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29杯目 歌に込められた想い

 プルルルルルル、という電子音に続き、車掌がホイッスルを鳴らす。

 新幹線はおもむろに動き始め、最初はゆっくりと車窓の向こうを流れていたプラットホームはあっという間に過ぎ去ってしまった。


 岡山発東京着の新幹線なので、梨々花は無事窓際の席――それも、今日のように天気がよければ富士山が見える山側を確保できた。今は昼前なので、昼食を食べる頃には富士山の付近を通過するのではないだろうか。順調にいけば、東京に到着するのは午後二時半頃だ。


 しばらく車窓の風景を眺めていた梨々花だが、ふと先ほどの紫遠とのやり取りを思い出し、キャリーバッグを開けた。


 紫遠から渡された紙包みは、体積の割に軽い。試しに軽く押してみるが、手触りも柔らかかった。中身は布だろうか。

 梨々花は膝に紙包みを乗せ、そっとシールを剥がした。そうして中から出てきたのは――


「……っ!」


 思わず声を上げそうになり、梨々花は慌てて自分の口を押さえる。まさか、どうしてこれが、と思ったのは一瞬のことで、そういえばその場に紫遠もいたのだ、と思い出す。


 包装紙から現れたのは、水色のストールだった。由理子おばさんが旅に出ている間、梨々花は店の定休日に紫遠と一緒に美観地区散策に出かけたのだ。そのときふらっと立ち寄った店で梨々花が気に入った、藍染めのストールである。


 いつ買いに行ったのかは分からないが、紫遠は梨々花がこのストールを気に入っていると知って、贈ってくれたのだ。正直なところ、梨々花本人は忘れていたくらいだったのに。


 そっとストールを持ち上げる。明るい新幹線内だからか、店内で見たときよりもストールはほんのり薄い色合いに感じられた。素材は柔らかく、夏らしい爽やかな色合いのストールは、様々なアレンジを加えることでおしゃれに着こなすことができそうだ。


 ふと梨々花は、バッグのポケットを開けた。そこから取り出したのは、緑色のイチョウの葉。文の母親からお礼にもらったものだ。


 新幹線は既に岡山市を抜けて、東隣の備前市に突入している。もうあと十分もすれば岡山県を出て、兵庫県に入るだろう。だんだんと文たちのいる倉敷から遠のいているが、イチョウの葉は相変わらずみずみずしいし、手にしているとほんのりと冷たくて気持ちよかった。


 梨々花は膝にストールを乗せ、そこに緑色のイチョウの葉を乗せた。そうするとまるで、小川をイチョウの葉が流れるシーンを再現しているかのようだった。


 包装紙を片づけようとした梨々花だが、紙の隙間に挟まっていたらしきものがはらりと舞い、誰も座っていない隣の座席に落下した。そういえば紫遠は手紙も添えていると言っていた。

 手紙といっても便箋と封筒などではなく、レポート用紙を四つ折りにしただけのものだった。それを開くと、紫遠が書いたらしい筆文字が目に飛び込んでくる。


 てっきりこの一ヶ月間の思い出などを記しているのかと思ったが、なんと彼が書いているのは和歌だった。






 清らなる

 水面みなもゆる

 からころも

 裾引きあり

 君ぞゆかしき






 梨々花は数度、瞬きした。

 そしておもむろにスマホを手に取り、紫遠が記した和歌の第二句までを打ち込んで検索を掛ける。これといってヒットしない。


 つまりこの和歌は、紫遠が作ったものなのだ。そういえば彼は高校を卒業したばかりだし、古文や漢文が得意と言っていた。


 むう、と梨々花は唸る。紫遠は歌人としての才能もあったのかもしれないが、あいにく梨々花はからっきしだ。高校の古文も、赤点を取らないぎりぎりのところをさまよっていたものである。

 だが、せっかく紫遠が作ってくれた和歌の感想を「よく分からないけれどみやびだった」で済ませるのは情けない。きっと紫遠も、梨々花がこの和歌を理解したかどうか気にしていることだろう。


 そういうことで梨々花はインターネットの古文辞書を使いながら、ひとつひとつ訳していくことにした。前の座席のテーブルを倒し、鞄の中にあった雑紙にメモを取りながらひたすら検索を掛けていく。


 幸い、「からころも」が枕詞であるのは覚えていた。この文脈からして、引っかかっている単語は「裾」だろう。

「ゆかしき」は形容詞「ゆかし」の連体形で、「知りたい」という意味。あとの単語のほとんどは現代語とほぼ違いがないので、当てはめていけばよさそうだ。


 梨々花が必死で現代語訳している間に、新幹線は一つ目の駅に到着した。再び動き始める頃、雑紙に現代語訳が書き上がった。






 清らかな

 水面に映えている

 唐衣

 裾を引きずって歩く

 君が知りたい






 高校の頃の古文の先生がここにいれば、「へたくそ」とだめ出しを食らいそうなザ・直訳である。梨々花はぽりぽりと頭を掻きつつ、もう一度単語に検索を掛けていった。


「からころも」は漢字で書くと「唐衣」となり、たいていは「からぎぬ」を読む。その場合は、十二単で着る羽織のような衣のことをさすらしい。

 だが、場合によっては「美しい衣装」という意味になるそうだ。紫遠が梨々花に贈ったのはストールで、十二単の羽織というよりはこちらの意味の方が近いだろう。


 さらに、「ゆかし」は前後の内容によって意味が変わるそうだ。「何かをしたい」という大きなくくりから具体的に何をしたいのか、ピンポイントに絞っていくという。となればこの文章の場合、「ゆかし」は「知りたい」というよりも――


「……見たい?」


 しゃっ、とシャーペンが斜線を引き、その上に「見たい」と書き添える。

 別の和歌関連のサイトを見ると、「現代語訳をするときには、なるべく今の言葉遣いに近づくように、言葉を足したりうまく繋げたりし、意訳して読むといい」とあった。なるほど、と梨々花は頷く。


 既に雑紙は書き込みで真っ黒になっているが、残されたわずかなスペースに梨々花なりの現代語訳を記した。






 清らかな川の水面のように美しい衣装。

 それを身につけているあなたの姿を見てみたいものだ。






「……できた?」


 ややぎこちない気がするが、梨々花にはこれが精一杯だ。

 せっかくだからと、梨々花はストールを包んでいた包装紙にもう一度、丁寧な字で現代語訳を書き写す。


 ――美しい水を彷彿とさせるようなストールを纏った梨々花を、見てみたい。


 つまり、「自分が贈ったストールを身につけて、また会いに来てくれ」ということだろう。


「……やられたかも」


 必死で現代語訳作業をしているときはそうでもなかったのに、紫遠が歌に込めた意味に気づいてしまうと、とたんに顔がぼっと熱くなった。慌てて文の母親からもらったイチョウを頬に押し当てるが、それくらいでは体中を駆けめぐる熱を冷ますことはできなかった。


 だが。


 目を閉じれば、銀色の髪をなびかせて笑う紫遠の姿がまぶたの裏に浮かぶ。


 次に彼に会いに行けるのは、いったいいつになるだろうか。その頃には梨々花は就職先を見つけ、紫遠は一泊の旅に出ることができているだろうか。


 いつかまた会えたときには。

 たくさん話をしよう。


 東京で頑張っている、と胸を張って報告し、またあの店でパフェを食べよう。


 あやかしたちと再会できたら、四方山話に花を咲かせよう。


 だから、いつか必ず来るその日まで。


「……頑張るよ、紫遠さん」


 ――次は、姫路ひめじ。姫路に到着します――


 梨々花のつぶやきは、新幹線内を流れる音楽でかき消されてしまった。

次話で完結です

頑張って現代語訳した梨々花ですが、実はこの和歌には隠されたもうひとつの意味があります

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― 新着の感想 ―
[良い点] き み が す き 梨々花さんが気がつく日はあるのでしょうか。 妄想してしまいました。
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