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3杯目 梨々花に見えるもの

「……早速ですが、おばさん。夏の間、私にお店のバイトを頼んだことについてですけど」


「ああ、そうそう。それじゃあまず、話だけしておくわ」


 アイスコーヒーがほぼ真っ白になるまでミルクと砂糖を入れた由理子おばさんは、店内を手で示した。


「……三年前、空き家だったこの町屋を借りて店を開くことにしたんよ。それまでは別のカフェで働いとったんじゃけど、紫遠も中学校を卒業したことだし、自分の店を持ちとうてなぁ。いい場所でしょ?」

「はい。なんだか落ち着きます」


 梨々花も店内を見回してそう言った。

 窓がないため薄暗いが、かえっていい雰囲気を醸し出している。毎日客であふれかえる超人気チェーン店というよりは、知る人ぞ知る下町スイーツ店といったポジションだろう。


 由理子おばさんは梨々花の感想に満足そうに微笑み、隣で黙ってブラックコーヒーを飲んでいた息子の肩を叩く。


「そうそう。ちなみにこの子はあたしの息子なんじゃけど、見とってどう思う?」

「生徒指導の先生に叱られそうな色合いだと思いました」

「あっはは、そうよな! やっぱあんた、高橋家の娘だわ!」


 正直に紫遠の髪と目の色を指摘した梨々花だが、由理子おばさんは憤慨するどころか至極楽しそうに膝を打っている。

 対する梨々花は、おばさんの言葉に首を傾げた。


「……『高橋家の娘』って、どういうことですか?」

「ん? 簡単に言うとね、あんたにも『見る』力があるってことよ」

「見る力?」


 そういえば駅の改札前で話をしたとき、紫遠も梨々花に対して「見える」とか言っていた。


「見るって……幽霊か何かみたいなことを言うんですね。私、霊感はないはずですけど」

「幽霊なんてものと一緒にしちゃおえんよ」


 そこで由理子おばさんはふっと表情を改め、カウンターの下から小さな写真立てを取り出した。


「これ、見てみ」

「はい……」


 おばさんから受け取ったそれには、L判サイズの写真が収められていた。写っているのは、詰め襟の男子学生服を着た少年。体の向きを正面四十五度に、顔だけをこちらに向けているのは――


「……黒染めした紫遠さん?」

「そう、写真にはそういう風に写っとるんよ」


 由理子おばさんの意味深な言い方に梨々花は顔を上げて、アイスコーヒーをすする美青年を見つめた。

 薄暗い店内では灰色っぽく見える銀色の髪に、濃紺の目。

 梨々花は写真に視線を戻した。そこに写っているのは、今より幾分幼い表情をしている黒髪黒目の紫遠。


「……どういうことですか?」

「簡単に言うと、あたしたちが『見ている』紫遠の姿と、あたしたち以外の人間が見てる紫遠の姿は違うってことじゃな」


 弾かれたように梨々花は顔を上げる。

 子どもの頃からいつも笑顔、という印象だった由理子おばさんの目は、笑っていない。


 ――あたしたち以外の人間。

 どうして、そんな表現をするのだろうか。


 由理子おばさんは白に限りなく近い色のコーヒーをぐびっと飲んだ後、「高橋家に生まれた女の子はなぁ」と語り始めた。


「どの子も例外なく、特殊な力を持っとる。簡単に言うと、他の者には見えんものを『見る』力。そして、彼らと触れあう力じゃな」

「……『彼ら』?」

「そう。今まで彼らと接する機会のなかったあんたは知らんかったじゃろうけど、あんたも生まれながらにその力を持っとるんよ。といっても、高橋家に生まれた女の子はそれほど多くない。今生きている者では、あたしとあんたくらいじゃないかな」


 確かに、梨々花の父方の家系である高橋家に生まれた女性はほとんどいない。父は三人兄弟の末っ子だし、梨々花のきょうだいも二つ下の弟のみ。いとこも全員男だ。祖父母は、「高橋家は女の子が生まれにくい」とか言っていたっけ。


「……この世にはね、あたしたちの理解を超えた存在がたーくさんおるんよ。それを見ることができるか、会話ができるか、触れあえるかはその人間が持つ血の特性によって決まる。大概の人間は能力を持たんし、持ってたとしても発揮する機会がないまま死ぬことがざらにある」

「……私や由理子おばさんは、その力を持っているってことですか?」


 にわかには信じがたい話だ。いくら由理子おばさんが真面目に力説したとしても、そんなばかげたことを、と一笑してしまうだろう。


 だが、梨々花がおばさんの突拍子もない言葉を否定できないのは――おばさんの隣に静かにたたずむ青年の存在があるからだった。


 銀色の地毛を持つ紫遠。

 そんな彼だが、写真を撮られると普通の黒髪黒目として写っている。

 そして、彼が目立つ銀髪であることを、道行く人たちは気にもとめない――

 いや、もしかすると認識すらしていないのではないか。

 由理子おばさんの「見る」力とやらの話が本当ならば、ほとんどの人の目に映る紫遠の姿は黒髪黒目で、由理子おばさんと梨々花にだけ、銀髪の彼が見えるのではないのか――?


 ひたり、と梨々花のグラスの表面を水滴が滴り落ち、木製のテーブルに小さな水溜まりを作ってゆく。


「……おばさん。私たちにしか見えない存在というのは――何なのですか」

「あやかしよ」

「あやかし?」


 由理子おばさんの生真面目な声で真っ先に梨々花が思いついたのは、ろくろ首や一つ目小僧、しゃべる壁や口の裂けた女性の姿だった。

 梨々花が難しい顔をしていたからか、由理子はふっと微笑んで首を横に振る。


「多分だけど、リリちゃんが考えとるような化け物のたぐいじゃない。あたしたちと似たような姿を持っとって、感情を持っとる。お腹がすけばご飯を食うし、疲れりゃ家に帰って寝る。ちょっと別の世界、時間軸を生きとるだけで、あたしらと何ら変わらんよ」

「はぁ……」


 由理子おばさんの説明を受けてもすぐには頭の中に像を結びつけることはできなかったが、ひとまずそれまで描いていた妖怪の姿は削除しておくことにした。

 難しい顔でコーヒーを飲んでいた梨々花に、由理子は「ちなみに」と付け加えて息子の肩を叩いた。


「この子、あたしとあやかしの子ね」

「っ、ぶっ!?」

「あっ、大丈夫!? 紫遠、タオル取ってぃ!」

「了解」


 衝撃発言にコーヒーを噴き出してしまったが、なんとか由理子おばさんや紫遠の顔にぶちまけることだけは逃れられた。

 コーヒーが気管どころか鼻にまで逆流し、紫遠が持ってきてくれた蒸しタオルに顔をつっこんで梨々花はしばらくの間ゲホゲホむせまくった。


「っ……おばさん、いきなりすぎ……」

「ごめんごめん。でも、リリちゃんも気になっとるじゃろうなぁ、って思って」


 ぺろっと舌を出して謝るおばさんの顔とテーブルに吐き出したコーヒーを拭く紫遠の顔を、梨々花はタオルの隙間から何度も交互に見やる。


 紫遠は、由理子おばさんとあやかしの間に生まれた子。

 梨々花や由理子おばさんたち「高橋家の娘」は、あやかしを見ることができる。

 他の人間からすると、紫遠の髪も目も黒一色に見える。

 おまけに、紫遠のこの並はずれた美貌だ。


「……おばさんが結婚したあやかしって、ひょっとして銀髪に濃紺の目の超絶美人?」

「んっふふふふ。ばれちゃったぁ? 役所の人にも親戚にも旦那の姿は見えないから籍は入れられなかったけど、超絶イケメンと結婚してまーす」

「……まじか」

「まじまじ!」


 力無く呟く梨々花に対し、由理子おばさんは上機嫌である。


 ――つまり。

 由理子がシングルマザーで紫遠を生んだのは、夫が他の者には見ることのできないあやかしだから。

 あやかしと人間のハーフである紫遠は人間として生きているが、父親譲りの髪や目の色は他の人間には見えず、母親――由理子の色である黒として認識されている。


「……なんてファンタジー」

「あたしも最初に旦那を出会ったときは、銀髪イケメンの外国人スターはっけーん! って騒いだけど誰にも理解されんくて、挙げ句の果てに精神科に連れて行かれたわ」

「そ、それは大変でしたね」

「ん、でもこうして超絶イケメンの息子もできたしあたしは子どもの頃から夢だったお店を持てたし、大変じゃったけど後悔はしとらんよ。……それで、本題だけど」

「は、はい」

「この『たかはし洋菓子店』、実はただのカフェじゃないんよ」


 由理子おばさんは真面目な顔で言う。ここまでの段階で既にさんざん彼女に驚かされてきた梨々花も、何となく話の流れが分かった気がしてごくっとつばを飲んだ。

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