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20杯目 蕎麦屋へ行こう

 倉敷川沿いの美観地区は昔ながらの町屋が整然と並んでいるが、細い道を進んでいくとだんだんと町の様相も変わっていく。


「この先、ちょっと坂になっています」


 車一台が通るのがやっとである細い道は紫遠の言うとおり、緩やかな上り坂になっていた。ちょっと前までは古民家が並んでいたのだが、この辺りになると一気に現代の住宅街といった様子に変わる。


「到着しました。ここです」


 紫遠が示すのは、一軒家を改造しただけといった外観の小さな店。群青色ののれんに店の名前が書いていなければ、ここが蕎麦屋であると認識するのは難しいかもしれない。


「知る人ぞ知る、って感じのお店ね」

「ええ。夫婦で経営していて、僕と母もよく来るのですよ」


 紫遠の言うとおり、女将は店に入ってきた紫遠を見て、大きな声を上げた。


「おや、由理子さんのぼっちゃんだね。……ん? 由理子さんが一緒じゃないのか。その子は?」

「こんばんは。母さんは旅行に行っているので、今日は岡山から来たはとこを連れてきました」

「こ、こんばんは」


 戸を閉めつつ梨々花が挨拶すると、女将は腰に手をやってじろじろと紫遠と梨々花の顔を順に見てくる。


「はとこ? それにしちゃ、全くと言っていいほど似とらんな。というかむしろ、そっちの子の方が由理子さんに似とるくらいじゃな」

「僕は父親似なので」

「そういえば由理子さんもそう言っとったな。……なぁんだ、やっとぼっちゃんにも春が来たと思ったら」

「今は夏です」


 女将に言葉を返し、紫遠は梨々花を席に誘う。店内は「たかはし洋菓子店」よりもずっと狭く、四人掛けのテーブル席が二つ、カウンター席が四つあるだけだった。そのカウンター席も既に三人埋まり、テーブル席も一つはカップルが使用していた。


「席が空いていて、運がよかったですね」

「うん。ここって、結構込んだりするの?」

「時間帯によってはすごく込みます。何しろ見てのように自宅を改造した店なので席数も少なく、夫婦経営のため回転も速くないんです。その分、味は僕も保証しますよ」

「なんかちょっとだけ、『たかはし洋菓子店』に似てるね」

「ええ、僕たちもそう思っているうちに親近感がわいて、常連になったのです」


 紫遠は微笑み、メニュー表を広げた。お手製感あふれるメニューはやはり、これまた「たかはし洋菓子店」と似ており、品数が少ない。


「紫遠さんのおすすめは?」

「天ぷらせいろセットですね。ざる蕎麦に海老付きの天ぷら、その他に煮物やデザート、飲み物も付いてきて千五百円ですので、かなりリーズナブルです」

「本当だ。じゃあ、私それ一つ」

「僕もです」


 女将に注文を伝え、梨々花は窓の外へ視線を向けた。


 午後六時半頃。先ほど紫遠と一緒に上ってきた緩やかな坂道はほんのり夕方の色に染まりつつあり、真っ黒に日焼けした小学生の乗る自転車が通り過ぎていく。坂道を下っているからか、ペダルに足を掛けていない。

 窓辺に吊り下げていた風鈴が、エアコンの空気を受けて乾いた音を立てる。チリンよりもカランに近い音が心地よく耳朶をくすぐってくれた。


 窓の外から向かいの席の紫遠へと視線を移動させる。相変わらずきれいな銀髪に、整った顔立ちだ。オオカミのあやかしの血を引くだけあり怜悧な美貌からは少しだけ近寄りがたい印象を受けるだろうが、彼と知り合って二週間程度の梨々花も彼の様々な表情を見られるようになったものである。


 いつも落ち着いており、あやかしへの接客に戸惑う梨々花をさりげなくサポートしてくれる紫遠。だが彼も不意打ちを受けると真っ赤になって照れるし、先ほどアイスを零したときはかなり焦っていた。


 人間とあやかし。

 住む空間が違う、少しだけ見た目が違うだけで、二者に大きな違いはないのだ。

 それは、幸せそうに由理子おばさんに寄り添っていた紫月の様子を見ていてよく分かった。


 だが、紫遠はどうなのだろうか。


「……梨々花さん?」


 名を呼ばれ、梨々花ははっとした。どうやら彼を凝視しすぎていたらしく、紫遠は心配そうに問いかけつつもほんのりと頬を赤く染めている。


「ひょっとして僕の顔に、アイスの汚れでも付いていますか?」

「え? あ、ううん。そういうわけじゃないよ、ごめん」

「それならいいのですが……もしかして顔に汚れが付いたままここまで歩いてきたのかと心配になってしまいました」

「大丈夫だって。それに、紫遠くらい格好いい子なら頬にアイスが付いていようときな粉が付いていようと、全然気にならないって」

「…………梨々花さんはそう思っていたのですか?」

「いや、だから顔に付いていないから安心して――」

「そうではなくて」


 紫遠はやんわりと梨々花の言葉を遮り、神秘的な濃紺の目をわずかに細めた。


「……梨々花さんは、僕のことを格好いいと思ってくださるのですね」

「えっ、当たり前じゃない?」


 何を今更、と梨々花の方が驚く。

 この人間離れした――実際あやかしのハーフである――美貌を見て不細工と思える人の気が知れない。観光地の洋菓子店ではなく、モデルや俳優としてでもやっていけそうなくらいの容姿である。梨々花の大学で毎年大学祭の時期に選出される「ミスター・ミス○○大」に立候補すれば間違いなくグランプリを獲得できるだろうと、梨々花は胸を張って言える。


 けろりとして言う梨々花だが、紫遠は逆に気まずそうに目をそらし、柔らかな髪をくしゃりと握った。


「……僕、あなたには男だと思われていないのだと思っていました」

「どこからどう見ても男の子だよ」

「いえ、だって部屋にも入ってきますし、一緒にソフトクリーム屋巡りにも来てくれますし」

「部屋に入ったのは文ちゃんが来たからでしょ。お店巡りも、別に不思議なことじゃないでしょう。私はすっごく楽しかったよ」


 ――正直なところ、元恋人とのデートよりずっと楽しかった。


 かつて梨々花は自分の雑な面を恋人に悟られまいと、交際中ずっと気を張っていた。自分の「好き」よりも彼の「好き」を優先していた。


 本当は水族館や動物園の方が好きだけど、彼の提案に従って映画館や遊園地に行っていた。

 ピンクやオレンジ色の服なんて持っていなかったけれど、彼が女の子に着せたい色だと知ったから、好きでもない色の服を買ってデートに着ていった。

 本当は辛いものが嫌いだけど、激辛カレーが大好きな彼と一緒にカレー屋に行き、泣きそうになりながら完食した。


 ……今思えば、フられても仕方ない振る舞いだったのかもしれない。

 フられた当時は辛くて悔しくて、自分の何がいけなかったのだろうかと悩んだりもした。だが、フられるべくしてフられたのかもしれない。そして、彼が梨々花の大学の後輩と付き合うようになったからこそ、梨々花はあの呪縛の日々から解放されたのかもしれない。


 ものは考えようだ。それに、梨々花は倉敷で過ごす日々を満喫している。

 梨々花は自然体で仕事をし、由理子おばさんや紫遠、あやかしたちと接している。そして、年下ということもあって最初は梨々花に対して遠慮がちだった紫遠も、「自分のやりたいこと」を前面に出すようになり、すました顔以外の表情も見せてくれるようになった。


「はい、天ぷらせいろセット二人前だよ!」


 考え事をしている間に、テーブルに二人分の料理が運ばれてきた。


 漆塗りの四角い盆に並んでいるのは丸いせいろに盛られたざる蕎麦に、立派な海老が目を惹く天ぷら。梨々花の好きなナスやさつまいももある。小鉢には里芋とインゲン豆、椎茸の煮物が少量入っており、これくらいなら女性でも食べきることができそうだ。


「はい、蕎麦湯もどうぞ。食後にはデザートと飲み物を持ってくるからね。それじゃカノジョとごゆっくり、ぼっちゃん」

「違いますってば」


 女将と紫遠のやり取りにくすっと笑うと、紫遠には困ったような目を向けられた。


「それじゃ、いただきます」

「いただきます」


「たかはし洋菓子店」の奥で食事をするときのように、手を合わせて挨拶をする。


「紫遠さんは、わさびやネギを入れる派?」

「基本的に全部入れる派です。……あ、ここのもみじおろし、おいしいんですよ」

「うーん……私は辛いのが苦手だから、ネギだけ。……あれ? 紫遠さんも辛いのは苦手じゃなかった?」

「唐辛子系の辛さは苦手ですが、わさびや生姜、大根おろしなどの辛い系は好きな方です。……使わないなら、薬味をもらってもいいですか?」

「どうぞどうぞ」


 この蕎麦屋は蕎麦つゆにもこだわりがあるようで、とろりと濃厚で甘かった。蕎麦は十割のためか色は濃いめで、ぷつんぷつんとよく切れた。


「蕎麦おいしい!」

「天ぷらも、冷める前に食べてくださいね」

「うん!」


 紫遠に促されて、天ぷらもいただく。この店では天ぷらを食べるときに漬けるのはつゆではなく、塩だった。普通の食卓塩よりも甘みを感じるので、特別な食塩を使っているのだろう。


 デザートのあんみつと、それぞれ注文したオレンジジュースとコーヒーを飲んで店を出る頃には、辺りも夜のとばりに包まれていた。先ほど自転車をこいでいた小学生は、そろそろ家に帰れただろうか。


「おなかいっぱいだなぁ……」

「この後は夜の営業もないし、店内でゆっくり過ごしましょうか」

「そうだね。帰ったらまず、シャワーを浴びたいかも」


 梨々花はショルダーバッグを掛け直し、薄雲の掛かった夜空を見上げた。ちなみに日中差していた日傘は使用していないので、紫遠に持ってもらっている。


 川沿いの大通りに出ると、水辺だからか少しだけ風通しがよくなった。しっとり汗ばんだ肌に、夜風が心地よい。


「……おばさん、あやかしの国で楽しんでいるかな」


 梨々花が呟くと紫遠はふふっと笑い、梨々花の顔の周りを飛んでいた蚊を手で払った。


「ええ、きっと。それに、父が付いているので大丈夫です」

「……その、紫遠さんはあやかしの国に――行ったりしないの?」


 梨々花が問うと、それまで梨々花の歩幅に合わせてゆっくり歩いていた紫遠が、足を止めた。梨々花も立ち止まり、長い銀色のまつげを伏せてなにやら考え込む紫遠を見――あまりにも無遠慮な質問だったと遅れて気づいた。


「……あの、ごめんなさい。あやかしたちの事情も知らないのに、無遠慮なことを――」

「……。……店に戻ったら、話を聞いてくれませんか」


 いつになく強ばった紫遠の声に、梨々花はうなずくしかできなかった。

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