃を絶妙な角度でグラスの縁に配置する。そんなパフェを上から見ると、まるで――
「これ、花を上から見たっぽくない?」
「ほんまじゃ!」
「ちょ、待って、撮るから!」
女子高校生たちは見目も美しく整えられたパフェに大喜びで、それぞれ持っていたスマホで写真を撮り始めた。由理子おばさん曰く、「写メを撮ってSNSとかにアップしてくれるなら宣伝効果にもなるから、大歓迎よー」とのことである。シャーベットが溶ける前に食べてほしいところである。
来客のピークは、午後三時くらいだ。倉敷川沿いには甘味店以外にも洋食、会席料理、うどん、そばなどのランチ向けの店が多く建ち並んでいる。そういった店で昼食を摂り、美観地区散策をして少し疲れたところにパフェや冷たい飲み物で休憩するのだ。
とりわけ今は夏休みだ。柳の揺れる川沿いならば少しだけ暑さも緩和されるとはいえ、アスファルトの道を歩くだけでもじっとりと肌に汗を掻く。強い日差しの下を歩いてきた観光客にとって、薄暗くて涼しい甘味店はすばらしい休憩所だろう。
ちなみに値段だが、抹茶パフェとストロベリーパフェは五百五十円、季節のフルーツパフェは八百円とかなり差がある。地産地消で地元の農家から買い取っているとはいえ、新鮮な果物は結構値が張るのだ。この辺りは、由理子おばさんのこだわりがあるらしく決して妥協しないという。
調理場は由理子おばさんと紫遠の二人で回し、ホールは梨々花が担当する。梨々花が休憩するときは紫遠がホールに回り、由理子おばさんか紫遠が休憩する際は一人で調理場のやりくりをすることになる。
そうして日が暮れてくるとようやく、客の入りもまばらになってきた。一応営業時間は二十時までだが、十九時を回った頃になるとほぼ客は来なくなった。これからは夕食の時間だ。
「いやぁ、紫遠と二人で回していたときよりずっと楽だわぁ!」
そう言って由理子おばさんは額の汗を拭った。カウンター席を拭いていた梨々花は、がらんとした店内を見回してうなずいた。
「これだけのお客相手に二人で切り盛りしていたなんて、さぞ大変だったでしょう」
「そうだね。でもうちは煮る・焼く系の料理がないだけまだましかもしれない。東京のお店と比べて、どう?」
「……私がバイトしていたお店は面積がもっと広くて、従業員も多かったです。駅前にあったから客の入りはすごくて、休む間もないくらいでしたね」
地方の観光地と都会の駅前では、同じカフェでも客の入りが違う。梨々花が働いていた店は深夜まで営業しており、飲み会の後に来るサラリーマンたちや一日のデートの締めに来るカップルなどが来るため、夜は夜で忙しかった。
だが、夜にも客が来るのは「たかはし洋菓子店」も同じだ。
梨々花は布巾をカウンターに置き、そっと店の扉を開いた。
まだ夏の日差しが残っており空も青と夕焼け色が斑になっているが、西の果てからはじわじわと暗い色が迫ってきている。
もうすぐ、夜になる。