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28杯目 「おかえり」の約束

 平日昼間の岡山駅は、ほどほどにすいていた。

 電車が到着した直後は改札が人でごった返すのだが、今はいい感じに人気がなかった。新幹線の切符売り場もすいており、梨々花が乗る予定の新幹線も自由席に空きがあったので無事切符を買うことができた。


 キャリーバッグの中には日用品の他に、東京にいる友達用に購入したおみやげが入っている。岡山の土産と言えばきびだんご、と言われそうだが、梨々花はあえて別のものを買った。倉敷川を流れていた舟のような形をしている羊羹菓子である。羊羹の上に塗られた砂糖がほどよく溶けてじゃりじゃりしたあたりが食べ頃だった。


 九月になったといえど、この暑さはまだまだ続きそうだ。梨々花はハンカチで首筋の汗を拭い、キャリーバッグを転がして新幹線改札に向かう。梨々花が乗りたい、岡山発東京着の新幹線が来るまでまだ時間はあるが、さっさと改札を通って涼しい待合室で時間を潰せばいいだろう。


「――梨々花さん!」


 今にも切符を改札に通そうとしていた梨々花の体は、背後からかけられた声にびくっと反応した。

 それは、一週間前に別れたはずの青年の声。


「……紫遠さん?」

「ああ、よかった。間に合った!」


 こちらへ走ってきた青年はそう言って笑った。今、在来線の改札口からかなりの人数が出てきているので、ちょうど倉敷方面から来た電車が到着したのだろう。彼はきっと電車を降り、ここまで走ってきたのだ。それにしては相変わらず、全く疲れていないし汗の一つすら流していないが。


「見送りに来てくれたの?」

「はい。母も、せっかくだから岡山駅に行ってみればいいと言ってくれたので」


 紫遠はそう言い、ボディバッグから紙包みを取り出した。


「これ、梨々花さんに差し上げたくて」

「……これは?」 

「あっ、まだ開けないでください! できれば新幹線の中で見てください」


 包装用紙を剥がそうとしたら、すかさず紫遠の焦ったような声が止めてきた。そう言われると今ここで開けたくなるのだが、紫遠の必死な顔を見ているといたずら心はすぐに消え失せた。

 どのみち東京まで三時間以上掛かるのだ。席に座ってゆっくり中を見ればいいだろう。


「分かった。……中身が何か分からないけれど、もらっていいの?」

「はい。その……手紙も同封しているので、それもよかったら新幹線で読んでください」

「ああ、だから今開けるなって言ったのね」


 恥ずかしそうに言う紫遠を見て、梨々花は微笑んだ。これまであまり積極的に他人と関わろうとしてこなかった紫遠にとっては、贈り物をするのも手紙を添えるのもさぞ緊張したことだろう。


 梨々花が紙包みをキャリーバッグに入れると、紫遠は長い髪を掻き上げて優しく微笑んだ。


「……一ヶ月間、本当にありがとうございました。あなたが来てくれたから、僕はこれからちょっとだけ変われそうです」

「そっか……そう言ってもらえると嬉しいな。何か、新しいことでも始めたりするの?」

「はい。実はいずれ、近場ではありますが一人で一泊旅行に行こうと考えています」


 思い切ったような紫遠の言葉に、梨々花は目を丸くした。


「一泊旅行? それって……よそに泊まったりもするってことよね?」

「はい。……僕ももう大人になったのだから、よその土地で長時間過ごしても大丈夫のはずなのです。だから、今まで逃げていたこと、やろうとしなかったことにも挑戦してみたいのです」


 梨々花は瞬きし、紫遠の真面目な顔に見入っていた。


 ――そう、人間の寿命を持つ彼はこれから、人間として生きていくと決めたのだ。

 完全なあやかしではないからこそ、彼には可能性がある。それを、試してみたいというのだ。


「……すごい」

「えっ?」

「すごいよ、紫遠さん! あ、でも体調には気を付けてよ? いくら紫月さんのゴーサインがあったにしても、一人旅で倒れたら大変なんだから!」

「はい。その辺りも両親とよく相談してから挑戦してみます。うまくいけば、梨々花さんにも報告しますね」


 そう言って紫遠は自分のズボンのポケットを叩いた。そこからは、彼のスマホが少しだけ顔を覗かせていた。


 彼とは出会ってまもなくメールアドレスやトークアプリのアドレスを交換したのだが、八月中はいつも同じ場所で暮らしていることもあり、メールなどでやり取りをすることがなかった。だがこれから梨々花は東京に帰るので、手軽に連絡を取り合うとなればメールやアプリが手っ取り早い。


 そういえば由理子おばさんからも、「よかったら新学期になってからも、紫遠と連絡を取り合ってほしい」と言われていたのだった。


 梨々花はうなずき、紫遠を見上げる。


「……あのさ」

「……はい」

「……また、倉敷そっちに行くから」


 駅利用者客の声や構内アナウンスの声が飛び交う中、梨々花は言った。


「就活はうまくいく自信がないけど……紫遠さんたちにいい報告ができるよう頑張る」

「梨々花さん――」

「だからそのときは――最初に紫遠さんが言っていたように、『おかえり』で迎えてほしいんだ」


『おかえり、の方がいいのでしょうか?』


 倉敷駅の改札前で、そう言って握手をした紫遠。

 次に彼に会うときも、「おかえり」と言ってほしい。


 紫遠の目が揺れる。最初は不意打ちを受けたように息をのんでいた紫遠だが、徐々に口元が笑みをかたどっていく。


「……はい。約束します」

「うん、約束」


 ――まもなく二十四番線に、岡山発東京止まりの新幹線が参ります。


「あ、行かないと」

「引き留めてしまってすみません」

「ううん、いいの。それじゃ――」


 キャリーバッグを転がして改札に向かった梨々花は、ふと口を閉ざした。


 今、「またね」と言いそうになった。

 だが、彼と「おかえり」の約束したのだから、今梨々花が言うべき言葉はそれではない。


 梨々花が言うべきなのは――


「……行ってきます」


 ――それは、「必ず戻ってきます」を意味しており。


「……はい、行ってらっしゃい」


 ――それは、「無事に戻ってきてください」を意味していた。

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