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6杯目 おばさんの馴れ初め

 梨々花の父親は、その後間もなく帰っていった。

 行きの車の中では「紫遠君なぁ……」「どうなることやら……」とぶつぶつ言っていた割に、去り際はすっきりした様子だった。実際に会ってみた紫遠が思っていたよりも好青年で、信頼できると判断したからかもしれない。


「そんじゃ、二階に上がろっか。紫遠、荷物持ってやり」


 紫遠に荷物を持ってもらい、由理子おばさんに先導され、梨々花は店舗二階に上がった。ギシギシと板がきしんだ音を立てるやけに横幅の狭い階段を上がった先の二階は、三部屋とトイレという間取りになっている。


 一階店内は和と洋がうまくミックスしたような内装だったが、二階は土壁で、部屋と部屋の仕切も薄手の板のような壁だった。天井は四角錐の屋根の形そのままで、梁があらわになっている。梁の部分に埃が溜まりそうで、掃除するのが大変そうだ。

 三部屋続く中、梨々花にあてがわれたのは一番奥の部屋だった。


「おお、畳だ……」

「そういえば、雄三の家に畳の部屋はほとんどなかったっけ」

「はい、その畳の間も半分物置になっているので」


 由理子おばさんに案内された梨々花の部屋は和室で、元々客用の寝室として使っていたらしい。

 天井からぶら下がっている電灯は、紐でオンオフの切り替えをする昔ながらの四角い和室電灯だった。由理子おばさん曰く、なんとLED非搭載らしい。


 部屋の広さは四畳半といったところか。生活するにはやや狭いかもしれないが、夏の終わりまでの仮住まいと考えれば十分だろう。小さめだがテレビがあり、折りたたみらしきテーブルが壁に立てかけられている。ちゃんとエアコンも付いているので、梨々花は内心安堵した。


 窓には格子のような枠が取り付けられており、そこからは昨日紫遠と一緒に渡った橋を見下ろすことができた。この部屋の窓は西向きで、大通りを向いているようだ。


「お布団は押入に入れとるから。小さいけどクローゼットはここ。他に何かあれば、あたしか紫遠に言ってね」

「何から何までありがとうございます」


 梨々花は頭を下げた。冷房完備、三人で共用だがトイレも風呂もある。部屋はこぢんまりしているが清潔だし、言うことはない。

 荷物を下ろすと、続いて梨々花は由理子おばさんの後を付いていきながら、一ヶ月間暮らす上での説明を受けていた。


「洗濯は一日一回、朝にあたしがしている。もし個人的に洗濯機を使いたかったら自由に。ご飯は紫遠が作ってくれるけど、あたしは外で買ってくることが多いかなぁ」

「母さん、菓子作りは得意だけど料理はてんでだめなんだよな」

「うるさい紫遠」


 また、業者が来る際などの対応はすべて由理子おばさんや紫遠がやってくれるそうだ。


「調理全般は、調理師免許を持っているあたしと紫遠が担当する。リリちゃんはホールでの接客をお願いね」

「任せてください。就活を始めるまで、カフェでバイトをしてたんですよ」

「そういえばそう言ってたね。心強いこった」


 調理場に降り、器具の説明などを一通り受けた後、ふと由理子おばさんは神妙な顔になった。

 紫遠は現在食材の搬入作業をしているらしく、裏口で業者と一緒に荷運びをしている声がかすかに聞こえてきていた。


「……あんたに接客経験があるとはいえ、それは人間相手だ。昼間はこれまでのバイト感覚で大丈夫じゃろうけど、夜はそうもいかん」

「……はい」


 何しろ、夜のお客様はあやかしだ。

 実際同じ敷地内にあやかしと人間のハーフがいるとはいえ、梨々花は今まであやかしというのをお目に掛かったことがない。


「……あの、本当に倉敷にあやかしがいるんですか。とてもそうには思えないんですが」

「まあ、たいていのあやかしは日中の行動は控えとるからな。それに、いくらあやかしを見る力を持ってたとしても、『見よう』という意識がないと見ることはできん」

「……意識して見ようとしなければならないってことですか?」

「そう。あたしの場合……それこそあんたくらいの年の頃だったかな。そこの川辺に座ってなんとなーく柳を見ていたら、その木陰に座るあやかしと目があったんだ」


 今から二十年近く前のことを思い出す由理子おばさんは、遠い眼差しで語った。


「ぱっと見ただけで、こりゃ様子がおかしいと分かった。なんつったって、その人はきらっきらの銀髪をお持ちだったんだ。リリちゃんも実際にあやかしに会ってみれば分かるだろうが、人間と近しい姿をしとっても纏う雰囲気が違うんよ。最初はあたしも怖くなって逃げたけど、次の日も同じ場所に行ったら彼はいた。あんなに目立つ銀髪なのに通行人は誰も彼に注目しない。それに気づいてあたしは、ずっと前に叔母さんから聞いた話を思い出したんだ」

「その叔母さんという人も、『高橋家の娘』だったのですね?」

「そう。あたしが子どもの頃、叔母さんはあやかしの話を昔話風に教えてくれたんだ。もちろん、当時のあたしは信じとらんかった。でも実際に見て、話をすることができたら、『ああ、本当にあやかしっておったんじゃな』って認めるしかなかった。で、気づいたらそのあやかしに、すっかり心を奪われてしまっていたってわけよ」


 つまり、こうして由理子おばさんは夫――紫遠の父親と出会った。自分以外の人間の目に映らない存在ではあるが、彼と結婚し、子どもを産むことを選んだ。


「それじゃあ、私たちはあやかしに触れることもできるのですね」

「そうじゃないと紫遠が生まれんじゃろ?」

「えっと、まあ、そうですが……」

「……今まであたしは『見える』とか『見えない』って表現を使っとったけど、どっちかというと『見えていても全く意識していない』のが近いかもしれんなぁ」


 由理子おばさんの表現に、梨々花は首をひねる。


「それじゃあ、他の人にもあやかしは見えているってことですか?」

「それこそあたしたちは『見える』側の人間じゃし、あやかし評論家がいるわけでもないからなんとも言えんけど……たぶん皆は、あやかしが見えていたとしてもそれを認識していない。だってそうじゃないと、もしあたしたちがあやかしにものを渡したとしたら、他の人からはそのものが宙に浮いているように見えてしまうじゃろ?」

「……確かに」


 そうなれば、あやかしを通り越してオカルトである。


「写真とかも、人間の手で作られたものだからなぁ。あやかしを写すことはできないんよ。あたしも旦那で試してみたけど、だめだった。紫遠の場合は銀髪に紺色の目じゃなくてあたしの色で映ったけどね。……そういうわけで、あやかしたちからすれば自分たちは人間から『見えていない』のが当たり前なんよ。たとえ人間界に興味があっても、触れることができない、しゃべることもできない。そんな中、あたしたちは彼らと話し、触れ、さらに食品を提供できる。うちのパフェを食べられるってことで旦那も他のあやかしたちも大喜びでね、おかげさまで夜の部もなかなか繁盛してるんだ」

「あやかしの皆様に提供するデザートは、人間用のものと同じなのですか?」

「基本的には同じだね。あやかしが人間界のものを食べる場合には、『人間が意図して自分に提供してくれたもの』でないと食べられんのだって」


 つまり、畑で育っている野菜をかじったり、店で人間が食べている料理を横から失敬したりということはできないのだ。


「あやかしもいろいろと大変なんですね……」

「まあ、普段はあやかしの国にいて、人間界に降りてくるのは好奇心旺盛なあやかしがほとんどだ。うちの洋菓子店のおかげで最近、この辺に降りてくるあやかしが増えたそうだけどね」


 そう言って由理子おばさんが笑ったところで、裏口に続く引き戸が開いた。

 さんさんと降り注ぐ日光を背中に浴びて立つ紫遠は、この暑さの中でも汗ひとつ流すことなく、爽やかに微笑んだ。


「食材の搬入が終わったよ」

「ありがとう。それじゃ、そろそろ準備を始めようか」

「了解」


 紫遠は母親と事務的なやりとりをした後、ふと梨々花に視線を合わせて微笑み、自室へ上がっていった。

 あやかしと人間のハーフだからか、昨日と同じように彼は汗を掻いていない。それどころか、ほぼ一人で食材搬入作業をしたというのに疲れた様子も見られなかった。


「……紫遠さんって、ひょっとしてかなりタフなんですか?」


 梨々花が問うと、由理子おばさんは目を瞬かせ、天井を見上げてうーんとうなる。


「確かに、あの人に似てるからか汗は掻かんなぁ。炎天下でもけろっとしているから、何度も学校の養護の先生に心配されたわ。それと、体力もかなりあるかな。本人はそれほどスポーツは好きじゃないみたいだけど、なんでもできちゃうから体育の成績はいつもよかったわねぇ」

「……ハーフすごい」


 そして、そんな超人的な能力を持つあやかしと恋に落ち結婚したという由理子おばさんは、もっとすごいと思った。

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