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5杯目 バイトの始まり

「たかはし洋菓子店」でバイトをすることになった梨々花だが、即日勤務開始というわけにはいかない。

 何しろ、今日の梨々花は財布やスマホ、簡単な身だしなみ品くらいしか持ち物がないのだ。由理子おばさんと話をしてからバイトを受けるかどうかを決めるつもりだった上、深夜営業するとも思っていなかった。一人暮らしのアパートから持って帰った服や日用品は、すべて岡山市の実家に置いているのだ。


 そういうわけで本日のところは実家に帰って家族と話をして、翌日荷物を持って再び店を訪れるということになった。


「……ほう、由理子の店で手伝いか」

「いいじゃない、倉敷のお店でバイトなんて、いい経験になるわよ」

「パフェか……まあ、気分転換になるならいいんじゃねぇの?」


 その日の夕食の席で家族にバイトの件、そしてバイトをしている期間は店の二階にある居住スペースで寝泊まりさせてもらうことになったことを報告すると、家族からの反応は三者三様だった。


 由理子おばさんとメールのやりとりをしている母はまんざらでもなさそうで、専門学校二年生の弟も反対はしなかった。

 ただ、父親だけは由理子おばさんから託された手紙を読み、難しい顔をした。


「カフェで働くのは全く構わないが……うちから通うのはだめなんか?」

「だめじゃないと思うけど、電車代だってそこそこ掛かるし、二階から通勤できるなら便利だと思って」


 梨々花は、少しだけ後ろめたい気持ちになりながら言い訳する。

 なんと言っても、梨々花の勤務時間は異例なのだ。人間の客はどんなに遅くても二十時でお帰りいただくが、その後あやかしの客がやってくる。

 あやかしの客向けの営業時間はだいたい二十二時から翌日の一時になるらしく、電車で自宅から通うのは難しい。それに、梨々花以外はあやかしの存在を認識できないとのことだから、「いや、夜中にあやかしの接客があるからー」なんて言い訳はできない。したならば、かつての由理子おばさんのように精神科に連れて行かれるだろう。


「店の二階には空いている部屋があるからそこを使えばいいって言われたし、風呂もトイレもある。食費や生活費を払うことにはなるけど、いろんな面で由理子おばさんがフォローしてくれるって言ってるし」

「由理子のことは気にしていないが、問題は――おまえ、由理子が留守の間も店番をするんだろ?」

「うん、八月末に友達と旅行に行くんだって」


「あやかしの旦那と一緒にあやかしの国訪問」というのは、胸の中だけに秘めておく。


「ということは由理子の留守中は、由理子の息子と一緒に暮らすことになるのだろう」

「ああ、そういやそうだね」


 父親に指摘され、遅ればせながら梨々花も気づいた。

 父親として、日中の営業時間中はともかく、自分の娘が若い男と二人きりで一つ屋根の下で暮らすというのが気がかりで仕方がないのだろう。


「紫遠さんは真面目そうな子だったし、大丈夫だって」

「いや、そうは言っても相手も男の子だ。それに今まで由理子は一度も、紫遠君とやらを見せに来たことはないし――」

「寝室だって別だし、何かあればすぐにおばさんに連絡すればいいって言われてるよ。気にしすぎだって。というか、私もう子どもじゃないし」

「うむ……」


 父親はなおも納得いかなそうな顔をしていたが、最終的には「もう子どもじゃないんだから」に反論するすべがなかったようで、折れてくれた。

 ただし、「紫遠君とやらと直接挨拶がしたい」らしく、明日梨々花が荷物を持って倉敷に行く方法は電車ではなく、父の運伝する車ということになった。









「おはよう、リリちゃん。ああ、雄三も久しぶり!」

「おはようございます、おばさん」

「……久しぶりだな、由理子」


「たかはし洋菓子店」の前で荷物を下ろした梨々花は、出迎えてくれた由理子おばさんに挨拶をする。


「荷物はこれだけなんだけど……持って上がればいいですか?」

「そうじゃなぁ。紫遠の手が空いとるしあの子にお願いしようか」


 由理子おばさんの口から「紫遠」の名が飛び出した瞬間、父の体がぴくっと震えたのが梨々花には分かった。頼むから、紫遠の前で妙な発言はしないでほしい。


 やがて、母親に呼ばれて紫遠が降りてきた。今日の彼も朝日を浴びて銀髪がまぶしく輝いているが、「髪が傷むから染めるならせめて黒系にしろ」とよく言っている父親から特に反応はない。梨々花や由理子おばさんと同じ高橋家の人間でも父親は男だから、紫遠の髪も目も黒に見えるのだろう。


 紫遠は梨々花を見るとほんのり微笑んだが、その横に立つ梨々花の父親を見てすっと表情を改めた。


「……おはようございます、梨々花さん。そちらにいらっしゃるのは、梨々花さんのお父さんですね」

「おはよう、紫遠さん。……電車で来る予定だったんだけど、父さんが荷物を運んでくれるって言ったから」

「初めまして、紫遠君。高橋雄三です」


 堅苦しい父の挨拶に何かを感じたのか、紫遠も神妙な顔で頭を下げた。


「……初めまして。高橋由理子の息子、高橋紫遠です。長らくご挨拶ができず申し訳ありませんでした」

「君は幼少期、体が弱くてあまり外部との接触ができない子だったと聞いています。気にしなくていいですよ」


 父親の言葉で梨々花は初めて、親戚中でも紫遠の存在があまり知られていなかった際の言い訳を知った。由理子おばさんと普通に仲のいい父ですらそうなのだから、梨々花が今まで紫遠の存在を知らなかったのも当然なのかもしれない。


 物思いにふける梨々花をよそに、父と紫遠はどこか緊張を孕んだ声でやりとりをしていた。


「約一月間、娘がお世話になります。由理子のいない間は二人で生活することになるようですが……梨々花をよろしく頼みます」

「いえ、こちらこそ梨々花さんにはお世話になると思います」


 そう言って頭を下げた父に、紫遠は穏やかな声で言葉を返した。


「何かあればすぐにご連絡いたしますので、連絡先を伺ってもよろしいでしょうか?」

「……分かりました」


 そうして、父親と紫遠は携帯電話番号の交換を始めた。二人の様子をぼんやりと眺めていた梨々花だが、由理子おばさんにちょいちょいと手招きをされて彼らから離れる。


「雄三、あんたのことを心配しとるんねぇ」

「あれってむしろ、紫遠さんに失礼じゃないでしょうか……」

「んー、いや、娘を持つ父親としてはまあ当然の反応じゃない?」

「でも、私が今まで彼氏を持ったときは『ふーん』で済ませていたんですよ? あんなにカリカリしたことなかったのに」

「……もしかしたら雄三には力はなくても、何か感じるものがあるのかもしれんね」

「え?」

「いや、何でもない」


 聞き返したが、笑ってかわされてしまった。

梨々花より先に父上とアドレス交換してしまった紫遠君

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