4杯目 契約成立
「もしかして、その……例の、あやかし関連?」
「正解! 三年前にこの店を始めたときは、普通のパフェ専門店だったんよ。でもいつの頃からか、閉店後に別のお客さんたちが来るようになってね」
そうして由理子おばさんが語ったことによると。
由理子おばさんと高校生の紫遠の二人で経営していた店に、あやかしの客が来るようになったのだ。近辺にいたあやかしたちが、「自分たちを目視できる人間が経営する菓子店」ということで興味を持ったのだという。
店の邪魔をしてくるならまだしも、客としてパフェを食べたいと言われると追い返すわけにはいかない。そうして由理子おばさんの夫の取りなしもあった結果、「たかはし洋菓子店」は二十時で通常経営を終了した後、休憩の後にあやかし向けに開店するようになったのだという。
「……あやかしにパフェを提供して、それでやっていけるのですか? あやかしっていうのがお金を持っているとは思えないんですけど」
「あたしも最初はそれが心配でねぇ。最初は、わけ分からんモジャモジャしたものやゲヘゲヘ笑うような人形をくれたりしたっけ。でも旦那が人間界のルールとかを皆に説明してくれたから、ちゃんと役に立つものを対価にくれるようになったんだよ。宝石とか」
「宝石!?」
「宝石といっても、ダイヤとかそんなもんじゃないけどね。換金したらパフェ代くらいにはなったから、そういうので支払ってもらっとるんよ。ただそれを帳簿に付けるわけにもいかんから、確定申告の時には面倒なことになるんよね。店の売り上げと仕入額とかがめちゃくちゃになるんだから」
「確かに……」
「でも、家族三人でうまくやっていけとる。旦那は普段あやかしの国にいるんだけどまめに会いに来てくれるし、紫遠は見ての通りいい子に育った。洋菓子店としての経営だって、昼間の客入りも悪くないし、あやかしたちの接客もなかなかおもしろい。ええ仕事を選べたわ、本当に」
由理子おばさんはからりと笑う。
彼女の夫は、他の者の目には見えない。だから、「シングルマザーになるなんて」と彼女を白い目で見る親戚がいるのが事実だし、かといって彼らの理解を得ることは永遠に不可能だ。「あやかしと結婚した、ただ、あなたたちには見えません」なんて言えばそれこそ精神科に連れて行かれるだろう。
だが、由理子おばさんは逆風に負けず持ち前の明るさとバイタリティで店を経営し、子育てもしているのだ。
「……おばさん、すごいですね」
「ありがと。……と、ここまでが前提ね。リリちゃんに夏の間、バイトをしてほしい理由なんだけど」
ようやっと話がここまでこぎ着けられた。
梨々花が姿勢を正すと、由理子おばさんは店の壁に掛けられたカレンダーを手で示した。
「うちの旦那は今、あやかしたちの国に戻っているんだけど――今度、あたしも国に連れて行ってくれることになったんよ。結婚して二十年近く経つけれど、今になってやっとこっちとあっちの都合が合うようになったんだとさ」
「あやかしの国……」
「あたしも一度、旦那の国に行きたいと思っとったんよ。これを逃せばそれこそ、あたしが生きている間にはもうあやかしの国に行く機会がやって来んかもしれん。ただ、指定されたのは八月の下旬で――夏休みも最後で一番の稼ぎ時に店を離れることになるんよ」
「……両親のいない間は、僕一人で店を守ることになります」
かなり久しぶりに紫遠が発言した。彼は先ほどコーヒーを噴き出してしまった梨々花のために新しいコーヒーを入れてテーブルに置き、真面目な顔で言った。
「でも、僕一人で客をさばくのは難しいのです。僕一人ですべてのやりくりをするのは不可能です。かといって、人間とあやかし、それぞれに向けた営業時間はずらしているとはいえ、外部の人間を雇うのは不安要素が大きい。だとすれば、母と同じようにあやかしの姿を見ることができ――僕の本来の色を見極められる梨々花さんにお願いすればいいのではないかと思いついたのです」
なるほど、と梨々花は紫遠の言葉に低くうなる。
由理子おばさんからすれば、自分と同じ「高橋家の娘」である梨々花は非常にありがたい存在なのだ。
あやかしが見える、接客ができる、息子の事情が分かっている、親戚なのである程度の信頼ができると、いいことずくめだ。
梨々花としても、夏の間「お祈りメール」に埋もれて思い詰めることもなく、小遣い稼ぎにもなるのだから悪い話ではない。あやかし、なんて言われてもまだピンとこないが、今までやってきた接客業の延長だと思えばいいのだろう。
「……失礼なことを聞くかもしれませんが、あやかしたちって、その――人間に危害を加えたりは……しないですよね?」
「ないない。人間に対して悪い感情を抱いているあやかしはそもそもこっちの世界に来たりしないから」
「来たとしても、僕がいるので大丈夫です」
そう言って紫遠は濃紺の目を細め、柔らかな眼差しで梨々花を見つめてきた。
「身内の自慢になってしまいますが、僕の父はかなり優秀なあやかしなのです。そして僕もその血を継いでいます。あやかしは序列というものを気にするので、僕がいる限りは梨々花さんに手出しはさせません。絶対にあなたを守ります」
「あっ…………は、はい」
紫遠はビジネス上の会話をしている、と分かっていても、ついつい梨々花の頬がぽっと火照ってしまった。ここしばらく彼氏のいない梨々花にとって美青年の「あなたを守ります」は、衝撃が強すぎる。
由理子おばさんは息子の顔を横目でじとっと見た後、梨々花へ視線を戻した。
「……そういうことで、この旦那似の超絶イケメン息子がいるから、身の安全は大丈夫よ。あ、そうそう。あたしたちに見えるあやかしは、この美観地区周辺のものに限られているの。ここらに住んでいるあやかしとは顔なじみだから、あたしの名前を出してくれれば大丈夫。見た目も人間とほぼ同じだし、ファミレスの接客のつもりで挑めばいいから。もちろん、時給も弾むよ! 夜の仕事になるから、期間中はうちの二階で寝泊まりすればええ。生活費はちょっと引かせてもらうけどね」
「……分かりました。ちなみに、期間はどうなりますか?」
「そうじゃな……今日が八月の十日で、店が繁盛する夏休み中はお願いしたいな。今年は三十一日が定休日じゃから、実質勤務は三十日まででどう?」
由理子おばさんの言葉を聞きつつ、梨々花は頭の中で「仕事内容・雇用条件」を整理する。
期間は、八月三十日までの約二十日間。
昼間は人間相手の接客、夜はあやかし相手の接客。
夜の仕事になるので寝泊まり先も確保。生活費は別払い。
困ったことがあれば、由理子おばさんや紫遠に頼めば大丈夫。
「……分かりました。バイト、お受けします!」
梨々花は力強く宣言した。
あやかし相手の店の手伝いなんて、いったいどうなるのか分からない。
だが、不安や緊張以上に、梨々花の胸は期待でいっぱいだった。
就職先が決まらず鬱々とした気持ちで2LDKの部屋で一人暮らすよりはきっと、自分のためにもなるはずだ。